ユリウス・ヴォイドは友達を作りたい

馴染S子

第1話 彼が遅れた理由




 いつも通り『仕事』を終え、エドゥアル・アマルディは上司の元へ向かった。


 

 人里離れた山の中にぽつんと、その家はある。

 妙に立派で大きな、たった二人の人間が使うには無駄に広すぎる部屋。

 きっとこんな家に住むのはよっぽど、暇な変人に違いない――と思わせるほど、環境に見合わない外観をしている。



 立派な家の中には、主の趣味を反映したように趣味の良さそうな調度品や絵画が置かれてあり、どれも売ればそれなりの金額になるだろう。

 エドゥアルはそういったものを全部無視し、一番奥の扉を開けた。



「おかえり、エド。 遅かったわね」


 椅子に座り、立派な木を用いた一級品の机に長い足を乗せた女は、手の爪に色をつけていた。

 ちょうど完成したところだったらしい。 机の上には色とりどりのマニキュアが置かれてある。

 部屋中に、マニキュアの独特な匂いが広がっていた。


「ただいま」


 エドゥアルは、大人しくそう返す。



 その部屋は執務室といった具合で、机も椅子も立派なものだが、その上に転がっているのはマニキュアや細かく塗るための筆など。

 他にも、部屋の左右にある棚には絵画や小瓶、娯楽小説に写真集などがあり、あまり執務室らしくなかった。

 


「アンタならもうちょっと早く帰ってこられたでしょう? 転移しなかったの?」


 女のこの言葉に対し、エドゥアルは極めて淡々とした声で答える。


「『運動にならないから疲労していない限りは転移魔法を使うな』と言ったのは師匠だ」

 

 何の感情もこもらない、抑揚すら少ない声だ。

『怒っているのでは』と思われかねない言い方でもあったが、しかし女は気にしていなかった。


「疲れてようとアタシの教えを守れるなんて、エドったら可愛いじゃない。 ふふん、知ってたわ」


 女は満足げに笑った。

 エドゥアルという少年は、外見上の年齢としては『可愛い』などという褒め方に、そろそろ嫌悪感を持つぐらいのものだったが、全く表情を変えない。


 戯れ言として聞き流しているのでもなく。

 ただごく普通に、聞いていた。

 


「でも見なさいよ、アンタが遅いせいで、コレが完成してしまったわ」


 満面の笑みを浮かべた女は、エドゥアルに向かって子供が成果を誇るように、色を塗った手の爪を見せてきた。


 よく手入れされ伸びた爪には、とても細かい格子状の模様が塗られている。

 が、塗った本人が器用でないのか、本来なら真っ直ぐであるべき線が曲がっていたりくっついていたり、線の太さすらバラバラだ。

 かろうじて最低限、色が混ざるなどということは無かった。 その程度である。


 しかもよく見れば、爪ごとに乾き具合が全く異なっている。

 人差し指などは完全に乾いているのに、最後に塗ったと思われる小指は今さっき塗り終わったようだ。

 

 これは、エドゥアルが仕事に向かう昼から開始していた作業だ。

 なのに今は夜で、ようやく今終わったと言うのだから、いくらなんでも時間がかかりすぎている。



「アタシって、やっぱり天才じゃない? 芸術的な感性の塊、今から画家として絵を描いてみようかしら」


 が、女はとても上機嫌だった。


 藍色の目はまるで猫のように吊った形をし、橙混ざりの長い赤髪は炎のような色をしている。

 少し日に焼けた肌に、女としては一級品の肉体。

 黙って立っていれば大抵の男を騙せてしまえそうな妖艶さと、同時に少女のようなあどけなさを感じさせる女だった。


「エドも何か感想、言ってみなさいよ?」

「…………」


 エドゥアルは静かに爪を見る。

 何の感慨も見せない表情で黙って眺めた後、自信満々な女を見た。


「……不揃いな箇所が、十三ヶ所もある」


 そう、エドゥアルは素直な感想を口にした。


「師匠は手先が器用ではない。 俺が塗った方が遥かに良い出来となるだろう」


 まだ十代前半の少年といってもいい年齢のエドゥアルが、三十代も過ぎた女にそのような口を利くなど『生意気だ』と言われる行為だが、女は全く怒らない。

 むしろ慣れたように聞き流す。



「アンタに、アタシのこの美的センスを再現出来るとは思えないわ」

「ならまず、参考となる図案を師匠が用意すればいい」


 それからエドゥアルは続ける。


「ただしその参考となる図案すら、師匠は丁寧に描くことが出来ないだろう。 俺がどれほど完璧に真似したところで、完成とは言いがたいものとなる。 師匠に色塗りの才能は無い」


