第3話 ドッヂボールと、ユリウスの思考
そして不安しか感じられない、本日の授業が始まった。
とても最悪なことに最初の授業は体育だ。
この学院には、学年以外で大きく分けて貴族科と普通科という二つの括りがあり、ジョージ達は普通科に所属している。
貴族科に所属出来るのは、その名の通り、貴族あるいは王族などの極めて高貴な人間だけだ。
ただし校舎や生活する寮すら違うため、一部の機会を除いてジョージ達平民ごときが彼らと接することはない。
普通科の、他のクラスの男子生徒達と合流し、グラウンドに集まる。
芝生が広がるグラウンドの別の方には、女子生徒達がそちらはそちらで集まっているのが見えた。
「そんっじゃあ、体育の授業するぞ」
ムキムキの腕を、冬が近い秋になってもまだ半袖で晒している四十代も半ばの体育教師は生徒全員を見る。
手元にある出席簿から生徒の名前と顔を照らし合わせ、ユリウスのところで止まった。
「あー……お前が、ユリウス・ヴォイドで合ってる、か?」
筋骨隆々とした教師も、ユリウスを見て一瞬固まった。
彼は貴族科の生徒も相手にしてきたが、しかし殺し屋のような生徒は見たことがないはずだ。
それでも顔に出さないで続けたのは、彼の教師としてのプライドだろう。
「そうだ」
反対に、臆することなど無いと言わんばかりにユリウスは頷いた。
運動のための服に着替えている姿を見て分かったことだが、ユリウスはその年齢にしては非常に体格が良い。
一見すらりとした体格だが、服を脱いでしまえばその下には、鍛えられた筋肉しか存在していなかった。
それも人に見せるための筋肉ではなく、実用的なものに感じられる。
服を着ている部分は何故か痩せて見えるが、その裾や袖からはみ出した腕や足の筋肉は、一般人のそれよりもずっと逞しかった。
ユリウスの着替えを遠巻きに見ていた生徒達すら見事な手足や胸腹の筋肉に驚いていた。
(……めちゃくちゃ見られてるッ……)
そしてユリウスは、非常に目立っていた。
此処に来るまでに通り過ぎた生徒達も、何も知らない貴族科の生徒達も、このどう見ても一般人離れした普通科の新入生に驚いてひそひそと会話をしていた。
一緒に移動していたジョージも、一緒になって目立ってしまった。
だというのに渦中の
「俺の本名は、ユリウス・ヴォイドだ」
教師に向かって、何処か誇らしげに名乗る。
向こうは名前を知っているのだからそう堂々と名乗らなくてもいいはずだが、彼にとってはそうでもなかったらしい。
「……なんだあいつ」
「変なの……」
「どんな事情があったら、入学式に遅れるんだよ」
「遅れて登場して、目立ちたいですってかァ?」
ギード達が忌々しげにしている呟きが聞こえる。
常に威圧する側だった彼にとって、ユリウスのように逆に威圧してくる人間というのは耐えられない存在だったようだ。
(これ、まずいんじゃない?)
