第12話 会談

「あなた、外朝の方から呼ばれていますよ」


 女官長から呼び出された白檀がそう告げられたのは、桃李の宴から数週間が経った頃。


「外朝から、ですか?」

「ええ。許可は出しましたから今すぐ向かいなさい」


 一人の女官に連れられ、白檀は後宮と外朝を繋ぐ門へと向かった。門を出てからは女官に変わって文官に案内される。


(呼び出しってことは……清香君から?)


 心当たりがあるのは桃李の宴での一件である。どうやって探し当てたのかは分からないが、もしかしたら報酬をもらえるかもしれないと思うと心が弾む。だがその一方で、口封じされるのではないかという一抹の不安もあり、手放しには喜べない。


 初めて見る外朝の建物は後宮のものより華麗さには欠けるものの、太い柱や高い天井に描かれた金装飾などが威厳を醸し出している。文官に連れられて歩いている途中、竜涎殿りゅうぜんでんと呼ばれる巨大な大広間に差し掛かった。この場所は伽羅宮の中心となる建物であり、皇帝が宮中の官吏たちを集めて行う朝議や、即位式などの諸儀式が開かれる場である。竜涎殿を通り過ぎてしばらく歩いたところで、文官はようやく足を止めた。後宮から歩いてゆうに四半刻(三十分)は経っている。


「清香君、失礼いたします」


 文官が恭しく声を掛け、目の前の扉を開けた。

 白檀の予想通り、中には黒い袍を身にまとった見目麗しい男が一人座っていた。宴の時と違うのは、祭祀用の重たそうな冠の代わりに簡素な冠を一本の簪で固定していることだ。


「項白檀、中へどうぞ」


 芳玉が白檀に優しく声を掛ける。文官は仰々しいお辞儀をして部屋を出て行った。部屋の中はあまり広くはなく、隅々まで整理整頓が行き届いている。恐らく、芳玉の執務室だろう。


「先日は助かりました。本当にありがとう」


 おずおずと部屋の中に入った白檀に、芳玉が頭を下げた。その姿に白檀は少なからず狼狽したが、ここで下手に出て舐められてはいけないと、さっと礼をするだけに留めた。


「どうして私が分かったのですか? あの日、名をお伝えし忘れていたと思うのですが」

「ああ、それはあなたの服装や立ち居振る舞いなどからまだ後宮に来て間もない方だと思いまして。背の高さや髪型、顔の特徴などと共に新人宮女であの日持ち場を抜け出した者がいなかったかと女官長に問い合わせたところ、あなたしか該当しなかったのですよ」


 芳玉はさも簡単なことのように言い放ったが、並大抵の人間ならそんなことは不可能だろう。あの日少し姿を見ただけで白檀の身体的特徴を捉え、詳細に記憶し、外朝から後宮へと繋がる細い情報網を駆使して何千といる宮女の中から一発で白檀を見つけ出したのだ。そこまでして呼び出しておいて、何を言うつもりなのか。


「宴の日のあなたの活躍を耳にして、皇帝陛下の方でもあなたに何かお礼がしたいとのことです」


(やった!)


 白檀は心の中で叫ぶ。


「そこであなたにお尋ねしたいのですが、四夫人のいずれかに仕えるとしたら、どなたを選びますか?」


 その言葉に、流石の白檀も驚いた。報酬として官位が貰えるかもしれないとは思っていたものの、四夫人に仕える女官となればかなり上の位である。無位の下女からそこまで一気に出世できるとは思っていなかった。

 四夫人のうち誰に仕えるか。ここでの選択が後宮内での今後の自身の立ち位置にもろに影響する。決して間違えるわけにはいかない。皇帝の寵愛を受け、この先皇后になる可能性の高い妃。白檀は少し考えこんでから、


「沈香様です」

「……何故?」


 芳玉の目がすっと細められる。


「こう申しては何ですが、陛下の沈香様に対する処遇のあれこれは既に後宮でも噂になっているのではないですか? 私としましては麝香様にお仕えした方が後宮内で苦労しないのではないかと思いますが……。もちろん沈香様も大層お優しい方ですから、あなたがお支えしたいと思う気持ちも分かりますけどね」


