第185話 空亡㊱ 龍涙

 外に出ると、肌が冷たくピリピリと張る感覚がした。どうやら冬が近いようだ。

 もう1枚何か羽織ろうと、神楽は玄関で引き返す。すると、中から厚手の衣を持った亡が、それを彼女に手渡した。


「じきに雪も降る季節になるな」

「そうですね、子供たちは大丈夫でしょうか」


 子供たち、というのは、今年の初め頃に神楽と亡、そして空で建てた屋敷に住む者たちだ。

 身寄りの無い子供たちをそこで引き取り、貴族などから暇を出された使用人達を雇って、面倒を見てもらう。

 資金は彼女たちが妖怪退治をすることで貰ったものを、そこに流していた。


 こうして、時々子供たちの様子を見に行くのは、彼女たちにとっては重要な仕事だ。

 手に山ほどの玩具やお菓子をもって、夫婦は家を出た。


 ***


「あ! 神楽さんだ! 」


 彼女たちが屋敷の庭に現れるやいなや、親を見つけたように子供たちが駆け寄ってくる。


「みなさん、良い子にしてましたか? 」


 お菓子を手渡しながら、神楽は子供1人1人の頭を撫でてやって、彼らの話を聞いている。

 ふと、亡が庭の奥の方を見ると、空がぐるぐる目を回して倒れていた。


「大丈夫? 兄さん」

「あぁ、何とかな……。子供って、体力あるよな……」


 どうやら2人が来るまで1人で子供達の相手をしていたようだ。

 亡の顔を見て、空はどっかり座り込んだまま口元を歪める。


「なんだい? 」

「いや、まぁ、元気になったみたいで良かったよ」


 妻のことで負担がかかっていた彼を案じていたのだろう。

 幸せそうな2人を見て、空は心底安心していた。


「いつまでも暗い顔してたら、神楽がかわいそうだろ」


「少し、よろしいですか? 」


 幼子と神楽の遊びを眺めていた2人に、初老の男が声をかけてきた。

 上等な着物だ。宮仕えのものだろうか。


「……あなたは? どうやって入った? 」

「私は、晴明様の使いで参りました。亡様、この先の寺院で我が主がお待ちです。どうか」


 見るからに怪しい。

 安倍晴明の名を使って詐欺でもするつもりだろうか、と亡は思い当たる。


「悪いが、おかしな壺なんか買うつもりは無いぞ」

「神楽様に関わることでございます」

「……なに? 」


 ***


 寺院とは言っても、ろくに手入れはされていない。管理するものもいないのだろう。

 崩れ掛けの社の前で、白髪頭の老人が佇んでいた。


「なんの用だ? 」


 くるりと亡の方を振り向く。


「これを、渡したいと思いましてな」


 彼は紐が通された1つの勾玉を取り出す。

 陽の光に照らされて、翡翠色に輝いていた。


「なんだ、これ? 」

「それは“龍涙りゅうるい”。神楽様をお救いするのに、必要なものでございます」


 頭をはたかれたように、亡が顔を上げる。

 晴明はこちらを振り向くことはしない。


「神楽を救えるのか!? 」

「その勾玉は、龍神様の呪いを肩代わりしてくれます。守神の巫女の管理者に代々伝わる、門外不出の宝ですが、差し上げましょう。あの人を救ってやってください」

「どうして、そんなに……」


 彼は1つ、大きなため息をついた。


「我らが生きていくには、龍脈の力は不可欠。龍脈が無ければ、我らな命を維持することすら叶いません。しかし、そのために、まだ若い女性を何人も何人も、犠牲にしてきた」


 彼はまた、亡の方を振り返った。


「龍神様の機嫌を損ねぬように、龍涙があるのにも関わらず、それを巫女に渡すこともなかった。正直言って、嫌気が差したのです。いつまでも、神の言いなりになっていることに。これは、ほんのささやかな抵抗でございます」


 本来、あまり面識のない人間からこのような申し出を受ければ、怪しいと思う方が普通であろう。

 しかし、晴明の表情と、最愛の妻の体のこと、そして何より、彼に自分たちを騙す理由がないこと。

 これらの理由から、亡は勾玉を有難く貰うことにした。


「感謝する」


 すぐにでもこれを神楽に渡そうと、反対方向に歩み出した。

 途端に晴明に呼び止められる。


「おい……」

「なんだ? 」

「いや、なんでもない」


 亡の背中は都の街へと消えていった。

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