ジョージは思う。
ギードは短気な人間だ。
まだ成人もしていない十三歳だから短気でも仕方ないかもしれないが、それに巻き込まれる側はたまったものではない。
そしてギードは、同じ普通科の平民でありながら、いかにも強そうなユリウスのことをもう既に敵視していた。
ジョージは慣れた。 ユリウスは、ギードのことなんか気にしないかもしれない。
でも、だからと他人がギードのご機嫌に巻き込まれることを、ジョージは見逃せそうになかった。
とにかくギードがどういった人間か、ユリウスにまず気付いてもらうしかない。
だがどうすればいいのか。
特に良い方法が思いつくわけでもなく、困りながらユリウスを注視する。
そう、気付いてもらえば。
気付いてさえもらえたら、ユリウスだって此処がどういう場所で、誰に目をつけられそうになっているのか、気付けるはずだ――――。
「先程から何の要件だ」
じっと見ていれば、ユリウスがジョージのことをぎろりという音がつきそうな勢いで見てきた。
やはり怖い。
というか、出来れば見ないでほしい。
「言いたいことがあるなら早急に言え」
(ひえええええ)
ジョージは心の中で悲鳴を挙げた。
怖い、めちゃくちゃ怖い。
ただでさえ落ち着かない状況なのに、続けてユリウスは、なんとギード達の方を見た。
「お前たちの口は何の為にある?」
「あ?」
短気なギードは、怒った顔をしてユリウスを睨みつけた。
同じくその友達もユリウスのことを睨む。
「ンだよ、まさかとは思うが、オレに言ってるって言うんじゃないんだろうなァ……?」
「そう聞こえないとすればお前の聴覚に問題がある。 医者に行くと良い」
ユリウスは、明らかに喧嘩を売っていた。
淡々と、相手を冷酷に見下したような無表情と声で。
「へ、えええ?」
短気なギードは明らかにキレそうになっている。
普通の感性をしていたら、こんな煽るような物言いなんて出来るわけがない。
見ているだけなのに、ジョージはもう倒れてしまいたい気分だった。
叫びたい。
出来たら逃げ出したい。
ギードとユリウスの間には、見えない嫌な火花が散っているように見える。
きっともう二人の仲は修復の出来ないものになってしまった。
「あああああああのォッ!」
たまらずジョージは慌てて声を張り上げた。
その場の誰もがジョージを見るが、そんなことに構わずジョージは手足を振り乱した。
「ユリウスくんは今日来たばかりだからよく知らないと思うけど、実はなんと魔法使いというのは基礎体力が重要で――」
「ジョージ・ベパルツキン、授業中だぞ!」
大慌てで手足を振り乱すジョージを現実に引き戻す、教師の声。
そっちを見れば逞しい体育教師が、笑顔を浮かべている。 目はまったく笑っていない。
「先生の話がそんなに聞きたくないってか? うん?」
「ごめんなさい!!!!」
勢いよくジョージが頭を下げた。
経緯を知っているのか、周りの生徒達は滑稽で愚かにしか見えないジョージを笑っていた。
自分があまりにも情けなくてジョージは顔が赤くなる。
咄嗟に叫んでしまったが、これが功を奏したらしい。
こんなに目立てばユリウスもギードも動けない。
実際、ユリウスは我関せずという顔を最初からずっとしているし、ギードだって教師に逆らう気は無いらしい。
こんなかきたくもない恥をかいてしまって、まだ運動する前であるにも関わらずジョージの服の中は汗でびっしょりだが、今にも起きそうだった『何か』を回避出来たという達成感はあった。
きっと戦争を終わらせた立役者はこんな気分だろう。
そして、ジョージはだんだん冷静になってきた。
(……僕、いったい何をしてるんだろう)
ギードみたいな人間には出来たら関わりたくないし、ユリウスみたいな人間にも出来たら関わりたくない。
別にモチちゃん先生に世話係を押し付けられたからってそれを全うしなくてもいいはずだ。
だって、ジョージだって入学してまだ二ヶ月目なのだから。
案内してあげてとか言われても、そんなのジョージに言われても困る。 力不足だ。
なのにこんなことをして、今度はジョージがギード達に睨まれている。
(そうだよ、あっちだって別に僕が居なくても平気そうだ…………うん、関わらないでおこう)
ジョージは覚悟を決めて、自分で自分を励ます。
ユリウスに下手に関わると、ギードどころか貴族科の生徒に目をつけられてしまいそうだ。
ジョージのようにちょっと才能があったからって入学してしまったごくごく一般的な平民は、ありとあらゆる意味で貴族に勝てるわけがない。
有名らしい魔法使いの一族出身のギードにすらとても敵わないのだ。
ギードなんかよりもっと上の、強くて偉い貴族科の生徒達には届くはずがないのだから。
状況をよく分かっていなかったらしい教師は、やれやれとため息を吐いた。
「まったく、いつまでも新入生気分じゃ困る……では、本日の授業を始める」
魔法学院といえども、入学したての新入生が行う『運動』とは基礎的な体力を身に着けることだ。
てっきり魔法を使った決闘か何かをするのかと思えばそうでもないらしい。
というわけで、まず最初に始まるのは軽い運動。
軽く体を動かして、体をあっためる。
こんな事をしているとユリウスやギードだってジョージと大差ない、ごく普通の少年たちに見えた。
「よし、じゃあ今から行うのは――なんと、あのドッヂボールだッ!!」
熱血風の体育教師は、そう言って声を張り上げた。
ドッヂボール。 あの。
(……なにそれ?)
