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マリナから電話をもらったのは、ユキの墓を訪ねた翌日だった。近くのカフェに来てほしい。話すことがある、とのことだった。
素直にのこのこと現れた俺を、マリナは黒い服で出迎えた。もうすぐ夏だというのに、彼女はほとんど肌を出していなかった。
マリナは開口一番に元気かと俺に訊いた。
「元気ですよ。とても」
正直に答えたつもりだが、どうも疑われているらしい。
落ち着いた服装もあってか、マリナは大人しい人物に見えた。纏っている雰囲気も角のない柔らかなものだった。リーダー気質で、いつも尖っていたユキとは正反対だ。
「あの、マリナさん、でしたか。前にどこかで?」
「ええ、覚えていますか? オカモトくんとは中学校のとき、同じクラスでした。もっとも、当時の私はほとんど目立たない生徒でしたから、忘れていても不思議ではないですよ」
「ああそうか、同じクラスでしたね」
そう言われて、おぼろげな記憶から一つの顔が浮かんだ。同じクラスにいた、ユキと仲の良かった女子だ。いや、仲の良いと言おうか、ユキに散々振り回されていたと言おうか。
それを皮切りに次から次へと中学時代のことが思い出される。マリナのことも思い出してきた。昔はもっとかすれたような細い声で喋っていた。今では、その名残があるものの、はっきりとしつつ物腰の柔らかい話し方になっていた。電話の声で分からないわけだ。
しかし中学の思い出はそのまま、ユキとの思い出になる。思い出せば思い出すほど、俺は胸が締め付けられた。
「ごめんなさい。まだ辛いですよね」
「いいんです」
強がっているだけだった。本当は今もユキを失ったことを受け入れられずにいた。
「ユキちゃ……ユキさんのこと、本当に――」
「大丈夫ですよ。もう何年も会っていませんから」
そうは言ったが、ただの強がりだってことは互いに分かっていた。
ユキは中学三年の夏に転校して以来、一度だって顔を合わせたことがない。電話もメールも一度だって寄こさなかった。誰も何も教えてくれなかった。先生も親も、みんな黙ったままだった。
自分の力で探し出してやろうと、あてもなく歩き回ったこともあった。あまりに遠くに行きすぎて、もう少しで警察沙汰になるところだった。それくらいに俺は、もう一度ユキに会いたかった。
しかしどうしてもユキは見つからなかった。
当時の俺にできることと言ったら、小説を書くことくらいだった。だが、小説は俺の武器だった。
だから俺は小説を書いて、ユキに気持ちを届けようとした。俺の小説が有名になって、全国中で手に入るようになれば、彼女に必ず届くと思った。
彼女は本が好きだった。血の気が多く活発な生徒だったくせに、実に良く読んだ。マリナとは読書仲間ということで繋がっていた。
思えば俺とユキとの出会いもそういうきっかけだった。
一年生のとき、俺が密かに書き溜めていた自作の小説が盗まれたことがあった。散々探しても見つからず、諦めかけていたところに現れたのがユキだった。彼女は悪げもなしに俺の小説を差し出して一言、
「早く続き書いて」
これだけ言って去っていった。そのときの彼女は隣のクラスだったが、類まれな美貌によって俺のクラスでもすでに話題の的だった。
俺は胸の高鳴りが抑えられなかった。
それは可愛い子と話すことができたからか? それもある。だがそれよりも、俺は誰かに小説を読んでもらえたこと。そしてそれを面白いと思ってもらえたことが何よりも嬉しかったのだ。
続きを求められる。作家にとってそれは何よりの喜びだ。今でも俺はそう思う。あのときの俺は、ユキのそのたった一言に魅了されてしまった。
それからの日々は、ユキと共にあった。
俺が小説を書いて、ユキが読む。時々ひどいダメ出しを食らうこともあったが、いつでもユキは楽しそうに読んでくれた。
二年生から同じクラスになった俺たちは、一緒にいる時間がさらに増えた。ときには二人で本を読んでいるだけのこともあった。黙っていても、それが心地よかった。
いつしか俺は、ユキのために小説を書くようになっていた。どう書けばユキが喜んでくれるか、どんな物語が好きそうかを考えた。それでユキが楽しんでもらえるなら、俺も嬉しかった。
「このあとヒロインとはどうなるの?」
