第5話 百花

 環芳玉の到着を皮切りに、ぞくぞくと宴の花である高位の后妃たちが会場に集まってきた。現在皇帝には正妻である皇后がおらず、四夫人と呼ばれる四人の側室たちが最も位の高い妃たちとなっている。


 四夫人は代々麝香じゃこう沈香じんこう丁香ちょうこう瑞香ずいこうという呼び名で呼ばれることとなっており、この四人のうちから今後未来の皇后が選ばれるだろうと後宮では専らの噂である。宮廷行事にはこの四夫人たちが交代で参加することとなっており、桃李の宴には麝香と沈香の二人が参加すると聞いている。


 細かな金彩が施された豪奢な輿に乗って先に登場したのは麝香の方だ。すらりと伸びやかな肢体に堂々とした立ち姿は自信に満ちており、濃い紫色の衣が良く似合っている。ややつり目がちな目元と真っ赤な口紅は気の強そうな印象を与えるものの、時折見せる飾り気のない笑顔がきっぷの良さを窺わせる。


 香国の軍事を一手に引き受ける名門貴族、楊家の長女である。彼女の叔母は先帝の皇后であり、現在は楊太后と呼ばれている。宴の席に並ぶ太后は既に四十は過ぎているだろうに若々しく、姪と非常によく似た美貌を保っている。


 麝香よりも少し遅れて現れたのが沈香である。その姿を見て、白檀は驚愕した。沈香は大人びた顔の麝香とは正反対にあどけなさを残す顔つきをしており、終始控え目な表情を浮かべている。腰まで伸びた艶やかな黒髪を耳の上の辺りで編み込み、残りは垂らしている。髪飾りは最小限に抑えられており、眉の辺りで切り揃えられた前髪が少女らしさを強調する。ゆったりとした薄紅色の襦裙じゅくんを胸の辺りまで引き上げ、足元は香国で好まれる底の高い沓とは違い、ぺたんとした地味な沓。しかし、白檀が驚いたのは彼女の外見ではない。


(輿じゃなくて徒歩でここまで歩いてきたの⁉)


 そう、沈香は数名の護衛の武官たちに守られながら、歩いて桃李園に登場したのである。臣下の芳玉でさえ担がれてやって来たというのに、仮にも四夫人の一人が徒歩で宴に参列するなどあり得ない。後宮から会場まで、別に歩けない距離ではないし実際白檀たちだって歩いてやって来たわけだが、問題はこの扱いの差である。


「やっぱりあの噂は本当ってことよね」


 周囲の宮女たちも沈香の姿を見てざわめいている。


 あの噂とは、白檀も水汲み場で聞いた、沈香が陛下の寵愛を失っているというものである。確かに、実際調べてみると彼女が移動になったという殿舎は鬱蒼とした竹藪の先、後宮の中心部からやや離れたもの寂しい場所にあった。その上今日の宴の席次。宴の席は皇帝から見て左が文官、右に武官が並び、左の方に格上の者が座ることになっているが、麝香が左、沈香が右となっている。


(何というか……露骨すぎる)


 殿舎に席次、そして輿の有無。傍から見ても沈香が皇帝に軽んじられていることは明らかである。陛下が沈香を夜伽に招かなくなって以降、空いた穴は誰が埋めることもなく皇帝が一人寝する夜となっているという。そのため、沈香が寵を失って誰が得をしたということもないのだが、現在最も皇后に近いと言われているのは大貴族の娘である麝香である。沈香は香の隣国、しゅという小国の姫君であり、皇帝以外にこの国には頼りになる知り合いも後ろ盾もない。今は相当辛い立場にいると言えるだろう。しかし、自席に着いた沈香はやや顔色が悪いものの、凛と顔を上げて気丈に振舞っている。


 后妃たちが皆席に着き終わると、一際豪華な輿が園の中心に止まった。年上の宮女に急いで頭を下げるように言われ、白檀も慌てて跪く。玉で覆われた黄色の輿。この国で黄色のものを所持できるのはたった一人だけである。


 香国第八代皇帝・李浩徳りこうとく。彼はゆったりとした足取りで会場の中心に置かれた玉座へと進み、居並ぶ人々に頭を上げるように言った。白檀も周囲に合わせてゆっくりと頭を上げる。

 濃い眉に意志の強そうな瞳。隣に控える環芳玉と同様に整った顔立ちをしているが、女性的な芳玉とは反対に精悍な風貌は非常に凛々しく、器量の大きさを窺わせる。


(思っていたよりも若い)


 浩徳は即位してからまだ半年しか経っていないとは聞いていたが、これほど若いとは思っていなかった。白檀が見るにまだ二十歳ほど。この桃李の宴が即位式の後初めて行われる宮廷行事だというが、流石にその姿は堂々としている。

 皇帝が玉座に座るのを見届けて、環丞相が前に進み出て開会の言葉を述べる。春の和やかな日差しに守られながら、宴はゆったりと、しかし厳かに始まった。

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