第3話 私、未来が見えるの
幸運と言うのは結構曖昧な概念であると思う。運が良いとはなんだ。確率とはなんだ。偶然とはなんだ。目に見えないものを、あると断言するのはなかなか難しい。
しかしこれに関しては、俺にもある程度の自覚はあった。あまり他人と運気を比較することなどないので、程度はよくわからないが、俺は多分運が良い方である。
当たりはずれの概念があるものは大体当たるし、道でお金を拾ったり、遊園地で通算百万人目の入園者になったり、そういうちょっとした偶然に恵まれることは多々あった。
それでも、これくらいならそう珍しいものでもないと思っていた。だってそうだろう。運が良い人ぐらい、世の中いくらでもいる。その程度のことで、自分を特別な存在だと自惚れるようなことはない。
だが彼女の目は────100カラットのダイヤモンドのように光を乱反射するその目は、まるで救世主でも見つけたかのように驚愕と興奮に満ちていた。
「えっと、ごめん。もう一度説明してくれる?」
状況も呑み込めぬ中で一気に色々と詰め込まれ、その膨大で複雑な情報を処理し切れなかった俺は、一息つこうと美住を連れて近くの公園まで移動していた。
とりあえず、敷地内の端にある東屋に入り、ベンチに腰を下ろす。これで少しは落ち着いて話を聞けるだろう。
「私、未来が視えるの」
一呼吸置き、頭も冷えたであろうこのタイミングで、やっぱり彼女はさっきと同じことを言った。
「予知夢ってやつなのかな。寝ている間に見る夢をかなり鮮明に覚えていて、それが確実に現実になるの。今までずっとそうだった」
「……予知夢ねぇ。俺が事故に遭うってのもその予知夢だったってことだよね? でも、それは外れたじゃん」
「そう、こんなことは初めてだよ。私の予知夢が外れるなんて。だけど、君のことをしばらく観察して、答えが出た。君は運命を改変できるレベルの強運を持ってる。それで私が見た未来を、捻じ曲げたんだよ」
自信満々、数学の難問でも解き明かしたかのような達成感をひけらかしつつ、彼女は衝撃の事実を明かす感じで語った。俺との温度差は徐々に広がりつつある。
「はぁ……未来を捻じ曲げた……」
なんだか話が壮大になってきたな。ただでさえ理解しがたい彼女の世界観が、より一層手の届かないところまで広がってしまった。
彼女は点と点が線で繋がったとでも言いたげにすっきりとした顔をしているが、その線で構成された模様は酷く歪な形をしている。少なくとも俺では、何を描いているのかわからない。
「だから、私に協力してほしい。君が介入してくれさえすれば、未来は変えられる」
「うーん、そんなこと言われてもなぁ」
協力してくれ、だなんて今までの彼女なら絶対に言わなかったセリフのはずだ。いつも一人で行動していて、誰かと会話しているところすらほとんど見ない。周りから距離を取られていることもあるが、彼女自身が周りを遠ざけているような雰囲気でもあった。
これだけの変人なのだ。並大抵の人間では理解し合うことなんてできそうもないしきっと一人の方が好きなタイプなのだろうと、そう思っていたのに。
「悪いんだけど、俺、そういうのはちょっと……」
しばらく腕を組んで悩んでいたが、これは別に受けるか断るかで迷っていたわけではなく、どう断るかを考えていただけだ。
彼女独自の世界観が展開されるのはこの際良いとしても、そこに俺が巻き込まれるというのは流石に勘弁してほしい。
退屈しない生活を送れそうではあるが、変人の仲間入りするのは御免だ。距離を取って傍から見ているだけでもお腹一杯なのに、一緒になって奇行ライフをエンジョイしようというつもりはない。
「そう」
俺が断るのがわかっていたのか、美住はほとんど間を置かずに短くそう答えた。
「どうしても?」
「どうしても」
「私が恋人になってあげるって言っても?」
「うん────えっ?」
「何でも君の言いなりの奴隷になってあげるって言っても?」
「ちょっ……それは……⁉」
「冗談だよ」
冗談、という言葉が全く似合わない退屈そうな真顔で、彼女は呟いた。俺があたふたするのを見て楽しんでいるわけでもなく、本当にただ何の意味もなくからかってみただけみたいだ。何とも迷惑な話である。
「手伝ってほしいけど、まあ仕方ないか。私、ちょっと面倒臭いって自覚はあるし。あんまり関わりたくないよね?」
「え? いや、それは……」
「もういいよ。困るのは私じゃないし、私には関係ないから」
「関係ない……って、どういう意味?」
美住は不機嫌そうに顔を逸らしながら、目線だけをこっちに向ける。あんまり懐いていない猫みたいな態度だ。
