第35話 今川 明菜

 討魔官養成所――日本で唯一にして最大の対妖怪組織、討魔庁への登竜門。

 この養成所での訓練を耐え抜き、一定の成績を収めた者が討魔官としての地位を得る。


 2000年に制定された、霊術を持つ者に関する国家体型維持のための法律。通称、霊術師徴集法。

 それにより、強い霊力を持つ人間は強制的に討魔官養成所で訓練を積むことと定められた。


 国はこの法律を制定するために憲法も改定。

 国民は巫女・祓魔師に関してのみ強制徴集を認め、およそ八割の有権者が賛成した。


「関西弁、止めた方がええやろか……」


 今川明菜もまた、その法律によって徴集された巫女候補の1人。


 15歳にして家族と離れ、1人東京へと上京してきた彼女だが、慣れない土地に加え知人もいない。

 言いようのない不安を感じていた。


「性格悪いから、気ぃ抜くとすぐ毒吐いてまう……」


 寂しく歩く彼女は、やがて養成所の門に到着した。


「あ、あの今日から見習いになる、今川明菜です」


 門の前で受付を済ませ、部屋へと案内される。

 寮での生活は相部屋が基本だ。


「あなたもここの部屋? 」


 彼女がドアを開け、中に入ると既に到着していた住人が1人。

 その金髪の女性はベッドと机が2つあるだけの殺風景な部屋で、養成所指定の制服のまま寝転がってくつろいでいた。


 よく見ると手には包帯を巻き、頬にはガーゼがある。


「は、はい。えと、よろしくお願いします」

「よろしくね! 私は西園寺 葵。名前は? 」


 いきなり握手を求められ、腕を勢いよく振り回される。

 内気な明菜は、快活で積極的な葵に戸惑いながらも内心はほっとしていた。


「い、今川 明菜です。よろしく」

「明菜ちゃんだね。聞いた? ここの部屋2人部屋なんだって! 普通は4人部屋なんだけど、優秀な人は2人、らしいよ」


 事前の適性検査で訓練生達の力量は概ね把握されている。

 葵は自分たちの力が認められていることを誇らしげに語った。


「明菜ちゃんって、どこ出身? 」

「あ、えと、京都……です」

「関西出身なんだぁ! でも、関西弁喋らないの? 」

「い、いやー、標準語になれちゃって……へへっ」


 ――せっかく仲良うして貰っとるんやから、傷つけるようなこと口走ったらあかん……。




「そういえば、関西出身の男の子もいたんだよね。そっちも関西弁使ってなかったけど、今どきの関西人ってみんなそんな感じなのかな」


 ――やっぱり、みんな方言なんてやめるんやな……。





 それからしばらく経ち、昼食の時間となった。


 葵と一緒に食べようと約束をしていた明菜は、トレーに食事を乗せたまま食堂を歩いていた。


「いたっ! 」


 突然肩を押される。

 手に持っていたトレーが床に落ち、料理がぶちまけられた。


「おっと……すまんすまん気づかなかったわ。式神使いの卑怯者さんよぉ」


 ――こいつ、適性試験の模擬戦でうちに負けた奴……。


「自分で戦う力もねぇ癖に、つよーい式神さんに守ってもらえて良いなぁ。やっぱ名家の娘さんは違うわぁ」

「なっ!? 式神の使用はれっきとした霊術として認められてます! 」


 言われのない侮辱に、明菜はたまらず反論した。

 今川家は代々霊術師の名家として伝わっている。それゆえ、コネや権力の干渉を疑いそれを妬む者も多い。


「でけぇ口叩くんじゃねぇぞ! 式神がいねぇと何も出来ねぇくせに! 」


 男の手が明菜の長い髪を掴んだ。

 プチプチと何本か毛が抜ける音がする。


「いっ……! 」


 彼女は痛みに顔を歪め、男の手を振り解こうとするが、非力なその腕ではそれも叶わない。

 食堂で式神を呼び出す訳にもいかなかった。


 周りの訓練生はトラブルに巻き込まれ、自分の評価を下げまいと必死に目をそらしていた。


「てめぇのおかげで俺の評価はダダ下がりだ。どうしてくれる! 」


 空いた方の腕が明菜に振り下ろされようとしている。

 殴られる、と彼女が目を瞑った直後。


「おいてめぇ。女に因縁つけて挙句に手を上げるとは、男がなってねぇな」


 横から低く、怒りを孕んだ声がした。


 染めた金髪をワックスで逆立てた男が、殴ろうとしている男の腕を掴んでいる。


「おめぇ、何を……いてててて! 」


 ギリギリ、と腕を握る音。


「そんなに喧嘩がしてぇなら、俺とやるか? あ? 」


 凄んだ金髪の男の圧力に負けたのか、明菜に因縁を付けた男は立ち去っていく。


「平気か? 災難だったな」

「あ、ありがとうございます」


 金髪の男は床に落ちた料理の残骸を一緒に片付ける。


「はぁっ、はぁっ、明菜ちゃん! ごめん。トイレ行ってて……何があったの! 」


 息を切らしながら葵が走りよる。

 騒ぎを聞きつけ、急いで駆けつけたようだ。


「へ、平気……この人が助けてくれて」

「よし、これで終わりだな。ほれ、これ。まだ手ぇ付けてねぇから」


 男は自分の持っていたトレーを明菜に押し付けた。

 養成所での食事は基本配給制だ。主食はおかわり自由だが、それ以外のものは追加で貰うことはできない。


「で、でもあなたのご飯……」

「気にすんな、“美人には優しく”。俺のポリシーだよ」


 ややセクハラ紛いのことを言いながら、男はその場を去ろうとする。


「あ、あの名前……」

「西郷 拓真。お前は? 」

「い、今川 明菜、です」

「今川だな。覚えとくよ」


 背中越しに手を振りながら、彼はどこかへ行ってしまった。


 ――西郷はん、か。

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