幕間③

第146話 憎しみ

 彼岸花が咲いていた。龍神を祀る社の裏庭に、ポツリと佇む1つの墓石。

 赤い花に彩られたその墓には、四条家と刻まれている。

 もっとも、ここに眠っているのは四条紗奈ただ1人だけである。

 彼女は両親のことは嫌っていたから、同じ墓には入りたがらなかった。


 墓地とも言えない、その狭いスペースで、ひっそりと眠りながら娘たちを見守ることを彼女は選んだのだった。


 じゃり、じゃりと敷き詰められた石を踏む音が聞こえる。

 右手に色とりどりの花を抱え、左手に一升瓶を持った沙羅は、穏やかな笑みを顔に貼り付けながら、ゆっくりと母の墓の前に歩んでいく。


「お母さん、もうすぐだよ。もうすぐ……」


 袋から花を取り出して墓の前に生けると、途端に墓石が生命力を持ったような鮮やかさを持つ。


「もうすぐ、会えるよ」


 墓石を愛おしそうに撫でながら、彼女の口角はどんどん持ち上がっていく。


 ***


「四条、沙羅さん、ですね? 」

「誰、ですか……」


 突然に沙羅に声をかけてきた男は、被っていたローブを脱ぐ。

 綺麗に剃られたスキンヘッドが姿を現し、男は口を重たそうに動かした。


「我々と一緒に来て欲しい」

「はい? 一体何を言って……」

「お母様と、もう1度会いたいとは思いませんか? 」


 心臓が矢で射抜かれたようにドクン、と大きく跳ねた。僅かに沙羅の眼が揺れ動き、男はその動揺を見逃さずに次の言葉を紡ぐ。


「会えますよ、共に来れば」

「……私の母はもう亡くなりました。宗教勧誘なら結構です。間に合ってるので」


 男の横をすり抜けようとする彼女の腕を、太く力強い手が掴んだ。


莉子が、憎いのではないですか? 」

「なんで、莉子ちゃんのことを……」


 男の顔にはいやらしい笑みがカビのようにこびりつき、手は沙羅を掴んで離さない。


 ――バレている。お母さんのことも、私達のことも。


「憎いでしょう? あの女が」

「誰だか知りませんけど、私の家族を馬鹿にするのなら許しませんよ」

「家族? はっはっはっ! 」


 突如として男は笑い始めた。高らかに笑い声を空に上げ、目に涙をためながら彼は言う。


「家族だったら、なぜ“姉”と呼んで上げないのですか? 」

「っ!? 」

「なぜ敬語で話すのですか? お母様とは普通に会話していたのに」

「そ、そんなの……」


 このままではいけない。そう直感した沙羅は腕を振りほどこうと暴れ回る。

 しかし、万力で固定されたように彼女の体は動かなった。


「心のどこかで、あの女を家族と認めたくは無いと思っている。違いますか? 」

「っ! うるさい! 知ったような口を……! 」

「あなたの憎しみは当然です」


 途端にパッ、と腕を離された。

 だというのに、彼女はその場を離れない。男の言葉が、彼女の内蔵にまで染み渡っていく。


「急に現れて、貴方1人に注がれるはずだった母の愛をかっさらい、挙句の果てにあの女のせいで紗奈さんは死んだ」

「やめて! 」


 やめて、と口に出しているのは沙羅である。だが、彼女は耳を塞ごうとはしない。

 男の言葉が、心の氷を溶かしていくのを、彼女自身も感じていた。


「母の愛も、命までも奪って……。だというのに偶像として持ち上げられ、人々から愛されている。そして、あの女はそれに満足している。貴方の愛は奪っておきながら」


 沙羅は、何も言葉を返せない。


「さぁ、戻りましょう。愛する母と2人っきりだったあの頃へ。莉子邪魔者のいない、懐かしきあの頃へ」


 男から手を差し出される。

 数瞬、時が止まる。


 沙羅はその手を、掴んだ――。

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