 皇帝の妃に対して地味に失礼なことを言う芳玉に、白檀は軽く鼻を鳴らした。


(この私が感情論で落ち目の妃に仕えるわけがないだろ)


 柔和な微笑みを浮かる芳玉に、白檀は鋭い視線を投げかける。この男、天女のような外見とは裏腹になかなか信用ならない。


「後宮内の噂では、麝香様が現在最も皇后に近い方だと言われています。確かに、楊家はこれまで何人も皇后を輩出してきた家柄。後宮内での勢力も強いです。ですが……沈香様は妊娠なさっていますよね」


 芳玉はこちらを見つめたまま何も言わない。その無言を肯定と捉え、白檀は話を続けた。


「沈香様は蘭奢待から離れた殿舎に移動され、宴の際にも駕籠ではなく徒歩で園までいらっしゃっていました。そして宴の最中も、麝香様よりも格の低い席に座られていた。これだけ見ると沈香様が陛下に軽んじられているように思えます。ですが、それにしては宴に現れた際に護衛を多く連れていたのが不自然でした」


 護衛の武官は外朝の者。宮中でほとんど後ろ盾のない沈香が自分で手配できたとは考えにくい。そうなると、陛下がわざわざ沈香に護衛を付けたということになる。


「それに、あれほど露骨に他の妃との違いを見せつけられているのにもかかわらず、沈香様がさほど気を病まれていないようなのも不思議でした。そこで、陛下はわざと沈香様を邪険に扱っているように演じているだけなのではないかと思ったんです」


 芳玉は無言で続きを促してくる。


「陛下は沈香様が皇后選びの競争から外れたかのように見せかけることで、周囲の人々の注意を沈香様から逸らせようとした。それでは周囲に気づかれたくない沈香様の秘密とは何か。沈香様が帯を腰ではなく胸の帯で結んでらっしゃったこと、転びやすい底の厚い沓を履かれていなかったこと、宴中にお酒を飲まれなかったこと、この三点から沈香様はご懐妊されているのではないかと考えました。そう仮定すると、陛下の沈香様に対する処遇の数々に裏の意味があることが分かります」

「裏の意味、とは?」

「殿舎を遠くへ移動させたのは、中央を離れた静かな場所で沈香様を療養させるため。夜伽に呼ばなくなったのは、蘭奢待まで沈香様が移動する最中に他のお妃様たちに妊娠がばれないようにするため。それに、陛下がどなたも呼ばれなかった夜は御自ら沈香様の所へ出かけていらっしゃったのではないですか?」


 蘭奢待から沈香の殿舎まで、回廊を通ると距離があるが、直線距離は案外近い。それに、竹藪を突っ切れば周囲に見つかる可能性も低かっただろう。


「沈香様が駕籠に乗られなかったのは、揺れでご気分が悪くなるため。そして陛下が沈香様の席を武官の座る側にしたのも、宴中に何かあった時に咄嗟に守れるようにするため。……お世継ぎをお生みになる可能性の高い沈香様にお仕えすることが一番の得策であると考えましたが、違いますか?」

「あなたの言う通りです」


 芳玉がにこりと微笑んで答える。


「確かに沈香様はご懐妊していらっしゃいます。沈香様の安全のためにもこのことはなるべく隠しておきたいという陛下のご意向でしたが、桃李の宴への出席は取り消すことができませんでした。ですがまさか、あの日見ただけで妊娠に気づく者がいようとは」


 芳玉は四夫人のうちの誰に仕えるかと白檀に問いかけ、彼女が麝香と答えるように誘導してきた。恐らくは白檀を試すために。


(何を考えている?)


 白檀が警戒心を強めたその時、


「一度ならず二度まで……。あなたは相当頭が切れるようだ」


 芳玉が椅子から立ち上がり、ずいとこちらへ近寄って来た。何がなんだか分からず白檀も後ろに下がる。芳玉が進み、白檀が下がる。じりじりと攻防戦を繰り返しているうちについに白檀の背中が壁につき、身動きが取れなくなった。芳玉はその間も容赦なく白檀との距離を縮め、そしてその反応に満足したかのようにぱっと離れた。


「私と結婚しないか?」


 にやりと笑ってそう言い放った姿には、それまでの雅で人当たりの良い清香君の面影は微塵も残っていなかった。

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