ジョージは心の中で首を傾げた。
知らない言葉だ。 ボールとつくからにはおそらく球技なのだろう。
だが今まで勉強しかしてこなかったジョージが、スポーツなんて対極に位置するものを詳しく知っているわけがない。
ジョージはそっと辺りを見渡すが、『ドッヂボール』なるスポーツを知っていそうな生徒が見当たらない。 誰もが『なにそれ』という顔をしていた。
ユリウスのこともちらりと見てみたが、微塵も表情は変わっていなかった。
つまり誰も聞いたこともない、非常にマイナーなスポーツということだろう。
「うむ、どうせ誰も知らないと思った。 心配するんじゃない、毎年説明している」
そう言って、体育教師はグラウンドの一部を指さした。
そこには白い線がとても大きな長方形を描いていて、またその中央を分割するように白い線が引かれている。
たぶん、あそこで行うのだろう。
「そう難しい決まりは無い――」
そう言って教師が説明するところによると。
まず二つのチームに分かれて、長方形のそれぞれへと入る。
更に、二つのチームから一人ずつ、自分が所属していないチームを枠の外側から挟むように反対の方に立つ。
枠の内側に居るのは生者。 外側に立つのは死者だ。
ボールが一つ渡されて、これを相手チームへと投げてぶつける。
頭はセーフだが、肩から下にボールが当たれば『死者』とみなされる。
ボールを当てられた死者は枠の外側に出て、生者である仲間と共に相手チームを外側から挟む位置に立つ。
こうして死者を増やし、最終的に相手チーム全員を死者にした方の勝ちらしい。
もちろん、投げられたボールを受け止めてもいい。
そうして相手に投げ返し当てるか、死者に投げて向こうから狙ってもらってもいいようだ。
そして、もしも死者が相手チームの生者にぶつけることに成功した場合、蘇生することが出来る。
(……つまり、これは戦争ということ?)
ルールを聞かされてもいまいちピンとこない。
死者だの生者だのと言うから妙に物騒に感じるが、つまり、全部避けるか受け止めて攻めるかのどっちかしかないスポーツだ。
更に教師は続ける。
「ああそうそう。 このドッヂボールは、魔法の使用が禁止されている。 身体能力を向上させる類も、ボールを動かす魔法も、ボールを防ぐ魔法も、全部だ」
「え?」
ジョージを含めた生徒達は驚いた。
此処はヴィオーザ魔法学院。 その名の通り、魔法を教わる場所。
だというのに『魔法を使うな』なんて、意味が分からない。
しかし教師は肩を竦める。
「全部避けてしまえばいいだけだろ?」
簡単に、そう言ってしまった。
「で、でも先生、魔法を教える学校のくせに魔法使うなって、そんなのアリなんですか?」
「そうですよ先生、せめて箒に乗るとか、ちゃんと魔法を使う、魔法使いらしいことを教えてくれないと、それは名門ヴィオーザ学院らしくない! 杖を使いましょうよ!」
「お前らは入学してまだ二ヶ月目の一年生だろうが。 そういうのはもっと慣れてから、体力と筋肉はありとあらゆる分野の基礎だ。 いいからチーム分けするぞー」
教師は生徒のことなど相手にしていなかった。
~・~・~・~・~
事情があって皆から遅れ、入学初日。
それまでの人生ではじめて、同年代の少年達と共に授業を受けることとなったユリウス――――本名エドゥアル・アマルディは、少し呆れていた。
ただ今、体育の授業。
ドッヂボールとかいうユリウスも知らない球技をいきなりやろうと言われ、とりあえず適当に枠の片方に入った。
チーム分けも『とりあえずこっち』『誰も居ないからこっちで』という雑な理屈だ。
そして、全生徒の名前を張りきって覚えたユリウスの記憶によれば、ギードというらしい男子生徒は、ユリウスが立っているのと反対のチームから睨み付けていた。