「それを言っちゃだめでしょ。また書くから待っててよ」
「えー待てない。今すぐ書いてよここで書いて」
机をばんばん叩いて催促するユキは、まるで編集者だった。俺は苦笑いしつつも、このやり取りを楽しんでいた。
傍から見たら、それは異質な光景だったのだろう。学年のアイドルが、目立たない男子と仲良く喋っているのだから。でも俺はそんなこと気にもしなかった。
それでも中学生のことだから、そういう噂は時々耳にした。キスは済ませただとか、胸を触らせたことがあるだとか、明らかな創作でも喜ぶ層が一定数いた。
不思議なことに、俺とユキの関係はそれ以上踏み込んだものにはならなかった。二年生になっても、三年生になっても、俺たちは作家と編集者だった。
どうもユキの方がそれ以上親密になることを避けているようだった。思春期だった俺のぎこちないアプローチをのらりくらりとやり過ごしていた。付き合っているという噂を聞いても、ユキはいつも全力で否定していた。それがどうしても、無理をしているように見えて仕方がなかった。
結局、三年の夏に突然転校してしまうまで、俺とユキは付かず離れずの距離感でいた。
あのときにもっと積極的にならなかった自分自身の情けなさを後悔することもある。だがそれよりも、ユキが最後まで俺とそういう関係になるのを避けていたことが、今でも疑問に残っている。
「ユキさんは私にだけ転校先を教えてくれました。誰にも言わなかったのは、そう念を押されていたので」
マリナは申し訳なさそうに目を伏せた。
俺はマリナを責めなかった。彼女は親友の約束を守った。褒められても、責められることはない。
「そうですか。でもどうして? 今になって知らせてきたのですか」
聞き方がまずかったのか、マリナにはそれが黙っていたことへの非難だと捉えられた。
「いえ、それは、その」
「あ、そうではないんです。ただ単純に気になっただけで。ずっと黙っていることだってできたと思うのに」
「ええ、まあ、そうかもしれませんね。ですが……」
「ですが?」
「…………」
マリナは言葉が出てこなくなり口をつぐんだ。
「それもユキさんに言われてのこと、ですよね?」
代わりに俺が言葉を継いだ。マリナは小さく頷いて同意した。
この人はどこまでユキの支配下にあるのだろう。見上げた忠誠心だ。
正直なところ、俺は憤りを感じていた。マリナに対してではない。そこまでして自分を俺から遠ざけようとしてユキに対してだ。
死んでから居場所を知らせるなんて、卑怯じゃないか。それはつまり、俺が必死こいて努力しているのを陰から伺って、好きなタイミングで姿を見せたり消したりできていたということだ。
俺は感情を表に出さないように努めた。
「私、今日はオカモトくんに謝りに来たんです。今までずっと黙っていたこと。許してくださらなくても結構です。けど、謝らないといけないと思って――」
マリナは必死そのものだった。まるで自分自身が救いを求めているようで、とても見ていられなかった。
「いいんですって。もう、本当に、気にしていませんから」
慰められたいのはこっちなのにな。
だがマリナが複雑な立場にいることは分かる。俺がどれだけユキを求めていたのかは、彼女も知っていた。俺に辛い思いをさせないように気を使っているのだ。そのせいでドツボに嵌っているのは気の毒だが。
これ以上は俺もマリナも苦しくなるだけだ。俺はさり気なく、しかしマリナも分かるように腕時計を見た。まだ一時間も経っていなかった。
「すみません、締め切りが近いので」
「やはり忙しいのですか?」
「人並みに、ですね。ですがこれも仕事ですから」
「そうですか。今日はわざわざありがとうございます。」
マリナは立ち上がって深くお辞儀をした。
何と返そうか迷って、俺は会釈をして席を立った。
「あ、あのっ」
すぐに呼び止められた。
「私も、オカモトくんの作品をいつも楽しみにしています。頑張ってください」
それはマリナ自身の言葉だった。
「……はい」
頑張れ、か。今のが一番傷ついたかもしれない。
店を出ると灰色の空が目に付いた。下を見ても灰色の地面。同じ色なら、俺は下を向こう。もう、見上げるものは俺にはない。それに、もう疲れたのだ。
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