屠僑戦記

中野ギュメ

第1話

「お世話になりました。」

 帝暦2023年4月16日。

 鮮やかな緑色を放つ翡翠の指輪を装着したその少女は自分が今から出ていく施設に向かって頭を下げてそう言った。

 転生院。

 異世界からの転生者達を更生させて国家の一員として迎える為の施設。そんな所に転生者ではない翡翠の少女は14年も居た。

 14歳。

 異世界の国家である日本ならばまだまだ学業に励まなければいけない年齢だが、ここは帝国だ。もう働いていなければいけない年齢。

 時間を無駄にした、とは翡翠の少女は思わなかった。ここでしか学べない異世界の知識を得る事は出来た。それが具体的に今後の自分の人生でどう役に立つかは不明だが、まあなんとかなるだろう。

 そんな楽観的思考は半日足らずで消失した。

 翡翠の少女は天涯孤独ではない、はずだった。

 彼女には両親が居る。翡翠の少女が生まれた後の転生検査によって彼女は転生者である、と診断され両親から取り上げられた。

 実際には書類の間違いで本来転生者として認定されるべき赤子と取り違えられたというだけの話だった。

 14年間。

 自分が転生者であるとひたすら言い聞かされ続けて記憶が戻らない種類の転生者だったのだろうと本当に思いこんでいたにもかかわらず、いきなりその状況を取り上げられ、お前には帰るべき家があるのだから帰れと命じられたのだ。

 そして帰ったら出迎えてくれたのがなんか無理してる感じの見知らぬ肉親達。作り笑いを貼り付けた顔を向けてくる初対面の両親と妹達。囲んだ卓の上には明らかに全員では食いきれない量の豪華な食事。

 結論。無理。

 どう頑張っても頑張り過ぎな家族達を見て自分がその一員になるという状況を一切想像出来ず、頭を下げて家を出てきてきてしまったというのが現状だ。

 転生院を出たのは午前8時。そして今は正午を回ろうとしている。雲一つ無い青空を貫く春の日差しを浴びながら、山中の公園の長椅子に深く座って翡翠の少女は文字通り頭を抱えていた。豪華な食事を一口も食べる事が出来なかった為に腹が鳴き喚きまくっている。

 だが食い物で釣られる程今の自分は若くない。もう社会人になっていなければおかしい年齢である。本当の自分をこれから見つけなければいけないのだ。せめて心の準備をする為の時間位は与えて欲しかった。

 転生院を出た直後の、まあなんとかなるだろう、という楽観的な思考は完全に消し飛んだ。

 一応転生院内部での作業で貯蓄はある程度ある。これを元手に借家に住みながら日雇いをして徐々に貯蓄を増やしていくしかないだろう。

 だが、生まれて初めて見る転生院の外の世界。肉眼以外ならば院内の資料で目にした事はあるのだが。

「まずこの町の地図が欲しいんだが。」

 そう翡翠の少女が呟いた直後、何者かの声が背後から聞こえた。

「やっと見つけた。」

 反射的に翡翠の少女が振り返った。そこに居たのは院内で知り合った少女。何故か院内では見かけた事がなかった戯画化されたかのようなドラゴンのきぐるみをまとっていた。にもかかわらず翡翠の少女が知り合いだと一目で判断出来たのは、彼女のドラゴンのきぐるみの開口部から美少女と言っても差し支えのない整った顔が汗だくで真っ赤な状態でむき出しになっていたからだ。同様に指の部分もむき出しになっており、そこにはインクルージョンが風景画を描いているかのような瑪瑙の指輪がはめられていた。