これを見てユリウスは思う。
(見ているだけでなく、口に出して言いたいことを言えばいいものを……)
ユリウスはずっとギードから睨まれていた。
もちろんギード本人としては『なんだこいつ』という意味なのだが、ユリウスにはそう思われていなかった。
彼は今のところ、自分の置かれた状況をなんとも思っていなかった。
だがそれはジョージが思っているような『他人なんかどうでもいい』というような理由では決してない。
むしろ逆だ。 正反対と言ってもいい。
(お前達も、やはり
――――と。
ユリウスはギード達の言動を、そういう風に解釈していた。
ユリウスは別に、山奥で一人育ってきたわけではない。
幼い頃にある事情で出会った師匠に拾われ、ずっと育てられてきたが、これまでの間で師匠の知り合いや同業の人間、他にも様々な人間に会ってきた。
師匠の真似をしたり、他の人の真似をしたり、会話もたくさんしてきた。
町に出て、普通に買い物をすることもある。
歩いていて急に話しかけてきた複数の相手と、友好的に会話を終わらせることも出来る。
たまに怒らせることがあったところで、そういう相手とも最後には仲良く出来ると思っている。
ユリウスは、そんな自分のことを『コミュニケーション能力のしっかりしている、特に問題の無いごく普通の人間』と思い込んでいた。
師匠やその周囲の人間からは『ちゃんと話せば良い子だから』『師匠よりはマシ』と会話を成立させてきた。
そのせいで、自分の容姿や言動が、他人にとってどう見えるのか。
『自分が思っていることをはっきりしっかり伝えられていないどころか、大いに誤解させている』という客観的な事実に、ユリウスはまるで気付かなかった。
大らかかつ前向きすぎて、相手が怒ったところで自分が嫌われているという認識にまでは至らなかった。
よってユリウスの自己に対する認識が訂正される機会は無く、仮に指摘されたところで大きな問題としては扱われず、此処まで育ってきてしまったのであった。
(俺はとても幸運だ。 初日からいきなり、良き友にに恵まれた)
ユリウスはまず最初に同級生たる生徒達に自己紹介した際のことも『大成功』だと信じていた。
本人だけは。 とても真剣に、前向きに。
(師匠が言っていた……『笑顔と誠意で仲良くなれない相手など居ない』と……流石だ師匠、師匠の言葉はとても正しい)
その証拠に同級生のジョージ・ベパルツキンという少年は積極的に話しかけてきてくれた。
それどころか、初対面にも関わらず『道案内をしようか』とまで申し出て来てくれる。
なんと親切で心優しい人なのだろう。 ユリウスはとても感動していた。
おかげでちょっと緊張していたユリウスは緊張することをやめて、相手に友好的な笑みを浮かべることが出来た。
ジョージという男子生徒は、悲鳴をあげるほど喜んでくれたようだ。
(師匠が言うには『共に楽しく会話をし、行動をする』と『共に居て苦痛でない』、『互いを高め合うことが出来る』『同じ趣味を持つ』などが友達の条件らしい。 つまり)
ユリウスはふつふつと沸き上がる感動と共に考える。
(つまり、複数の条件を達成出来た俺には、もう友達が大勢居るということだ。 この調子なら、卒業までに友達を千人作ることも夢ではないだろう。 師匠も喜んでくれるはずだ)
師匠には、可能な限り毎日手紙を書いて報告するつもりだった。
しかし書く内容に困ってしまうのではないかと少し不安だったが、入学して僅かな時間でもうたくさんの友達を作れたという報告が出来るだろう。
師匠はユリウスが子供らしくないことを気にしているらしかった。