「私の予知夢って、私自身のことはわからないんだよね。だから見えるのは私以外の誰かの未来。身近な人ほど夢に出てくる頻度が上がるから、最近だと一年三組の同級生の未来を見ることが多いかな」
「それってつまり、俺が協力しなくて損するのは、美住さんじゃなくて、周りの人になるってこと?」
「そういうこと。私だけじゃどうやっても未来は変えられないし。君の強運が他人の未来にまで影響を及ぼせるのかは要検証だけど、やってみる価値はある」
これ……果たしてどういう意味なのだろうか。
損をするのは自分ではなく周りの人間。日頃から周囲に迷惑をかけまくっている美住がこう言うのだから、字面通り素直に受け取っていいものかどうか判断に困る。
つまりだ。これは『私に付き合わないのなら、周りの奴らに手を出すぞ』的な脅しの意味合いを含んでいるのではなかろうかと勘繰ってしまうわけだ。
作り物かと思うほど整った顔立ちに、いまいち内心の読めない表情。言動は常に気まぐれで、次に何をするかは誰にも予測できない。美住未玖は見れば見るほど掴みどころのない人だ。だからこそ、なるべく隣に居たくはない。
斜め後ろの席から眺めるくらいの距離感で丁度いいのだ。協力などと言われても気は進まない。
「私と組むのがそんなに嫌?」
気づけば、美住の顔面が俺の鼻先に迫っていた。間に二人分くらい空けて座っていたはずなのに、いつの間にかその距離はゼロになっている。
「嫌……というか……」
「それとも、私の言うことが信じられない?」
美住は首を傾げ、俺の瞳の奥を覗き込むようにして問いかけてくる。
そう言えば、信じるか信じないかなんて一切考えてなかったな。虚言妄言の類であることは明らかだし、俺としてはこの場をどう穏便に切り抜けるかということばかりに思考を裂いていた。
「まあ、そうだね。未来予知とか、ちょっと現実的じゃないし」
信じられないから手は貸せないというのは、結構自然な流れじゃないだろうか。あまり露骨に美住を拒絶すると角が立つかもしれないが、これなら断る大義名分としては充分だろ。
もしこれで機嫌を損ねてクラスメイトに八つ当たりとかしても、俺は一切責任を負いません。悪しからず。今まで彼女を適当にあしらってきたクラス全体の責任ってことでここはどうか一つ。
「だったら、現実を教えてあげる」
俺が誰に対してのものかもわからない釈明を心の中でしている間に、美住はポケットからスマホを取り出していた。
「連絡先教えて」
「……俺の?」
「当たり前でしょ。他に誰のを聞くの」
正直、教えたくないなぁ……夜中の三時とかにいきなり電話かけてきたり、ネットの掲示板に晒したりしてもおかしくないしなぁこの人。
「ほら、早く。私も教えるから」
しかしこうグイグイくる彼女を突っぱねるだけの度胸が俺にはない。もはや、目をつけられたのが運の尽きと思って諦めるしかないか。
とんだ災難だよ。何が幸運の持ち主だ。一体何が理由で俺に執着するのか知らないけど、美住に連絡先を教えなきゃいけない時点でかなりの不運だろ。
「わかったよ。えっと……何やってる? ラインでいい?」
「メールアドレスで教えて。私SNSとかやってないから」
「あ、そう」
俺が連作先を表示した画面を見せると、彼女は両手でポチポチと、お世辞にも手慣れているとは言えない手つきでそれを入力し、すぐさま空メールを送って来た。
今時PCゲームのアカウントを作る時ぐらいでしか使わないメールアドレスに、迷惑メール以外のメールが届くのは久々だ。いや、これもある意味迷惑メールか。
「それが私のアドレスだから」
こっちから連絡することなんかない気がしたが、念のためアドレス帳に保存しておいた。この機能をちゃんと使うのも、スマホを買って以来始めてな気がする。
「それじゃ、今日はこれでいいや。明日の朝、メール見て」
「明日? なんで……って、ちょっと?」
もう満足したとばかりに、美住は俺が質問しようとしているのも完全にスルーして帰って行った。
ここまでマイペースだともはや苛立ちもしないな。雨具を持っていない時に、にわか雨に降られたようなものだ。仕方ないと思って割り切ろう。
その後、俺はもう一度コンビニに寄って、チキンを買ってから帰った。やっぱり一人の方が、気兼ねなく買い食いができて良い。もちろん、帰ってから夕飯もちゃんと残さず食べた。
────そして翌朝。
『五月三十日、一時間目の体育、野球部の工藤とテニス部の磯部がぶつかって怪我をする』
言われた通りメールを確認してみれば、そこには起き抜けの眠気が醒め、二度寝したい気分も失せるような、気味の悪い文章が送られてきていた。
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