 瑪瑙の少女は息切れしながら翡翠の少女の現状を正確に言い当てた。

「やっぱり路頭に迷っていたか。」

「路頭というか人生というか。」

 事実上その通りだと言わんばかりの歯切れの悪い返答をする翡翠の少女。瑪瑙の少女は言う。

「私と一緒に来い。資格不要で今日から働けるぞ。」

 翡翠の少女は瑪瑙の少女の言葉を考えようとする。そして大して考えずに返答した。

「了解した。」

 理由は一つ。自分みたいな奴だから。

 翡翠の少女と瑪瑙の少女は転生院で出会った。

 転生院は10年前はかなり繁盛していたのだが、最近は転生者の数が減少した事により収容可能人増に余力が出るようになり、精神病院送りになるはずの少女達の中から問題児が送り込まれるようになった。

 問題児の一人とされたのが瑪瑙の少女だった。

 意味不明な発言を繰り返す訳のわからない問題児。具体的には『自分は人間ではなくドラゴンである。』と暇さえあれば主張していた。

 いつまでたっても幼いごっこ遊びから卒業出来ない成長の遅れた少女。それが瑪瑙の少女を見た者達の共通の評価だったが、翡翠の少女だけは違った。心と身体が一致しない症状。転生院で教わった異世界の知識の中に似たような物があったのを彼女は知っていた。そして事情は違えどあるべき自分と現在の自分が違うという認識は、転生者でないにもかかわらずに転生者扱いされ続けていた翡翠の少女も同様に有していた。その為翡翠の少女は瑪瑙の少女を他人だとは決して思えなかった。加えて、実際に瑪瑙の少女と会話すると年齢の割に驚く程に理知的であった。とても成長が遅れた少女とは思えなかった。

 瑪瑙の少女は精神病患者として転生院に送られたので病気が治ったと判断された時点でさっさと出ていってしまった。大体半年前の事だ。判断されただけで現状はドラゴンのきぐるみに身を埋めているという有様なのだが。

 一方、翡翠の少女はその時点では転生者であると自他共に誤認していたので卒業予定の18歳まで転生院で学習し続ける、はずだった。

 数日前に14年前の手続きの間違いが発見され、そして今日、転生院を追い出されてしまった。

 転生者は危険だが、何故危険なのかというと極めて強力だからだ。転生特典と呼ばれる異常なまでの特殊能力や、異世界の進んだ知識等を有している為、放置すればこの世界に多大な影響を与えかねない。

 しかし当然その力を有効活用すればこの世界の発展を大きく進める事が可能となる為、世界各国で転生者達を裏切らない忠実な国民に教育する為に転生院が建設された。

 転生院に入ったばかりは警戒される危険分子だが卒業が認められる程の良い子に育てば国家の一員として認められその強大な力を活用させる為の職が斡旋される、というのがこの世界における転生者の扱い。

 そして自分はそのレールから外れてしまったのだという事実を翡翠の少女は受け入れなければならないが受け入れたくない。

 勘違いしたままでいてくれればな、と思わずにはいられない。

 転生者の大部分は前世である異世界人の記憶を有しているが、少数の転生者はそうではなく前世の記憶を持たずに生まれてくる。その為翡翠の少女もその一人だと思われ、前世の記憶を思い出す為の切欠を探す為にひたすら異世界の知識を叩き込まれた。

 転生院の卒業試験は能力の大小を測るものではなく、国家への忠誠心を測るものだ。そして卒業後は国家への反逆の可能性が低い有能人材としてみなされる為様々な上流階級向けの職が斡旋される。何事もなく転生者扱いされて卒業出来ていれば翡翠の少女の未来は明るかったはずなのだ。

 14歳。

 一般的なこの世界の住人が働き始めるには遅い年齢であり、異世界の人間が働き始めるには早すぎる年齢である。

 どうしたものか、と思っていたら知った仲の瑪瑙の少女が現れなんと職を提供してくれると申し出てくれたのだ。

 これを拒絶する理由は翡翠の少女には無かった。

 だが、それでも、瑪瑙の少女の異様な風体を見て一言言わずにはいられなかった。

「ゆるキャラに就職したのか。」

「私の事情知った上でそれは酷くない。」

 軽口を叩き合える仲というのはとても良い。

 二人が転生院からの大量脱走の報せを受けたのは、翌日の事だった。

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