第3話 妻失格なんじゃない?

 ダニエラに、当家で侍女として雇えるということを伝えると。彼女はこちらが心苦しくなるほど大げさに、何度も何度も感謝の言葉を口にした。そんな彼女が古い服しかないことを恥ずかしがっていたから、支度金代わりにと仕立て屋を呼んだら、その請求は女主人である私のドレスより倍近くも値の張るものだった。しかしそれは彼女の元の家柄を考えるならば、気づかずとも仕方のないことなのかもしれない。


 だがそこで感謝の言葉を惜しまぬ彼女に遠慮して、しっかりと釘を刺しておかなかったことを……私はすぐに、後悔することとなる。


 ダニエラのことは女主人の侍女レディズ・メイドとして雇ったはずだったのに、やがて彼女は本来侍女が担うべき業務を他の使用人に押し付けて、まるで自分が女主人の話し相手レディズ・コンパニオンであるかのように振る舞い始めた。いつしか当家の使用人達を、我が物顔で使う側の人間になっていたのである。


「私が見立ててあげるから、もっと最新のドレスを仕立ててはいかが?」

「私が同行してあげるから、もっと社交行事へ参加してはいかが?」

「私が仕切ってあげるから、もっとパーティなど主催してはいかが?」


 彼女はそう提案しては、私が断ると途端に不機嫌になった。


「夫のための社交を疎かにして、しかも未だに子供すらできないなんて、あなたって妻失格なんじゃない? 二人の仲は冷え切っているに違いないって、みんな噂してるわよ?」


『みんな』と転嫁しているけれど、これは彼女自身の感想だろう。


 そんな彼女はある日とうとう入室を禁じていたはずの夫婦の寝室にまでスルリと入り込んできて、寝台が二部屋に分かれているのを見つけると、勝ち誇ったような声音で言った。


「あらあなた、寝台すら共にしてもらえてなかったの? どうりで子供ができないわけだわ! 殿方を誘う手管、私が教えてあげましょうか?」


 さすがに不快だ、次に不躾ぶしつけな振る舞いをしたら辞めてもらうと伝えたが、しかし彼女は笑って「また、この程度で何言ってるの!」と一向に取り合おうとしない。完全に舐められているのだと馬鹿な私がようやく気付いた、そのとき。


「もしかして旦那様、男性の機能の方に問題があったりするのかしら?」


 とうとう笑いながら夫のことをあげつらわれて、私の怒りは限界に達した。


「貴女を解雇するわ。今すぐここから出て行って!」


「はぁ? ちょっと、何いきなり怒ってるのよ!」


「いきなりではないわ。私はずっと、こういったことは不快だからやめてくれと伝え続けていたはずよ!」


「だから、このぐらいいつもの冗談に決まってるでしょ!? 私に行くあてが無いのを知ってるクセに、その弱みを盾に脅すなんて、なんてひどい仕打ちかしら! 労働階級保護局に訴えるわよ!?」


 人権意識の高い戦勝国の指導により、ごく最近に作られた組織の名を挙げられて、私は唇を噛んだ。私の失態が原因で、彼の不名誉になってはいけない。


「では法に定められたひと月の猶予をあげるから、その間に退去の準備をしなさい」


「はぁっ!?」


「それとも、やっぱり今すぐ出ていくの!?」


「チッ……分かったわよ! 大して良い女でもないクセに、自分ばっかり良い思いして! どうせ私を雇ったのだって、不幸な者を下に置いてあわれんで、自分が気持ち良くなるためだったんでしょう!?」


「貴女がそういう人だから、他人もそうだと思うのね。一緒にしないで!」


「なによ、優等生ぶって嫌な女! 絶対に、後悔させてやるから!!」


 ダニエラはもはや貴婦人とは思えないような舌打ちを残すと、鬼のような形相で私の部屋から出て行った。どうやら彼女は私室として与えられていた客間へ戻ると、そのまま鍵を掛けて閉じこもってしまったらしい。私は手早く解雇の手続きを進めながら、一カ月間なにもせずに期限を迎えるつもりかと、まだ少しだけ心配していた、その夜――騒ぎは起こった。


 いつも通り自分の部屋で眠っていると、隣室から大きな物音が響いた。内容までは分からないが男女の争うような声が響き、私は急ぎ隣との間をふさぐ鍵を開ける。懸念した通り。そこに広がっていたのは、夜着やぎの前をはだけさせた姿のダニエラが、駆けつけた従僕に取り押さえられている場面だった。


「これだけの騒ぎを起こせば、急な解雇もやむなしと判断されるだろう」


 ――夫のその一言でダニエラは寒空へと放り出されたが、私はもう、少しも同情する気にはなれなかった。


 そんなことよりも、私はアベラルド様の信頼を裏切る、なんて酷いことをしてしまったんだろう。彼があれほど嫌がっていた夜這いを、結果として私が手引きしてしまっていたなんて! 何のために彼は私と契約してまで、防波堤となる『妻』を求めたのか。それはこういう状況を、避けるためではなかったか――。


「私が考えなしに貴方の家に他人を入れてしまったせいで、本当に申し訳ございません! 居候の身で、なんというご迷惑をおかけしてしまったのでしょう。ここで見聞きしたことは、絶対に一生口にしないとお約束します。だから私も、どうか契約を解除して、解雇してくださいませ……!」


 地に伏せてぬかづく私の肩を、大きな両の手が包む。そのまま抱き起された私の目の前には、珍しく焦るかのように歪められた彼の顔があった。


「こんなこと、君がする必要はない! 君は俺の妻なのだから、ここはもう君の家でもあるだろう!? 全てはそんな君の優しさにつけ込んだ、あの女が悪いんだ。君のせいじゃない!」


「いいえ、私は貴方に助けてもらえて、運が良かっただけなのです。あのまま暮らしに困窮していたら、今ごろ身も心もひんしていたのは、私の方だったのかもしれません……」


 私はけっして、高潔な未亡令嬢なんかじゃない。自ら現状を変えに動くことができなかっただけの、ただの貧しくて無力な女だった。今のこの幸運は、この人の親友の婚約者であったという、ただそれだけのものにすぎない。


「いや、窮したときにこそ、人は本性が現れる。この現状の違いは、心根の違いだ」


 迷惑をかけたのは私だというのに、彼は怒るそぶりを見せることなく、言葉少ないながらも私を気遣ってくれている。そう、私はもうずっと前から気づいていたのだ。いつも怖そうな表情かおをしているけれど、この人はただ不器用なだけで……本当は私なんかよりずっと、心根の優しい人なのだということに。

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