嘘をひとつずつ剥がしていく恋の話
夜に書くアルファベット
前篇 好きな人が遠くに行ってしまう
2年前の夏 。
「好きです」
天馬はゆっくり力強く言った。
空から降るのは夕日だというのに、天馬の顔が赤いことがわかってしまった。
なにも言えずに俯く。
「僕のこと好きじゃなくたって、いいんだ。」
「それでも、いずれ僕のこと好きにさせるから。」
瞬きがいつもより多いし、手だって少し震えているのに、紡ぐ言葉は男らしいそのギャップに、私まで顔が赤くなる。
夕日の色が移った私の顔を見て天馬は、自分の前髪をさらりと撫でた。
知ってる。それ、天馬の癖でしょ。
生ぬるい風の匂いを胸いっぱいに吸った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
外から野球部の掛け声がうっすら聞こえ、私は意識を取り戻し、瞼をゆっくり開ける。
目に入ってきたのは見慣れた夕日がさす教室。いつもみたく私は教卓に突っ伏し寝ていたらしい。大きなあくびと伸びをして、回らない頭で窓の外へ近寄る。
また、あの夢を見てしまったな。
天馬と過ごした初めての夏。
私が最も未練のあるあの夏。
もう一回寝たらまた天馬に会えるのだろうか。またやり直せるのだろうか。
あの夏から、私の心にある大きな違和感は拭えないまま。
天馬に答えが聞きたくて、目を閉じて天馬のことを思い出す。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
天馬に告白されたあの日から、どうにも天馬を見ると私の心はザワザワして落ち着かなる病気にかかった。
天馬から時折感じる私への好意に、どこか心地よさを感じていた私は、ずっとこのまま天馬が私のこと好きでいてくれたらなって、そんな風にも思っていた。
「天馬とあまり関わりがなかったから」という理由で、天馬からの告白の返事を保留にしてたずるい女なのに、天馬は何も言わず「そんなところも好きだ」と優しく私の前髪を撫でた。
そんな幸せが一年続いた。
体育祭も夏も終わり、冬には何をしようかみんなが話し始めたころ、天馬は初めて学校を休んだ。天馬の家庭は複雑で、お世辞にもいい環境と言えるものではなかったので、家庭の事情かなんかだと思ったのだが、次の日もその次の日も天馬は学校に来なかった。
天馬が学校に来なくなって5日目、
天馬のお姉さんから天馬が亡くなったことを告げられた。
飛び降り自殺だったらしい。
自殺ということもあり、お葬式はこぢんまり行うようで、天馬と仲が良かった私と天馬の親友の田原、天馬の所属していた野球部の数名しか呼ばれなかった。
お葬式の様子は今でも覚えている。
泣き喚きながら天馬に話しかける田原と、ひたすら啜り泣く野球部の人たち、涙が枯れたのか泣かずに絶望的な顔をしている天馬の姉と母。
天馬の姉と母へ一言挨拶した時、姉と母は天馬は幸せだったと口にした。
他にも、天馬と家族の思い出や、天馬の部屋を片付けている時に見つけたものの中から、好きなものを形見として持っていってくれ、など、いろいろなことを言われたが、私は一切答えず、ただ天馬の写真を見つめていた。
ひたすら現実味がなかった。
その光景を見てからだ。胸の中に消えない違和感が現れたのは。
ーーーーーーーーーーーーーー
秋になっても冬になってもまた夏が来ても、私の頭の中には天馬がいた。どれだけ時間が流れても、私から涙と悲しみの言葉は出てくれなかった。
酷い天馬は夢の中でも私に告白をし、それに答える前に目が覚める。
天馬の死への違和感は膨れ上がり、私の胸の中を支配し、
違和感はやがてわたしから睡眠を奪った。
眠れない、いや眠ることが怖い私に、私の母は心配して事情を聞いてきた。
胸の違和感のことは伏せて、天馬が死んだことを母に告げる。
母は見たこともない表情を浮かべ、「あなたは昔からいろんなことに気付いて考え込んでしまう。でもそれは才能よ。大丈夫。」と言い、病院を勧めた。
言葉の意味はわからなかったが、母親という存在に少なからずの心の安寧を見出していた。母親は偉大だ。
病院から処方された睡眠薬は夜の睡眠の確保はしてくれたが、ふと眠りについた時の夢までは責任をとってくれなかった。
周りの友達は私を心配して、たくさんの遊びや行事に誘ってくれた。もちろん、私の前では天馬という言葉は一回も発さなかった。
友達の優しさや親の願いから、この違和感を無かったことにしようと思った時もあったが、到底無理だった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
外は大雪で学校も休みに入った冬の終わり、天馬が死んで一年と三ヶ月後のお昼頃、天馬の親友の田原を大雪の中呼び出した。自分がなぜ急にそのような行動を起こしたのかは、わからない。ただ、このままじゃいけない気がした。
呼び出された田原は少し困惑していたが、私のただならぬ雰囲気を見て何かを察したようだった。
そして、人が一人もいない教室で天馬のことを打ち明けた。
天馬の自殺という結末に納得がいってないこと。
私たちはなにか見落としてはいないのかということ。