 エドゥアルは――表情を一切変えることなく、冷酷にそう言い切る。



「更に師匠はよく殴り蹴る、杖を用いない肉体派魔法使いだ。 爪を整えたところで、すぐ無駄になる」

 

 まだ十代前半の少年が、年上の女にこのような口の利き方をしている。

 普通ならやはり怒りだしても不思議でない、いいやむしろ怒った方がいいのかもしれないが、女は苛立ちすらしなかった。


 互いに互いのことをよく理解していたから、女にとっては怒るほどのことではなかったからだ。



「今は好きなだけ言ってなさい。 そのうちアタシの高尚な感性に気付き、ひれ伏すことになるのよ」


 笑みを浮かべて、女は机の引き出しから書類の束を取り出した。

 結構な分厚さをしている書類は、とても質の良い紙だけで構成されている。


 エドゥアルはそれに一度だけちらりと視線を向け、それから真顔を女に向ける。



「ヴィオーザ学院の、入学許可書類」


 エドゥアルが何かを言う前に、女は非常に気軽にそう言った。

 確かに束の一番上の紙にはそのような文面が書かれている。


 だがエドゥアルには、そんなものを用意される覚えがまるで無い。


「これは――」

「アンタが学校に行くのよ」


 女は自分の爪をうっとりとして眺めている。

 よっぽど会心の出来だったらしいが、エドゥアルにはそのようなことは関係ない。



「……今更、学校などで学ぶことがあるとは思えない。 俺は既に前線に出ている。 だというのに師匠は、俺の能力が信頼に足りないと思っているのか」


 だとしたらそれはとても不満のある評価だ、とエドゥアルの顔には書いてあった。

 女も『まさか』と言って笑う。


「戦闘能力に関しては、少なくともアンタの世代ではアンタが一番だと思ってるわ。 知識量だって、他の生徒に劣ると思ってないわよ?」

「だったら行く価値が無い。 何も得るものがない、時間の無駄だ。 仕事をする方が、師匠への恩返しになる」

「アンタねぇ」


 女は少し呆れつつも、エドゥアルに向かって書類を軽く叩いた。

 

 女が見せたのは、国内外でも非常に有名な魔法学院の入学書類だ。

 入学出来るだけでも天才、卒業出来れば将来の職業には全く困らず、外国の王族だって通う名門中の名門。

 そこに通えると言われれば、大抵の人間は喜ぶか驚く。 エドゥアルのような反応は論外も論外で、おそらく全生徒でも唯一の反応だろう。

 


「此処なら、今のエドに決定的に欠けているものを得られるわ」

「……なんだそれは」

「友達よ」


 女は笑う。

 エドゥアルは軽く眉を曲げた。


「友達」


 エドゥアルは恐ろしく真顔で、その単語を復唱する。

 友達。 友達、など。


  

 それはエドゥアルにとって、まるで縁の無い言葉だった。

 小説でも読んでいればまるでそれが貴いものであるかのように言われているが、今のところ、エドゥアルの人生に必要なものではなかった。

 ということは、今後も必要ではないのだろう。


 しかし女にとってはそうではない。


 

「アンタってさぁ、ずーーっとアタシに着いてきて仕事仕事仕事ってさせてきたせいで、年頃の子供らしいことは、まったくさせてあげられなかったじゃない」

「仕事は望んで行っている。 俺は、現状にとても満足している」

「そんな大人ぶった発言してたってアンタまだ十三歳でしょ。 そんなの、流石のアタシだって『可哀想なことしてるな』って反省するわ」

「…………それは、必要なものか?」


 エドゥアルは真顔で尋ねた。

 大抵の人間が見れば怯んでしまうような真顔だが、師匠である女にはまるで通じない。


「必要よ?」

「そのような物が無くても、俺は満たされている。 必要ではないということだ」


 なんといっても相手はずっとエドゥアルの面倒を見てきた師匠であり、血は繋がらないとはいえ母親も同然の人間だ。

 息子のようなものであるエドゥアルが、どのように冷酷そうな表情をし、淡々と抑揚のない声をし、情け容赦の欠片も無い口を叩いたところで、まるで気にするものではなかった。



「居た方が楽しいのは確かね」

「……楽しい?」

「ええ、とても。 私もそこに通ってたけど、とても楽しい思い出ばかりよ」


 女は自分の手を軽く振って、マニキュアを乾かそうとする。

 しかしそう簡単に乾くものでもないのか、途中であきらめた。

 


「というわけだから、ヴィオーザ学院に行って、友達をぱぱっと百人ぐらい作ってきなさい」

「…………師匠」


 エドゥアルは、流石にやや困惑気味に改めて書類に目を落とす。

『百人など無理だ』や『急すぎる』と真っ当な抗議をするのではなく、声だけは無感情なままで書類を読み上げた。



「この書類には『ユリウス・ヴォイド』と書いてある」

「アタシが用意した偽名よ。 アタシの姓を名乗ったら、アタシのファンが黙ってないと思って。 それにアンタはアタシの部下として、第四魔法騎士団で働いてるもの。 だから色々と、ね?」


 女はにっこりと笑い、堂々と言い切る。

『何か問題でもある?』と顔には書いてあり、エドゥアルも何も言えなかった。


 エドゥアルは書類を見て、そして女を見、視線を何度か往復させる。


 

「……師匠?」

「なぁに? アタシの優しさに気付いてうち震えてる? 良いわよ別に、その場で泣き崩れても。 この胸で慰めてあげようじゃない」

「…………」

「あ、それとも入学試験のこと気にしてる? 大丈夫よ、この前アンタに渡した紙が今年の入試問題だったもの。 ばっちり合格水準よ?」

「そうではない」


 エドゥアルは書類の一角を指さす。

 そこには、入学したばかりの生徒がまず受ける入学式についての詳細が記されていた。


 

「師匠、入学式はもう一か月前に終わっている」

「…………」


 女はぴたりと止まった。

 口に笑みを貼りつけたまま、視線をちらりとエドゥアルの指先に向けた。


「……………………」


 そこに書かれていることを確かめて、沈黙。


「…………………………」


 手を伸ばし、意味も無くマニキュアの蓋を一つ開けて、また意味も無く閉める。

 更に足を組みかえて、また組み替える。

 視線をそっと逸らして窓へ向けて、またしても沈黙。


「……………………………………………………」



 それを何度も繰り返して。


「フッ」


 と、肩を軽く上げて笑う。

 


「よく気付いたわね……流石はエドゥアル、このアタシが育てただけはあるわ……」

「早期の老化現象が始まっていると思われる。 医者に看られることを勧める」

「あん? なにアタシのことをボケ老人扱いしてるのよ、ボケてないわ、わざとよ。 アンタが気付くかどうか、試してあげたのよ。 ええ、よく出来たわね。えらいえらい」


 女は明らかに自分の失態を誤魔化していた。

 誰がどう聞いても、どう見ても女が入学式のことを忘れていると分かるだろう。


「試した……?」


 エドゥアルは、師匠の言葉に

 だがエドゥアルは非常に感心した風に、しかし一切崩れない無表情で、育ての母親にして師匠である女を見つめる。



「なるほど。 俺に楽しい友達作りをするよう提案し、そのための場所すら用意し、更には俺の成長を試すとは、流石は師匠だ。 俺は今、猛烈に感動している」


 そんなことは微塵も思っていなさそうな顔と声で、しかしエドゥアル自身は間違いなく本気で呟いた。


 エドゥアルは、師匠のことはとても尊敬している。

 師匠とは無関係どころか問題のある自分を養子にして、此処までしっかりと教育してくれたような心優しく素晴らしい大恩人だ。

 雑な人だが、エドゥアルはそれを悪いように思ったことも、ましてやバカにしたことなど一度もない。


 今までの会話だって、血の繋がらない親子がいつも通りにじゃれあっているだけで、互いに気にしていなかった。



「理解した、師匠。 俺はヴィオーザ学院に行き、友達を百人でも千人でも作ろう。 師匠は俺という弟子を誇らしく思うが良い」

「ええそうね、結果を楽しみにしてるわ。 もしもいじめられたら帰ってきてもいいのよ? エドはとっても可愛いものね」

「問題はない。 師匠の教えを、俺が忘れたことは一度もない。 イジメなどと言うものが起きたところで、俺一人で対処可能だ」


 そしてエドゥアルは、エドゥアルなりに笑みを浮かべて、確信をもって頷いた。

 




 

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