ユリウスとしては拾ってくれた師匠への恩返しの方が優先なので、呑気な学院生活になど興味は無かったが、師匠が心配しているなら仕方ない。
師匠が喜んでくれるなら、一万人だって友達を作ってみせよう。
(まずはジョージ・ベパルツキン達について書く、べきだが)
が、肝心のユリウス自身は、あまり喜べていなかった。
(しかし今のところ『楽しい』という感情にはならない)
そこが問題だ。
師匠が言うには、友達というのは居ると楽しいものらしい。
だが現状のユリウスは、複数の友達を得たところで、自分の内に何かの変化が訪れたとは思えなかった。
『楽しい』というのはこうではない、と思われる。
(まだ何か足りないのだろうか。 俺にはこんなにも友達が居るというのに)
しかし、何が足りないのか、肝心の部分がさっぱり分からない。
(彼らと更なる友好を結ぶようになれば、師匠の言う『楽しい』が理解出来るのだろうか……)
ユリウスとユリウス以外とで種類の違う違和感を覚えながら、ドッヂボールという球技が始まった。
簡単に抱えられる程度のよく跳ねるゴム製のボールが一つだけあり、どうやらこれを用いるらしい。
あんな大きさでは、誰が全力で投げたところでたいした怪我にはならないだろう。
(懐かしい、師匠とよくこういう遊びをしたものだ)
師匠との場合は、師匠の無限の腕力と体力によって岩を投げるか投げられるかだったが。
それでも、とても懐かしい遊びだ。
ルールも分かりやすくて良い。
自分の生存を優先するか、相手を減らす方を優先するか、どちらでも勝利に貢献出来る。
通常なら嫌悪される『恐怖で逃げる』ですら肯定され、生徒の多様性に配慮していると言っても過言ではない。
まずユリウスが居る側から一人の男子生徒によってボールが投げられるが、思ったほどの勢いでは飛ばせなかったらしい。
高さだけはついたが、見た目ほど距離は伸びなかった。
相手の陣地の内側をポンポンと跳ねていく。
それを拾ったのがギード・ストレリウスという、ずっとユリウスに熱い視線を送っていた男子生徒だった。
彼はボールを小脇に抱えると、ユリウスに向かってニヤリという笑みを浮かべた。
「そこの転入生! 避けるんじゃあねぇぞ!」
そう、ユリウスに向かって大声で言う。
これは避けるゲームなのだから、そこを『避けるな』とは大した物言いだ。
それはそうと、ユリウスはとりあえず訂正を入れる。
「俺は遅れて来ただけだ。 転入生ではない」
師匠の試験として、ちょっと遅れてしまっただけである。
それを分かっているのかギードは顔をしかめて、ボールを投げるべく構えた。
ユリウスと同じチームである生徒達は、ジョージを含め、全員がギードとユリウスの間から退く。
ユリウスから見てギードという少年は、その年にしては鍛えられた肉体を持っていた。
ただし、実戦的ではない。
健康を維持するために運動していた、という程度だろう。
それでも他の生徒達よりは、生まれもっての体に恵まれているらしい。
あの長い手足から繰り出される投げは、それなりのものになるだろう。
(ただその上で、俺があれを避けることは容易だろうな)
此処に居る生徒達は、あくまでも平和な日常を生きてきた生徒達だ。
他人を殺すどころか戦うことすら未経験に違いない。
ユリウスは幼い頃から師匠の元、第四魔法騎士団という、この国に公式では存在しない数字を持つ部隊で戦ってきた。
第四魔法騎士団はあまり世間に公に出来ないような事件の対処、または非常に危険な犯罪者と戦う部隊だ。
そういう殺伐とした経験を持つユリウスから見れば、殺意すら無いボールなど大した脅威にはならない。 避けるのも、おそらく容易だろう。
(しかし『避けるな』と言われた。 ならば彼の
ユリウスの中で、ギードはもう友達になっていた。
