ESCAPE×ESCORT〈エスケープ・エスコート〉

吉野まひと

第一章 岬の幽霊屋敷

第1話 はじまりの夜

 ある大雨の夜。

 少女が裏路地をヨロヨロと足を引きずりながら歩いている。


 服はボロボロ、身体は傷だらけ。

 左足は折れているのか、脛骨の辺りが変色している。


 大雨の中傘もささず、俯きながら歩いている。 

 

 肩で切り揃えられた短い黒髪は、雨でびっしょり濡れて顔に貼りついている。

 すれ違う人はその様子をぎょっとした目でみるが、少女は注意を向ける余裕もない。


 家々には暖かい灯りがともり、家族や恋人たちの楽し気な影が窓の外に映し出される。


 少女は度々そちらに目を向ける。

 アンバーの瞳に灯りがちらりと映るが、すぐに目を逸らしてまた歩き出す。


 幸せそうな人々と、追いつめられたった一人逃げる自分が、窓一枚を隔てて隣り合っている。


 耐え難い惨めさや寂しさを心の底に押し込めながら、少女は雨を吸って重くなった身体を引き摺り、歩いた。


少女の名はライラと言った。



――私は間違っていない



 ライラはそんな気持ちを抱きながらも、「ここで終わりなのか」と絶望と諦めの感情を抱いて目を伏せる。 


 その時、波の音が聞こえた。


 顔を上げると、目の前に夜の海が広がっている。それに寄り添うように続く陸地の先に、岬が見える。

 岬の突端に向かって、ぼんやりと雨に滲む光を放ちながら、外灯がぽつぽつと続いている。


 一番端の外灯は手入れがされていないのか、ちかちかと点滅している。


 その不安定な灯りに照らされて、大きな屋敷がライラの視界に映し出されては消え、映し出されては消えを繰り返している。


 屋敷の灯りはついていない。


 ライラはチャンスだと思った。


(あの屋敷は留守かもしれない。中へ忍び込めば休めるかも・・・)


 三日間逃げ続け、体力は限界だった。身体中が痛みで悲鳴を上げている。


 もう他に選択肢はない。最後の力を振り絞り、ライラは岬へ続く一本道を歩き始めた。




 屋敷の目の前まで辿り着いた。


 屋敷の中は灯りの一つもついていない。外観は古びていて、外壁の塗装は所々剥がれ落ちている。


 木製の窓枠にはささくれが見られる。壁にはびっしりと蔦が絡み、人の住んでいる痕跡すら感じられない。


「まるで幽霊屋敷みたい」


 ライラは独り言のように呟く。


 ただ、侵入を躊躇うような余裕はない。迷うことなく屋敷の玄関まで痛む身体を引きずった。


 ライラは屋敷の扉にもたれかかるように身体を預けると、隠し持っていたピッキング道具を鍵穴に入れた。


 屋敷の大きさから考えて、もっと厄介な作業になると覚悟していたが、意外にも、鍵は数分程度で解錠できた。


 ライラは全体重を預けるようにしてドアを開け、倒れ込むように建物の中へ入った。

 

 建物の中は闇に覆われている。一切の灯りはなく、目の前に何があるのかもわからない。


(家主は不在なのかしら。できればしばらく、せめて足の痛みが引くまでここにいられればいいけど・・・)


 ライラは自分の左足を見て思った。この痛み方だと、恐らく折れているだろう。治るのにしばらく時間が掛かりそうだ。


 それにしてもと、ライラは床を手で撫で回すように触った。


(このカーペット、すごくふかふか)


 足元に敷かれた毛足の長いカーペットは、ライラの寝蔵に置かれた硬いベッドや古いソファよりも柔らかく、遥かに寝心地が良さそうだ。


(寝ちゃうかもしれない)


 そう思ったときには、もう身体はカーペットの上に横たわっていた。


(少しだけ休ませてもらおう)


 ほんの少しだけ、家主がいない間だけ、そう自分に言い聞かせながら、ライラは深い眠りへと落ちていった。

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