冷たい夏

キリンノツバサ

春の残り香

「俺らもいよいよ引退か」


 体育館横の石段に座り、隣で物憂ものうげに空を見つめたリュウが呟いた。

 体育館の中からは一人、バスケットシューズのスキール音がキュッキュッ、と響いている。

「負けたら、でしょ」

 なだめるように俺─翔吾しょうごが返す。

 インターハイ予選、前日。

 ここまでを順調に勝ち進み、明日からは東京都の出場校を決める決勝リーグが始まる。

 夏のギラギラとした陽射しが、澄み渡る青空に割って入るように翔吾たちを照りつける。

 寛星かんせい高校バスケ部の練習はとっくに終えた。

 しかし翔吾とリュウは、一人体育館で自主練習中のター坊を待っていた。

 ター坊というのはもちろんあだ名だが、もはや本名は、と聞かれてもすぐには出てこない。

 出会ったときから、何かに似ている─と悩んでいたものについ先日、答えが出たばかりだ。

 それは世界的に有名な、黄色いクマのキャラクター。本人は頑なに否定しているが。

 彼のポジションはセンター、つまり高い身長を活かしゴール下を争う役目だ。

「早いよな、まぁ、この時のために今までやってきたんだけどさ、いざ明日ってなってもまるで実感ないな」

 リュウが言った。キャプテンを務めているから、また人一倍思うことがあるのだろう。

「うん、俺も練習ん時、本当に終わっちゃうのかな、なんて思ったよ」

「翔吾は本当によくやってくれたよ、部長としてね」

 いや、と言いかけたのを翔吾は押し殺した。謝るにしても、引退してからの方がいいと思ったからだ。

「そういや、翔吾は進路、大学だっけ?」

「あー、うん、そのつもりだよ」

「うんうん、翔吾なら絶対、いいとこ狙えるよ」

「一応勉強はしてるんだけどね、もう期限なのに学部とか全然決まってない」

 進路希望調査票は来週までが提出の期限なのだ。

 高校三年は、とにかく余裕がない。

───


「明日、勝てるかな」

 翔吾がそう口火を切ると、リュウの顔が少し険しくなるのがわかった。そして、

「まぁよりによって相手、金立かなたちだからな…」と漏らした。

 本心なのだろう。全国高校総体インターハイ、出場を目指す翔吾たちにとって、因縁の相手。

 相手は金立高校だ。

「いや、でも俺たちなら十分勝てるし、勝つよ。ター坊も、タケも、洋介ようすけも、晴人はるとも、ちゃんと怪我なくここまで来たんだ。第一、そのためにあいつは今もシュート打ってんだから」

 体育館の窓越しにター坊を見ながら言った。

「そうだね」

 彼は今も、ディフェンスを想定しながらドリブルからのシュートを打っていた。

「あいつ、張り切ってるんだな」

「そりゃそうだぜ、なんたってマッチアップするのは……」


──────

 練習終わりのミーティング、少し話があるんだ、と言って口を開いたのはター坊だった。

「実は中学の時、その、一度バスケをやめてるんだけど、その理由が、えっと…」

 話の途中、足を小刻みに揺らしていたタケが口を切った。

「なんだ、ゴニョゴニョしてねぇではっきり喋れ、プーさん」

 言ってしまった。

「まずは聞いてやれ、タケ」

 リュウが制して話を続けさせた。

「イジメを…受けていて、その主犯格的なヤツだったが、今の金立のセンター、なんだよね」

 つまりター坊にとって、対戦相手の金立には、昔、自分をいじめた人間がいる。

 しかもポジション上、そいつとマッチアップする可能性が高いということだ。

「もちろんプレー中は絶対がんばるんだけど、どうしてもその…フラッシュバックとかしたら、みんなに迷惑かけちゃうなって…思って…ごめんね」

「おーおー、なんか…ごめんなター坊。そんな重大なことだとは思わなかったよ」

 先ほど苦言を漏らしたタケが謝った。

「それはそうとして、ター坊が謝ることなんてない。むしろ共有すべきだ」

 リュウが言った。

「うん…ありがとう、リュウ」

「一つ、これはター坊に向けてだが、同時にお前たち全員へ伝えたいことでもある」

──────


「ねぇ、リュウ、さっきのミーティングで言ってたこと、あれ、誰かから教わったことなの?」

「あぁ、あれか。別に教わった訳じゃないんだが…まぁ、ある人の影響で言ったことは確かだな」

「ある人、?」

「ああ、俺がバスケをやる理由の一つにもなってる人だよ」

「ふうん」

 リュウにそれほど影響を与えた人。翔吾はそれがすごく気になったけど、聞く前にリュウが口を開いた。

「それでター坊の心に火がついたならよかったよ。でもそろそろ止めさせないとな、悪い方向に行かれちゃあ困る」

 体育館の入口まで行って、リュウが叫んだ。

「おーいター坊、そろそろ終わってくれないとキャプテンと部長が帰れねえんだわ」

 するとすぐに、

「ごめんごめん、もう終わる〜」

と翔吾の位置では小さくなったター坊の声が聞こえてきた。



 キャプテンと部長、寛星高校バスケ部でいえばリュウと翔吾がそれぞれ役を担っている訳だが、同時に仕事内容も違う。

 キャプテンは練習や試合など、現場で指揮を執ることが多いのに対し、部長は部の責任者として事務方のような仕事をすることが任されている。またキャプテンの右腕となり、チームを牽引けんいんすることも与えられた使命だ。

 ター坊が着替え終わり、電気を消した上で体育館を施錠する。鍵を学校ヘ返却し、顧問へ活動報告をするのも部長である翔吾の役目だ。

「活動報告しとくから二人とも先帰ってて」

 リュウとター坊にそう言って小走りで校舎に向かった。

「ありがとー、明日がんばろーねー」

 ター坊の返事を背中で受け取り、手を上げた。

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