田原は話を理解した瞬間目を見開き手を口元へ持っていき、その次に髪の毛を触りながら、「天馬の死は悲しいが受け入れている。俺は何も思わない」と俯きながら言った。
その一連の流れに、天馬の死と同じ違和を感じた。
田原が喋った後、一言も発さない私の顔を田原は不安そうな顔で伺う。
流れる沈黙、風で窓が瞬軋む音、握りしめる私の手。
どれも自然な時間の流れの中に起こることなのに、田原の態度だけが変に頭に残る。田原の態度は、自然ではない。
田原は何か隠している。
手を口元に持っていく仕草は焦っている証拠だし、髪の毛を触る仕草は、嘘や隠し事をしている証拠だ。
目の前の人は、天馬の死についてなにか知ってることがある。
そう確信を持った私は、柄にもなく語気を強くして、隠し事をしていることを指摘した。
形振りなんて、構ってられなかった。
田原はまた目を見開き、何も言わずに俯いた。
とてもうるさい沈黙が流れた。外の雪が強くなってきた。
そして、天馬のお葬式の日から死んでいた田原の目から涙が溢れた。
田原は大きく息を吸い、私と同じくらい強い語気で、
「俺だって、俺だって、天馬の死に納得いってないに決まってるだろ!俺は親友だったんだぞ!」
そう怒鳴った。
「天馬と将来の話だってしたし、天馬からお前のこと好きなことも聞いてた。」
「天馬は、俺に、たくさんの人に、希望や光を与えてたんだ。」
「誰よりも未来が輝いてた。誰よりも死んじゃいけない人だったんだ。」
さっきの弱々しい田原は消え去り、力強い目で噛み締めるように言う田原に、嘘は一つも感じなかった。
沈黙を破ったのは、自分の手を自分を手で握りながら目を瞑り深呼吸をした、田原の呼吸音だった。
「俺も天馬の死に納得がいかなくて、天馬のお姉さんに聞いたことがある。」
「よく知らない、その場にいなかった、天馬は家では元から自殺傾向にあったって、それだけしか言われなかった。」
お姉さんの話が本当なのか、いままで私たちが見てきた天馬が本当なのか。
そっか、という力ない言葉が漏れる。
隠していることはそれだけか、と田原に尋ねる。
「ああ。」と言いながら、握っていた拳にもっと力を入れる。
分かった、と私が小さな声で言うと、田原の拳は解かれ手のひらが見える。
また、違和感を持つ私の胸。
拳に力ががいるのは緊張している証拠だし、拳が解かれるのは安心している時に見せる仕草。その仕草自体に違和は感じないが、いずれもタイミングがおかしい。
もし田原がまだ私に隠していることがあるなら、仕草のタイミングに説明がつく。
田原はまだ私に隠していることがある気がする。
私は田原に「いや、まだ。まだ私に隠していることがある?」と、さっきとは違う冷静な声で伝えた。
またうるさい沈黙が流れる。
それを破ったのは、涙を拭いながら「はは」と笑っている田原の声だった。
諦めたように、田原はひとしきり笑う。
「お前はすごいよ。まるで真実が見えているみたいだ。天馬が好きになる気持ち、少しわかる。お前にかなう気がしない。」
「でも、言えない。天馬との約束なんだ。好きな人には知られたくない、と。そう言っていたんだ。隠し事を隠し事のまま消化してくれ。」
田原だけではなく、天馬からもお願いされたような気がして、何も言えなくなる。
天馬の好きな人という位置ではない田原に、羨ましさを感じて急に天馬が遠く感じて私の頭に霧がかかる。日に日に天馬は遠くなっていって、私だけがあの夏に取り残される。
「な、泣くなよ!悪い。無神経なこと、言ったかもしんねぇ。」
少し泣く演技をしてみた。
泣きたいけど涙が出ないのだ。
泣きたい気持ちは本当だから、これは嘘の涙じゃない。
天馬のためならなんだってやる自分に、少し引く。
天馬への執着と未練に自分は狂っていることなんか、とっくにわかってたのに。
少し経って田原は口を開く。
「お前はさ、どうなれば納得できるの?」
確信をついた質問に息を呑む。
「天馬の死に際が知りてぇの?天馬に関わっていたいの?それとも、天馬の自殺の全ての真実を突き止めたいの?」
違う違う。そのどれもなにかが違う。当てはまらない。そんな理由なら、睡眠も時間も失ったりしない。
この永遠に続く胸の違和感をなくしたいだけ。
田原は質問の答えを見つけようともがいている私を見て、ため息を吐く。
そして何かを決めたような目で私を見る。
「分かった。話すよ。その代わり、俺にも協力してくれ。天馬の死の真相を探す協力。」
驚いて思わず「え…」と情けない声が自分から出る。
思わぬ展開に戸惑うものの、私にとっては断る理由のない申し出に頷く。
田原からの覚悟の混じった目に思わずもう一回頷く。
「天馬との約束、守らなかったこと、あっちにいったら謝らなきゃな。」
懐かしむような悲しむような、なんとも言えない儚い微笑みで、大雪の降る窓に視線を映す田原。
ありがとう、と咄嗟に口に出すと、田原をこっちを見てにこりと笑い、すぐ視線を窓に戻した。そして、徐に口を開け言った。
「天馬はさ、虐待されてたんだ。多分親から。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます