第19話 かわいいは正義
次の日の朝、僕は臨時医療所へと向かった。
医療スタッフや家族以外には入る事が出来ない事になっていたが、僕が薬師と言う事とリリさんの口利きもあって、入る許可が下りたようだ。
「患者さんたちは精神的に不安定ですので、どうかお静かにお願いしますね」
ここのお世話をしているシスターさんには、くれぐれもと念を押された。
孤児たちが使っていた寝室が臨時の病床となっており、三十人ほどの人たちが入所し治療を受けているとの事だ。大方の者達は順調に回復に向かっているのだが、リンの弟エルンも含め、数人の治療の目途は立っていないと言っていた。
「確かリリさんは、一階奥の左側の診察室に居るって言ってたよな」
シスターさんが教えてくれた部屋の扉は開いていたので、恐る恐る中を覗いて見ると、リリさんはそこに居た。
リリさんは聖職者と思われる小柄な男の人と真剣に会話している。足首までの長さの黒い衣服を身にまとっている男は、リリさんと同じように背中に小さな羽根を持っていた。
リリさんが覗いている僕に気が付くと、ニコリと笑って中へと手招きしてくれた。
「アキト君、よく来てくれたね。紹介するよ。こちらが正教会本部から派遣された司祭様、私の兄でもあるけどね」
背中を向けていたリリさんのお兄さんだと紹介された男は、振り向くと僕に向かって正教会の挨拶をする。リリさんと同じように小柄な童顔ではあるが、さすが司祭の地位まで上った人物だ。物腰柔らかで優しそうな面差しではあるが、荘厳な雰囲気を纏っていた。
「あなたがアキト君ですね。妹からは、まだ若いのに優秀な薬師だと聞いていますよ」
そう言うと、僕に近づいて握手を求めてきた。
「どうも初めまして。アキトです。それと、こいつは相棒のハルさんと言います」
僕の肩に乗っているハルさんも紹介した。
「ほお、これはこれは、かわいい相棒君だね」
司祭様はハルさんを撫でていいですかな? と僕に聞いてくる。ハルさんに確認すると、何故だか偉そうな態度で……。
『ふむ、苦しゅうない。少しだけならイイぞ!』
などと宣い、僕の手の方に下りてくるハルさんの姿に苦笑しつつ、大丈夫な事を告げ、ハルさんを司祭様へと差し出すと、彼は嬉しそうにハルさんを受け取り撫で出した。僕以外にはあまり触られるのを嫌うハルさんだけど、『まぁ、今回だけだかんな』とか言っていたけど、そんなに悪い気はしてないようだ。
今まで荘厳な雰囲気を纏っていた彼が豹変しての、そのこぼれ落ちそうな笑顔を見つめていると、ふと『ああ、この人は信頼できる人なんだ』そう感じてしまった。
「いやぁ、とても可愛いな。私は本当に生き物が大好きでね。特に小さく可愛いものに目がないんだよ」
僕の肩に戻っていったハルさんを名残惜しそうに見つめている。実を言えば、そんなあなたも、その小さく可愛いものの仲間なんだけどなぁっとは思ったけど、流石にそれは言えなかった。
「私はこの地の教会の不祥事を調べるために派遣された者で、クリストと言います。お見知りおきください。君たちの事はマクブライン様から聞いていますよ。今回は大活躍だったそうですね。我々もとても感謝しているのです」
「いえ、偶然ですので、お気遣いなく。ところで真剣にお話なさっていたようなのですが、お邪魔ではなかったですか?」
そんな僕の言葉に二人は顔を見つめ合い、同時に溜息をついた。
「それがね。君がダンジョンで出会った少女の弟が目は覚ましたのだけど、心ここにあらずの人形の様になっていてね。どんな術でも全く反応がなくて……」
「そうなんだよ。私たち種族が持つ聖霊力でもダメだったんだ。そこで、他に何か方法はないかと相談していたんだ」
王都の高名な医者に診てもらった方がいいのではないか? そう相談していたそうだ。
「あ、あのう。良かったらその子を見舞っていいですか? 姉の少女とちょっと関わちゃった事もあって、他人事には思えなくって」
今日、僕がここに来た理由は、僕の種族固有能力である精神力を安定させる<ヒーリング>、この術で効果が有ればいいなと思ったからだ。
だけど、前もってそれを伝える事で、リンちゃんにむやみに期待されてしまって、それが効果がなかった時の落胆は大きいだろう? そう思い、その事はあえて言わずに、ただの見舞いって事にしたわけだ。
