第4話 嘘か真か
「────これ、どういう意味?」
いつもより早足で登校した俺は、教室に入ると一直線に美住の席まで突き進み、彼女の目の前にメールの画面を突き付けた。
彼女はいつも通り、自席に座り、頬杖をつきながら物憂げな顔をしていたが、俺を見るなり意外そうに目を丸くする。
「どういう意味って、そのままだけど」
「いや、そのままって……」
「というか、ちゃんと見てくれたんだ。私のメール」
「そりゃ、見ろって言われたし……じゃなくって! これ────」
とぼける美住に更なる追及をかけようとしたところで、教室中の視線が俺たちに集まっていることに気がついた。
それもそうか。美住に自分から話しかける人なんて滅多にいないからな。朝一番に声をかけていれば、何事かと思うのも当然か。
「ちょっと、場所変えよう」
そう提案すると、彼女は案外すんなりと受け入れた。俺と対話する意思はあるらしい。それと、自分が目立つという自覚もあるみたいだ。
人目を避けられそうな場所を探して校舎内をウロウロし、俺たちは屋上へと続く扉の前へと辿り着いた。
うちの学校は、というか大抵の学校はそうだと思うが、屋上への立ち入りは禁止されているので、扉には鍵がかかっている。
簡単に外せそうな南京錠ではあるが、こんな行き止まりに立ち寄る人もいないので密談をしたいのならわざわざ外へ出ずとも充分である。
「……で、改めて聞くけど、このメールは何? いたずらにしては悪趣味すぎるぞ」
「いたずらなんかじゃない。これは私が昨日の夜に見た予知夢の内容、その一部」
「予知夢……? ああ、昨日言ってた……」
「信じてないみたいだったから、証明しようと思って」
五月三十日、これはつまり今日のことだ。そして今日の一時間目はメールの内容通り体育ということになっている。
しかしそんなことは時間割でも見れば簡単に分かることだし、そうでなくともこの二か月近くずっとこなしてきたスケジュール通りなのだから全員知っていて当たり前だ。
問題はその後、工藤と磯部が怪我をするという部分。確かにこれは予言であると言えるのかもしれないが、内容が内容だけに呪いめいていて気味が悪い。
「美住さんさぁ、これはちょっと良くないと思うよ? まさかとは思うけど、この予知夢を現実にするために、二人を怪我させようってわけじゃないんだよね?」
俺が車に撥ねられて死ぬという予知と比べれば、工藤と磯部が怪我をするというのはかなり現実的な話だ。だからこそ、悪質性が増している。なんたって、その気になれば普通に現実にできるのだから。
「私が二人に怪我を? そんなことすると思ってんの?」
「……ぶっちゃけ、有り得なくはないかなって」
メチャクチャ失礼なことを言っているのは承知の上だが、彼女の普段の行いを見ていれば無条件で信じる方が無理な話だろう。
「はぁ……そう言うと思って体育を選んだのに」
「……選んだって?」
「疑われることはわかってたから。他にも色々予知夢は見たけど、その中から一番信じてもらえそうなものを選んだの」
どうやら彼女、自分が変人であることは百も承知みたいだ。人望がなく、信頼度が低いこともちゃんとわかっている。
案外、彼女は根っからの変人というわけではないのかもしれない。だからといって決して常識人ではないと思うが。
「体育は男女別でやるでしょ? 今日は、男子が外でサッカー、女子は体育館でバレーボール。だから手の出しようがないってこと」
「な、なるほど。美住さんに協力者がいるわけもないし、工藤と磯部を狙って怪我させることは不可能ってわけか」
「……まあ、そういうこと。そもそも、私が何をしたところで未来は変わらない。夢で見たことは必ず現実になる。二人は今日の一時間目、必ず怪我をする」
そう断言する美住に気圧され、俺は思わず唾を飲んだ。何の根拠もないはずなのに妙な迫力がある。説得力と言ってもいい。
突飛な内容でも、ここまでハッキリ断言されると有り得なくはないと考えてしまっている自分がいる。
「でも、君が介入すれば未来は変わると思う。だから、一時間目の体育が終わるまでは二人に極力接触しないでほしい」
「接触するなって……一緒に体育やるんだから関わるなってのは無理だよ」
「そのメールのことは忘れて、いつも通りに振舞ってくれたらいい。それなら未来は変わらないと思うから」
「……メールの内容を二人に伝えたり、注意を促したりするのは無しってこと?」
「そう、夢の中にも君はいたから、君がいるだけで未来が変わるってことはない。ただいつも通り、何も知らないつもりで振舞ってくれれば、私の予知夢は現実になる。そうすれば、これがいたずらじゃないって君も認めるしかないよね」
「う……まあ、確かに……もし本当に工藤と磯部が怪我をしたら、美住さんの話はマジだったってことになるか……」
「ああ、あと、どうしても二人を守りたいというのなら動いてもいいけど、その場合は私の言葉を信じてくれたとみなすから」
そういうことになるわけだな。俺は予知夢なんてこれっぽっちも信じていないんだから、こんなメールなんかデタラメに決まっているんだから、何もする必要なんてない。何か行動を起こすなら、それは美住を信じたということだ。
「じゃあ、何も起こらなかったら、二度とこういういたずらはしないと誓ってもらうよ?」
「いたずらじゃないけど……別にいいよ。何も起こらないなら、それに越したことはないし。私も、私の予知夢が外れるなら気が楽だから」
