アイマイ
紫陽_凛
満つる真
「どっちが
ケビンは浅はかだ。みんなから「バカのケビン」と呼ばれるのも、仕方ないことなのかもしれない。口は災いのもとだと
けれどわたしもわたしだ。思いがけない質問にぽかんとしてしまって、「どっちが偽物?」という質問の答えをまじめに頭の中に探していた。ケビンの問いそのものが、わたしたちに対する「最上級の暴言」に値するという考えはまるでなかった。
「えっと。ええと、あの」
アイがすぐさま駆け寄ってきて、答えに迷うわたしの手を握る。わたしの存在を確かめるように握る。
わたしたちは、
「どっちも本物だよ」
アイの声音は固く冷たい。
「どっちかが偽物だとしたら、マイの方だと思うよ」
※※※
わたしたちはよく似ていて、誰も見分けがつかない。ほくろや傷の場所まで寸分違わず一緒だ。だからわたしとアイの首筋には
「ケビンのバカのことは気にしないで」
就寝前のひとときに、アイが言った。わたしの服の紐を結びながら、鏡の中のわたしを見つめる。
「あいつはおかしいの。きっと
「山羊と羊って何が違うの?」
「ええと」アイは何かを読み上げるみたいにと答えていく。「山羊は植物の芽や葉っぱを食べる。でも羊は草だけを食べる。あと、羊は巻き角だけど山羊はそうじゃ無くて、……」
「知らなかった」
「見たことないものね、山羊も羊も」
アイは物知りだ。ケビンがそんなアイとわたしを比べて、わたしを「
「それから、山羊が増えると砂漠が広がるんだって」
アイはわたしの髪の毛をブラシで梳く。
「山羊は草の根まで食べてしまうから。そういう事例があったって。草原が消え失せて、広がった砂漠に強い風が吹いて、巻き上げられた砂が世界中のあらゆる
「それって黄砂?」
黄砂のことならわたしも本で読んだことがある。少し、嬉しい。
アイはしばらく考えてから、「そうとも言う」と付け加えた。
「
ブラザーたちが言うには、この地下シェルター《
「アイ、わたしたち、ずっとここにいられるのかな」
「
アイがきょとんとした。
「悪い子は《クリプト》の外に放り出されちゃうって、よく言うでしょう」
「……大丈夫だよ。問題を起こさなければ。何も起こらなければ」
アイはすぐに平静を取り戻した。「わたしたちはブラザー・アベルお墨付きのいい子だよ。そんなことを心配しているの、マイ」
実際のところ、突然姿を消す《クリプト》の子供達がいることは確かだった。ケビンの兄のクリフもそうだ。彼がいなくなったから、ケビンは「おかしく」なってしまった。
「……次にいなくなるとしたら、」
ケビンか、わたしだ、多分。なんの確証もないけれど。
『どっちが偽物なの』
ケビンの声がまだ聞こえるようだ。思っていたよりわたしは、彼の言葉に強く揺さぶられているらしかった。
──イミテーション。
「山羊と羊の区別もつかないケビンのことは放っておいて」
アイは皮肉たっぷりに言った。アイは、次にいなくなる子供がケビンだと信じて疑わないらしい。
「わたし、お祈りに行って来る」
「うん。わかった」
「マイは先に寝ていてね」
「おやすみ」
「おやすみ、マイ」
アイはわたしと同じまっすぐな黒髪をゆらして、うしろ手に手を振った。わたしは鏡台の前からベッドに移動して、その壁際にごろりと寝転がった。
アイだけが、夜中お祈りに行く。わたしは一人で夜を過ごすことになっていた。わたしがお祈りに行くことを許されないのは、ひとえにわたしが、神様に祈るに足りる存在ではないからだろう。
──イミテーション。
ケビンの高い声が鼓膜を何度も揺さぶる。イミテーション。イミテーション。その形も意味も言葉もなくなってしまうまで繰り返される。
わたしは目を閉じた。固く固く瞼を下ろした。
《クリプト》の子供達は、わたしの知る限り、増えては減りを繰り返していた。地下シェルターは毎日のように新入りを迎えるのに、子供達の総数はあんまり変わらないのだ。ひっそり消えてしまった兄や姉たちはどこへ行ったのか。それをブラザーに問うことはタブーとされていた。わたしたちはひそひそといなくなってしまった誰かの話をした。クリフとか──あと、もっとたくさんいた気がするのだけど、顔も名前も思い出せない誰か達のこと。
クリフのことは──気が触れたみたいに騒ぐケビンがいるから覚えているだけのことだ。ケビンがいなければ、クリフのことなんかわたしの中には残っていなかったに違いない。
それだけ、わたしたちの
まだ日も跨がない時間帯に目が覚めて、ゆっくりと身体を起こす。アイはまだお祈りから帰ってこない。心細さだけを頼りに素足を床につけて、ドアを目掛けて歩く。
お祈りのことを、わたしはよく知らない。アイがこの夜遅くまで、何を祈っているかすら知らない。
ふとした好奇心だった。なかなか帰ってこないアイが恋しかったということもある。何より……わたしもまたそのお祈りをしてみたかったのだ。そうすれば、わたしを苛むケビンの声が止むんじゃないかと、そう思って。わたしはふらふらと、部屋の外へ出た。
《クリプト》はそんなに広くない。
いくつかあるダクトからは、
礼拝堂の場所は知っている。きっとそこだろう。足の裏がぺたぺたと音を立てる。
礼拝堂には祭壇とたくさんの椅子があって、中央には
わたしは何となしに礼拝堂の扉を少しだけ押し開けた。中でどんな光景が待っているかも知らずに。
まず、ブラザー・カインの姿が見えた。美しい天使様みたいなブラザーは、祭壇の上に座っている裸の女の子の体を無心に触っていた。女の子は意識がないのか、項垂れて何の反応も示さない。わたしにはそれが、片割れのアイだと、すぐにわかった。
ブラザーはアイの脚をぐっと開く。軽々と意識のない彼女を持ち上げて、そして。
そして。
頭を殴りつけられたような衝撃で、わたしは動けなくなった。本で見た禁忌の行為が目の前で行われるのを、わたしは黙って見つめるほかなかった。目を逸らしたいのに、見たくないのに、「それ」には妙な引力があり、どうしようもなく惹かれ──気づいたら、わたしは、流血していた。腿に滴る血が、ゆっくりと肌を這い、足首まで流れた。
その時のわたしは知らなかったのだけど、それが生理現象であり、古い時代に子孫を残す一つの方法として用いられた「自然繁殖」の資格を得たと言うことらしい。要するに、「大人になった」と言い換えてもいい。
わたしは変わってしまった。幼年期にアイを残したまま。
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