きっと彼がいちいち睨んでくるのも、照れているからだろう。
ユリウスとしては今から急に態度を変えられても気にならないが、人には恥じらいやプライドというものがある限り、それも簡単ではないはずだ。
ギードはボールを構え、放った。
狙いは正確だ。 ユリウスの肩を狙えている。
だが速度は悪い。 彼のあの筋肉なら、もっと速いものを投げることが出来るはずだ。
何より、あれではユリウスを『死者』にするにはとても足りない。
それでもユリウスは相手への誠意をもって、ボールを避けることはしなかった。
ただし『受け止めるな』とは言われていなかった。
なので、ドッヂボールのルールを守り、ユリウスはそれをちゃんと受け止めた。
「…………」
「…………」
ギードがユリウスを見て、驚いている。
避けなかったのが意外だったのか、それとも別の理由があるのかは不明だ。
すぐにギードはユリウスに向かって吠えた。
「おい、お前ェ! 何ボール取ってンだよ! 取ってンじゃねえよ!!」
「『取るな』とは言われていない」
さっきのギードの発言が『ユリウスはボールを避けないし受け止めてもいけない』という意図をもっていたのだとしても、あれでは言い方がとても悪い。
ギードは悔しがって地団駄を踏む。
どうやら、あれでユリウスにはボールを取ることが出来ないと思ったらしい。
(……あの程度を『受け止められない』と思われていたのだとすれば、俺はずいぶんと甘く見られているようだ)
ユリウスは思う。
ギードのあの体格なら、もっと速く投げられるはずだ。
それでもユリウスには簡単だったと思うが、死ぬ気でやれば何が起きるのかそこはユリウスにも分からない。
そこでユリウスは、ギードに二度目の機会をあげようと思った。
ボールを投げるのではなく、ギードの方へを軽く転がして渡す。
その場の全員が驚いた顔をしていた。
ギードすら、足元に転がったボールを呆然と眺める。
「はぁ!? どういうつもり、だよ、お前……!!」
「大したことはない」
ユリウスは小さく首を横に振る。
「お前にもう一度投げさせてやる」
きっと彼は、死ぬ気でやればもっと良いボールを投げられるはずだ。
ユリウスはそう確信していた。
ドッヂボールとかいう球技が初めてだったから、下手になってしまったに違いない。
だったら、二度目があれば、もっと速いはずだ。
(俺としても、より強い相手を戦えるのはとても望ましい展開だからな)
べつに同世代の人間に、ユリウスが苦戦するような相手が居ることは別に期待していない。
が、何事もやってみないと分からない。
此処にはユリウスよりも恵まれた才能の持ち主が居るはずで、きっとユリウスより実は強くなれる人間だって居るのかもしれない。
だとすれば今はとても弱かったとしても、いずれはユリウスと『互いに高め合う』関係になれるだろう。
(俺がより強くなれば、師匠も喜ぶはずだ)
ユリウスの人生における最終的な目標、最強の師匠を超えることだった。 それが師匠への最大の恩返しだ。
そのためにも、せっかくの学院を利用しようと思っていた。
「へ、え? さっきから、さっきからずーーーーっと、俺のことナメてんじゃねえぞ、この野郎……!!」
ギードは笑いながらボールを拾う。
どうやらユリウスの気持ちが彼に十分に伝わったようで、ギードはぷるぷると震えていた。
あるいは、いかに自分の本来の能力に見合わない残念なボールを投げてしまったのか理解してしまったが故の、自己への怒りか。
どっちにしてもギードは向上心の塊のようだ。
やる気になってくれてとても良かった。 と、そうユリウスだけは喜んでいた。
~・~・~・~・~・~
(なんであんな煽るようなことを……!?)
