地獄腹の家
こばゆん
第1話 プロローグ①
ときどき、何かに喉を押さえつけられるように苦しくなった。
声を出すのが辛くなり、ただ相槌を打ってやり過ごす。
今もそうだ。
なんとか言って下さいと
助け舟を求めるように祖母を見る。
八十過ぎの祖母、
「世間は男子が継ぐのが当たり前ですのに、どうして篤人さんでは、いけないのですか」
篤人は内心辟易した。
(葉月さん、そのセリフ、何度目ですか……)
篤人の家、
だがそれは、家の外門から。
母屋を出て広大な庭園や内門、生い茂った樹木を抜けて、駅に到着するには、全速力で走っても、三十分以上は掛かる。
その王来寺家は代々、女系相続が続いていた。
女ばかりが産まれただけではなく、血縁に男が生まれても短命または、素行が悪く後継に相応しくないと、除外されてきた。
篤人はそのような家に嫡男として産まれた。
その後妹でも産まれれば女相続人ができて、親類縁者皆が万々歳だっただろうが、篤人の母親は篤人一人を産んで早くに亡くなった。
いとこ——母親の妹の子供——との縁組は、早い段階で周囲が決めた。
同い年のその子からも『あっちゃんと結婚したい』と、言われた。
篤人が異論を挟む余地はない。
ところが去年、この縁談に暗雲が立ちこめた。
婚約者の父親が、王来寺の名前を使い、投資詐欺で世間を賑わせたのだ。
女たちは大騒ぎをし、婚約解消を訴えて、篤人と自分の娘との縁組を画策し始めた。
母親の死後、篤人の母親代わりであり、この家の家政を取り仕切る葉月は、女系相続撤廃を言い出した。
「あのような人の子供と結婚だなんて、篤人さんがお可哀想です」
(いや俺は、ノリノリですよ)
「第一、その子の名前も伺っていませんよ」と葉月。
(そうですか? 聞いたけど、忘れたんじゃないですか?)
黙り続けていた静江が、小さく言った。
「
篤人は驚いて、祖母の顔を見た。
(違うよ、おばあちゃん! ボケたの?)
静江はじっと目を伏せたままだ。
「まずは、その桐子さんにお会いしてから判断します」
葉月は、ピシャリと言うと、行きますよという目で、篤人を見た。
篤人は黙って立ち上がった。
葉月の後ろに従いながら、静江をチラリと見る。
静江は目だけで篤人を見て、微かに首を振った。
(黙ってろってこと? あの子のことは、言わない方がいいんだね?)
篤人はうなずき、部屋を出た。
篤人は母屋とは別に、自分専用に造らせた離れに住んでいる。
元は中学から始めたバスケの練習用の建物だが、そのまま住み着いた。
自分の居室に入ると心底落ち着けた。
呼吸するのも楽だ。
部屋に入ると、最近憂鬱になってきているが、スマホを開いた。
婚約者からのメッセージをチェックするが、何も来ていない。
LINEの交換を申し出たのは、篤人からだ。
それ以来、何度もメッセージを送っているが、既読がついても相手からの返信は来なかった。
この一週間は、篤人も何も送っていない。
(……嫌われてんのかな)
それぞれの母親の前で結婚の約束をしたのは、小学校に上がる前だった。
——あっちゃん、大好き。
そんな言葉をいつまでも鵜呑みにしている自分がバカなのか……。
(婚約解消したいって、言ってくれれば、いつだって応じるのに)
スマホをベッドに放り投げて、シャワールームに向かおうとしたら電話の着信音が鳴った。
友人のハルからだった。
『明日、みんなで飯食おうぜ。
「身内に不幸があったんだっけ?」
声がスムーズに出る。
『アイドル復活で、今日は上級生のみなさん、和やかでしたよ』
「テニス部って、気持ち悪い人、多いよな」
『秀一なんて、女の代用品だけどよ、多聞にコクった奴いんだぞ』
「ウソだろ⁈ まさか、
『なんで、怜ちゃんなんだよ』
「……バスケ部、異性交友も同性交友も厳しいんだよ」
「君たち、修行僧なの?」
「あいつ三年抜けたら絶対、七番もらえるし」
『この間、怜ちゃんと合コン行った』
「俺も呼んで」
『フィアンセ、どうした。俺、あの子の顔、覚えてるぞ』
「……会ったの、かなり前だろ?」
『お前んとこで、水遊びしたじゃん。スクール水着、着てたよな。めっちゃ可愛いかった』
「……」
『スクール水着って、よくね?』
「わかる」
ノックの音がした。
「人が来たから、切るよ」
篤人は電話に出ながら、ドアに向かった。
『また明日』
「ん」
スマホをポケットにしまい、ドアを開けた。
葉月が立っていた。その後ろには、小柄な弥生がオドオドと篤人を見上げている。
「お休みのところすみませんが、非常事態です」
葉月の顔が緊張していた。
「篤人さんにお見せして」
葉月に言われた弥生が、おずおずと何やら紙を差し出す。
「内門に貼り付けてあったそうです」
受け取った篤人は、驚くより感心した。
(……本当に切り貼りしてるよ……こんなの、アプリがありそうだけどな)
新聞か雑誌から文字を切り抜いて作られたその手紙には、こう書かれていた。
『美也子の娘との結婚を取りやめろ。さもなくば、王来寺の家に災いが起きるぞ』
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