「ええ、もちろん。二階の一番奥の個室にいるわ。リンちゃんを励ましてあげて。あの子は本当に一所懸命に弟の……」
リリさんはそこまで言って、兄の顔を悲しそうに見つめてから、再び話し出した。
「そう、一所懸命に弟の世話をしているの。その姿が本当に健気で涙ぐましいわ」
僕は二人に許可を貰って、二階にあるエルン君の部屋へと一人向かった。
◇◇◇
部屋をノックすると、中からか細い返事があり、扉が少し開いて、その細い隙間からこちらを伺う影があった。「あ」っと言う声が聞こえたかと思うと、パンと扉が勢いよく開く。
「お、お兄ちゃん! 来てくれたんだ」
部屋から出てきた少女は、以前の薄汚れた粗末な身なりで、拗ねた目をこちらに向けてきた時とは打って変わっていた。清潔な服を着て身綺麗になり、初めて会った時の、あの鋭い睨みつける様な視線ではなく、とても心細げな様子で目は赤く泣きはらしたような跡がある。
「あの時はごめんなさい」
少女は勢いよくペコリと頭を下げた。
「あたし、あんな失礼な態度をとったのに、それなのにエルンを助けてくれてありがとう。でもでも……」
そこまで言うと、大きな二つの目から大粒の涙が零れた。
「エルンが、エルンが……助けてもらったんだけど……」
そして、とうとう、泣き出してしまった。
◇◇◇
僕は泣き出した少女の肩を抱き部屋へと導くと、ベッドの脇にある椅子に座らせた。慰める言葉が見つからず、頭を撫でる事しか出来なかった。
「お兄ちゃん、ごめんね。ちょっと取り乱しちゃった。もう大丈夫だよ」
ベッドには小さな男の子が座っている。虚ろな目をした男の子は、意思を持たないまるで人形のように座っていて、いつずり落ちても可笑しくない状態だ。それに気付いたリンは、涙を手で拭うと、ベッドへと足を運んで、きちんと座らせてあげていた。
「意識が無かったエルンがね、やっと目を覚ましたんだ。だけど……。こんな状態になっちゃってた」
リンはグスンと鼻をすする。
「怖かったんだよね。お姉ちゃんが側にいなくてゴメンね。もう大丈夫だから。ずっと側にいるから。だから……お願いだから。戻ってきていいんだよ」
リンは弟を抱きしめて、優しく語り掛けながら背中をさする。
僕は何て声をかけていいか判らず、ただただ黙って見守る事しかできないでいた。しばらくしてからリンは落ち着いたのか僕の方に振り返り―――。
「あたしがエルンを守るって決めたんだもん。メソメソ泣いてなんていられないよね。えへへ」
自分の涙を袖で拭くと、おどけた笑顔を僕に向けて謝ってきた。
「謝ることはないよ」
そう言って、リンの頭を再び撫でた。そしてお見舞いとして持って来たハチミツで作った飴を渡すと、リンにハルさんを紹介する。
「リンちゃん、この子はハルさん。ちっちゃくて可愛いだろ? 僕の大事な相棒さ。ところで、リンちゃんはアニマルセラピーって知ってる?」
「アニマルセラピー? ううん? 何それ?」
リンはキョトンとした顔で首を横に振った。
「それはね。可愛い動物と触れ合う事で、心を癒そうって方法。可愛いは正義だからね」
アニマルセラピーは、ストレスの軽減や不安や緊張の緩和、リラックス効果などなど。色んな心理的な効果以外にも身体的にも社会的にも、様々な効果が期待出来るとされる療法だ。
「ちょっといいかな?」
僕はリンに了解を得て、ボーっとした状態で座っているエルンの両手の掌を上にして、その中にハルさんを乗っけて、その手をリンの手で包ませた。
「エルン君、ハルさんだよ。見えるかな? ほら、小さくてかわいいだろ?」
そう声を掛けながら、彼の小さな手を動かしてハルさんをそっと撫でさせた。だけど、エルンの目から光はない。リンにもエルンに向かって声をかけ続けるように伝える。
「エルン、エルン。お願いよ、帰ってきて」
そして、エルンの両手をハルさんごと僕の手で包むと、ゆっくりと<ヒーリング>を掛けた。エルンからの反応はもちろん無い。ハルさんを撫でさせながら、柔らかい光はエルンを包み込み、その状態で僕とリンはずっと声をかけ続けた。
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