彼女の余裕は崩れない。自分の予知夢に絶対の自信を、というよりも諦観を持っているように見える。どうせ未来は変えられないとでも言いたげな、退屈そうな目だ。
「……とにかく、美住さんが二人に怪我をさせようとしてるわけじゃないのなら、とりあえずは……いいや。俺は何もせず、見てればいいんだよね?」
「そう、それで私の言っていることが本当か嘘かハッキリするでしょ」
そう言って美住は挑発的な笑みを見せる。彼女はあまり感情を表に出さないタイプなのかと思っていたが、こうして話してみるとそうでもない。むしろコロコロと表情を変えるタイプだ。
だからと言って、何を考えているかまでわかるわけではない。色々と疑問や不安は残るが、とりあえず黙って見ているだけなら特に害にはならなさそうだ。
これでもう美住に付きまとわれることも、振り回されることもなくなるのなら、この気味の悪い予言についても、これ以上は咎めまい。
教室に戻った俺は、数人から美住と二人で教室を出て行ったことについて質問攻めにされたが、それを適当にはぐらかし、一時間目の体育を迎えた。
うちのクラスの体育は四組と合同だ。三組の男子と四組の男子、総勢およそ四十人で行う。今日はその四十人を十人ずつ四つのチームに分け、サッカーの試合を行うという授業だった。
俺はスポーツが得意だ。といっても、運動部でバリバリやっている人たちには一歩及ばないくらいではあるが、それでも平均よりは出来る方だと思う。
だから体育の授業もそれなりに楽しめる。あれだけ気にしていた美住の予言も、始まってしまえばすっかり忘れていたぐらいだ。
チーム分けの時だとか、試合中だとかに、工藤や磯部と関わる機会があって、その時にちょっと思い出すぐらいで、特に何も変わったことはしていない。美住の指示通り、いつもと同じように振舞った。
「────へいへい! こっちにボール回せ‼」
二試合目の途中。前の方で、工藤がやたらと声を張り上げているのが聞こえる。
サッカーの授業と言っても、結構ルールは緩い。オフサイドは無いに等しいし、ハンドだってほとんど取られない。だからああやってゴール前で馬鹿みたいに大声出してパスを要求する人がチラホラいる。
ドリブルで攻め上がるとか、パスで前線まで繋ぐとか、ディフェンスで相手を遮るとか、そういうことはせずに一番おいしいシュートの場面だけ寄越せというわけだ。
全く強欲なものである。女子が見ているわけでもないのに、工藤の張り切りぶりときたらちょっと引くぐらいだ。
あいつはあまり頭が良い方ではないので、目立つ機会と言えば体育か部活の時ぐらいしかない。だからこそ、ここに懸ける思いも人一倍なのだろう。
「ほら、行くぞ!」
ちょうど俺のところにボールが回って来たので、工藤の引き立て役になってやることにした。助走をつけ、左足で強く踏み込み、ボールを蹴り飛ばす。
ただ、かなりの距離があったので、俺の狙いは結構逸れた。まあ、これだけのロングパスを狙ったところにピンポイントで出せたら、俺は帰宅部で買い食いなんてしていない。
「おっしゃ! 任せろ!」
ふわりと浮き上がったボールを、工藤は全速力で追いかける。背中越しにボールを確認しながら、無我夢中の疾走だ。あいつは野球部で外野を守っているはずなので、空中のボールを追う技術には長けているのかもしれない。
ただ、野球とサッカーで違うところがあるとすれば、フィールド内に相手選手がいるということか。
「もらい!」
ボールの落下地点に向かって、工藤とは真逆の方向から走り込んでくる人影が見えた。あれは相手チームのキーパーをしている磯部だ。二人とも頭上のボールばかり見ていて、正面に迫るお互いの姿には全く気付いていない。
「────前見ろ! 前‼」
俺はとっさに叫んでいた。しかし時既に遅し。二人は回避が間に合わない距離まで接近しており、タックルし合うような形で思い切り激突した。
「うぐぅ⁉」
「ぐあっ‼」
鈍い音と共に、体格の良い二人の男たちが地面に転がる。サッカーをやっていれば相手選手とぶつかることぐらいはあるが、今の音はそういうレベルじゃなかった。
慌てて審判役の教師が試合を止め、二人に駆け寄る。周りの生徒たちも試合どころじゃないとばかりに、工藤と磯部の周りで円を作って集まる。
しかし俺だけは────その試合に参加していた生徒の中で唯一俺だけは、二人を取り囲む円に混ざることなく、遠目からその様子をぼんやりと眺めていた。
あのボールを蹴ったのは俺なのだから、衝突の責任は俺にもある。本来なら、真っ先に駆け寄らなくてはいけないところだ。
だが、それどころではなかった。もちろん、二人を心配する気持ちもあったが、それを反射的に行動に移せないほどに、頭の中で混乱が渦巻いていた。
「工藤と……磯部が……怪我した……?」
ここでようやく、俺はメールの内容を思い出す。今朝、俺のスマホの受信フォルダに届いていた予言。それを一言一句違わず思い出す。
『五月三十日、一時間目の体育、野球部の工藤とテニス部の磯部がぶつかって怪我をする』
どうせ妄言だろうと思い、深く受け止めていなかった美住の予言が、ケチの付けようもないほどピタリと、俺の目の前で的中してしまったのだ。
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