人数の都合で、少ない方に行かされたジョージは、一応味方であるはずのユリウスの発言に驚いていた。
とても避けられないような速度のボールがギードから放たれた。
ジョージだったら避ける前に足に当たり、もしかしたら無様に転んでしまって、皆から嘲笑されていたかもしれない。
しかしユリウスは、なんとボールを片手で受け止めてしまった。
その場で立ったまま、ただ片手を前に出して、非常にあっさりと。
『こんなもの、避ける価値も無い』と言わんばかりに。
しかも受け止めたのだから普通に投げればいいものを、挑発するようにギードの足元に転がした。
そこに『もう一度投げさせてやる』だ。
ギードのことをバカにしている、挑発しているとしか思えない。 それ以外の意図があるか、いやない。
案の定、ギードはとても怒っていた。
本当ならいまにも大声を張り上げて、これがジョージ相手だったら肩に手を置いて、指が食い込むほどの強い力で何かと脅しをかけていたに違いない。
そうしなかったのは今が授業中で、教師の目の前だからだろう。
ギードは怒りで体を震わせて、ユリウスを激しく睨みつけた。
「ああ、いいぞ、いいぜ? そこまで言うなら、もう一回投げてやろうじゃねえかァ……!!」
ジョージだったら直視出来ないような顔をギードはしている。
がユリウスは相変わらず、相手を何の障害だとも思っていない顔で、とても自然体に立った状態でギードを見ていた。
それが、もっとギードの怒りを煽るのだろう。 ギードは青筋を立てている。
「いっくぜぇ、避けても死ぬからなぁ!」
ギードがボールを持ち構えて、もっと勢いよく投げた。
あんなの避けられるわけがない。
当たった相手がどうなろうと、全く気にしないと言わんばかりの速度だ。
きっと当たればめちゃくちゃ痛いだろう。
もしかしたら、骨が折れるとかして医務室送りかもしれない。
それをユリウスは、片手であっさりと受け止めた。
「おおっ」
ジョージの喉から、ついつい感心の声が漏れ出る。
ただし咄嗟に抑えたのできっと誰も聞いていなかったはずだ。
ギードが本気の本気で投げたはずのボールを、ユリウスは何ともしていなかった。
涼しい顔で、何の感情も無い顔でギードを見る。
あそこまで何事も無かったかのようにあっさりとされると、もう『格好良い』としか思えない。
自分の能力を誇っているわけでもなさそうな点も、高得点である。
特に、本気で投げたのにあんな態度をされてギードがとても驚いている反応には、ジョージの溜飲も下がるような気分だった。
「まさかとは思うが」
そして何の表情も無い、極めて冷酷な顔と目で、淡々とユリウスは言う。
「あの程度で『本気でやった』などと誇るつもりか?」
「……!!!」
明らかに、煽っていた。
ゴミにも劣る雑魚を見下すように、ユリウスの態度は冷ややかだった。
「お、お前ェッ! バカにしやがってェ!!!」
ギードが大声をあげた。
(あ、ああっ、もうダメだぁ……)
ジョージは、今後のユリウスの学院生活が
たとえ今この授業でどんな風に出来たとしても、ギードの怒りの矛先はユリウスに向いたままだ。
きっと何があってもユリウスはギードに絡まれて、喧嘩を売られ続ける。
それはとても悲しく、残念なことだ。
(……あれっ? じゃあそれってもしかして、僕はもうギード君のために宿題しなくても良いようになるかもしれない……ってコト!?)
ギードの意識はジョージではなくユリウスに向いている。
だとしたら、もうジョージなんか見向きもされないかもしれない。 それはとても嬉しい、朗報だ。
ユリウスには申し訳ないが、まあ彼なら誰から嫌われて孤立しようが全く気にしないだろう。
どうせ他人のことなんてどうでもいいだろうし。
ジョージの気持ちは羽のように軽くなった。 今なら何でも出来てしまう気分だ。
と言っても、今この場で前に出て行くほどの勇気は無い。
むしろ今だけでももっと控えめな存在感で居ることにした。
「そこまで言うならお前こそ『本気』でやってみやがれェ!! ほらっ、投げてみろよ! ほら!! 出来るんだろ!!」
ギードは両手を叩いて、ユリウスに向かって煽る。
同じくギードの友人達も両手を叩いて、気に入らない相手を煽り出した。
更には自分達だけは自由にちょこまかと動いて、どうもユリウスを怒らせたいらしかった。
「おいおいお前ら、これドッヂボールっていう球技であって、一人を狙い撃ちにするゲームじゃないぞ」
ずっと見ていた教師は呆れて言う。
しかしギードは、引き攣るような凶悪な笑みを浮かべたまま教師を見る。
「センセー、俺達はただナメたこと言ってるバカに、現実というヤツを見せてやってるだけですよぉ……」
「そうそう! 一人を集中攻撃して、なーにが悪いっておっしゃるんですかぁ? これも戦略ってヤツですよぅ!」
「俺達なーんにも悪いことしてませんし! ルールだってちゃんと守ってまーす!」
「ほら来いよ大遅刻野郎! 当てられるものなら、当ててみろよ!」
どうやら教師が何を言っても無駄らしい。
ギード達はユリウスを煽り、なんとしてでも怒らせようとしているようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます