アイマイ

紫陽_凛

満つる真

「どっちが偽物イミテーションなの?」



 ケビンは浅はかだ。みんなから「バカのケビン」と呼ばれるのも、仕方ないことなのかもしれない。口は災いのもとだと修道士ブラザーに何度言われても学習しない。自ら望んで学習しないことは、すなわち停滞と同じだ。ブラザー・カインがそう言っていた。

 けれどわたしもわたしだ。思いがけない質問にぽかんとしてしまって、「どっちが偽物?」という質問の答えをまじめに頭の中に探していた。ケビンの問いそのものが、に対する「最上級の暴言」に値するという考えはまるでなかった。

「えっと。ええと、あの」

 アイがすぐさま駆け寄ってきて、答えに迷うわたしの手を握る。わたしの存在を確かめるように握る。

 わたしたちは、双子ツインズだ。


「どっちも本物だよ」


 アイの声音は固く冷たい。アイスのようだ。ケビンはびくっと体を小さくして、わたしをじいっと見た。わたしもケビンを見つめ返した。ケビンは何を思ったのか、青紫色の唇でこう言った。


「どっちかが偽物だとしたら、マイの方だと思うよ」


 

※※※



 わたしたちはよく似ていて、誰も見分けがつかない。ほくろや傷の場所まで一緒だ。だからわたしとアイの首筋には番号シリアルが縦に印字してある。アイの首筋には《AI》。わたしの首筋には《MY》。この番号のいいところは、鏡に映しても読めるところだ。


「ケビンのバカのことは気にしないで」


 就寝前のひとときに、アイが言った。わたしの服の紐を結びながら、鏡の中のわたしを見つめる。


「あいつはおかしいの。きっと山羊やぎひつじの区別もつかないんだ」

「山羊と羊って何が違うの?」

「ええと」アイは何かを読み上げるみたいにと答えていく。「山羊は植物の芽や葉っぱを食べる。でも羊は草だけを食べる。あと、羊は巻き角だけど山羊はそうじゃ無くて、……」

「知らなかった」

「見たことないものね、山羊も羊も」

 アイは物知りだ。ケビンがそんなアイとわたしを比べて、わたしを「偽物イミテーション」と言うのも道理なのかもしれない。仮に、わたしとアイと、どちらかが偽物なのだと言われたら、偽物はわたしだと思う。わたしはアイより劣っているから。

「それから、山羊が増えると砂漠が広がるんだって」

 アイはわたしの髪の毛をブラシで梳く。

「山羊は草の根まで食べてしまうから。そういう事例があったって。草原が消え失せて、広がった砂漠に強い風が吹いて、巻き上げられた砂が世界中のあらゆる都市シティに降って来ることもあった」

「それって黄砂?」

 黄砂のことならわたしもで読んだことがある。少し、嬉しい。

 アイはしばらく考えてから、「そうとも言う」と付け加えた。

それ黄砂は事例の一部にすぎないからね。今の状況を思えば」


 ブラザーたちが言うには、この地下シェルター《クリプトcrypt》の外はとても住めない状況。この《クリプト》に引きこもった教団わたしたち以外は、全て砂に飲まれてしまった。都市も谷も山も全て砂と化し、空を覆う雲は黄色く、風には常に細かな砂が含まれている。川は茶色く濁って泥だらけ。だからわたしたちは常に、清浄な空気に満ちたこの地下に住まなければ生き残れない。体が毒されてしまうから──ブラザー・カインはそう言う。わたしは美しくて清廉な彼のことを信じているので、外が怖い。

 

「アイ、わたしたち、ずっとここにいられるのかな」

どういう意味What do you mean?」

 アイがきょとんとした。

「悪い子は《クリプト》の外に放り出されちゃうって、よく言うでしょう」

「……大丈夫だよ。問題を起こさなければ。何も起こらなければ」

 アイはすぐに平静を取り戻した。「わたしたちはブラザー・アベルお墨付きのいい子だよ。そんなことを心配しているの、マイ」

 実際のところ、突然姿を消す《クリプト》の子供達がいることは確かだった。ケビンの兄のクリフもそうだ。彼がいなくなったから、ケビンは「おかしく」なってしまった。

「……次にいなくなるとしたら、」


 ケビンか、わたしだ、多分。なんの確証もないけれど。

『どっちが偽物なの』

 ケビンの声がまだ聞こえるようだ。思っていたよりわたしは、彼の言葉に強く揺さぶられているらしかった。


──イミテーション。

 

「山羊と羊の区別もつかないケビンのことは放っておいて」

 アイは皮肉たっぷりに言った。アイは、次にいなくなる子供がケビンだと信じて疑わないらしい。

「わたし、に行って来る」

「うん。わかった」

「マイは先に寝ていてね」

「おやすみ」

「おやすみ、マイ」

 アイはわたしと同じまっすぐな黒髪をゆらして、うしろ手に手を振った。わたしは鏡台の前からベッドに移動して、その壁際にごろりと寝転がった。


 アイだけが、夜中お祈りに行く。わたしは一人で夜を過ごすことになっていた。わたしがお祈りに行くことを許されないのは、ひとえにわたしが、神様に祈るに足りる存在ではないからだろう。


──イミテーション。


 ケビンの高い声が鼓膜を何度も揺さぶる。イミテーション。イミテーション。その形も意味も言葉もなくなってしまうまで繰り返される。

 わたしは目を閉じた。固く固く瞼を下ろした。


 《クリプト》の子供達は、わたしの知る限り、増えては減りを繰り返していた。地下シェルターは毎日のように新入りを迎えるのに、子供達の総数はあんまり変わらないのだ。ひっそり消えてしまった兄や姉たちはどこへ行ったのか。それをブラザーに問うことはタブーとされていた。わたしたちはひそひそといなくなってしまった誰かの話をした。クリフとか──あと、もっとたくさんいた気がするのだけど、顔も名前も思い出せない誰か達のこと。

 クリフのことは──気が触れたみたいに騒ぐケビンがいるから覚えているだけのことだ。ケビンがいなければ、クリフのことなんかわたしの中には残っていなかったに違いない。

 それだけ、わたしたちの隣人ともだちはくるくると入れ替わっている。彼らが、あるいはわたしたちが。何処から来るのか、何処へ行くのか。誰も知らないでいる。


 まだ日も跨がない時間帯に目が覚めて、ゆっくりと身体を起こす。アイはまだお祈りから帰ってこない。心細さだけを頼りに素足を床につけて、ドアを目掛けて歩く。

 お祈りのことを、わたしはよく知らない。アイがこの夜遅くまで、何を祈っているかすら知らない。

 ふとした好奇心だった。なかなか帰ってこないアイが恋しかったということもある。何より……わたしもまたそのお祈りをしてみたかったのだ。そうすれば、わたしを苛むケビンの声が止むんじゃないかと、そう思って。わたしはふらふらと、部屋の外へ出た。


 《クリプト》はそんなに広くない。

 いくつかあるダクトからは、濾過ろかされているという綺麗な空気が流れ込んでくる。わたしは身震いをした。わたしたちの服は決まって、頭を通す穴のある布。からだの両側に縫い付けられた紐を結ぶだけの簡素な服だ。それ以外に何も身につけていない。何もだ。だからか、夜の廊下は意外と寒く感じる。

 礼拝堂の場所は知っている。きっとそこだろう。足の裏がぺたぺたと音を立てる。

 礼拝堂には祭壇とたくさんの椅子があって、中央には女神様レイディの像もある。そこで朝の礼拝を行うことになっている。きっと夜のお祈りもそこで行われているに違いない。

 わたしは何となしに礼拝堂の扉を少しだけ押し開けた。中でどんな光景が待っているかも知らずに。





 まず、ブラザー・カインの姿が見えた。美しい天使様みたいなブラザーは、祭壇の上に座っている裸の女の子の体を無心に触っていた。女の子は意識がないのか、項垂れて何の反応も示さない。わたしにはそれが、片割れのアイだと、すぐにわかった。

 ブラザーはアイの脚をぐっと開く。軽々と意識のない彼女を持ち上げて、そして。


 そして。


 頭を殴りつけられたような衝撃で、わたしは動けなくなった。が目の前で行われるのを、わたしは黙って見つめるほかなかった。目を逸らしたいのに、見たくないのに、「それ」には妙な引力があり、どうしようもなく惹かれ──気づいたら、わたしは、流血していた。腿に滴る血が、ゆっくりと肌を這い、足首まで流れた。


 その時のわたしは知らなかったのだけど、それが生理現象であり、古い時代に子孫を残す一つの方法として用いられた「自然繁殖」の資格を得たと言うことらしい。要するに、「大人になった」と言い換えてもいい。


 わたしは変わってしまった。幼年期にアイを残したまま。



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