二百四 愛国者

「急げ! 帝国に気取られる前に次の地点へ向かうぞ!」


 ケラーズ分隊長が指示を飛ばす中、魔道兵らは制圧した帝国陣地から手際よく同胞を救助し、武器や資材を持ち出すと、素早くその場を引き払った。


 彼らは黒衣の少女が帝国軍を引き付けている間に、手薄になった場所を襲撃して回り、順調に味方と合流を果たしていた。


 少女には都市を覆う探知結界に入った時点で識別信号が付与されており、常に位置を特定できるようになっている。


 それにより主戦場を避けて行動することで、少女の引き起こした大規模無差別攻撃からも難を逃れることができた。


 運悪く巻き込まれた者も少なくなかったが、50名ほどの辛うじて部隊と呼べる人数が揃うと、抜け道を使って第二城壁の内側、商店街が軒を連ねる商業区へと移動した。


 そこには元々商人達が使っていた倉庫が数多くあり、家族から引き離された女子供の人質が捕らわれているとの調べがついている。

 手勢を集めた後、民を解放するために帝国の見張りを排除するのが作戦の第二段階であった。


 しかしここで誤算が生じる。


 いざ倉庫街攻略に乗り出さんとした時、探知魔法により、少女の足跡が商業区へ向かっていることが判明したのだ。


 このまま作戦を開始し、帝国軍との戦闘中に少女に乱入されれば、人質も含めて途方もない被害が出ることは想像に難くない。


 そこでケラーズは作戦の一時中断を決め、倉庫街へ続く路地の一角を占拠し、先に少女へ対処する方針を選んだ。


 その場に居座っていた帝国小隊を、道すがら量産していたゴーレムと攻撃魔法の連携による奇襲で殲滅に成功すると、休む間もなく次の作業へ取り掛かる。

 鉄製のゴーレムに、奪った大盾を持たせて道を塞がせた後、複数人で編み込んだ防御魔法を隙間なくつなぎ合わせ、不可視の壁として簡易砦を組み上げていく。


「奴は東地区の民を帝国軍ごと手にかけた。あの様子では、向かう先々で同じことをしでかすだろう。何としてでもここで食い止めねばならん!」


 そうケラーズが激を飛ばし、着々と布陣を進めている最中、ふと第二東門の方角から戦闘音が響き始め、しばしの後、轟音と共に城壁が崩れ去っていくのが遠目に見えた。


 最初の東門へ最大戦力を集結させていたのだ。それを苦も無く破った少女からすれば、もはや残った部隊など障害にすらならないのだろう。


 そして東地区で嫌と言うほど目にした大破壊が再び始まり、徐々にこちらへ近付いてきていた。


「来るぞ……障壁最大出力! 絶対に止めろ!」


 ケラーズが指示を出すのと、がぎん! と硬質な音と共に周囲の建物が賽の目状に崩れ落ちたのはほぼ同時だった。


「おや。この感触は。あなた方もなかなかに丈夫な結界を使うのですね」


 突如出現し、障壁へ刀を振り下ろした姿勢で止まった少女は、意外そうに小首を傾げた。


 対してケラーズは、激しい心臓の音が体中を駆け巡り、冷や汗がどっと噴き出していた。

 あらかじめ防御魔法を展開していなければ、一瞬で突破されていただろう。


 最大限の警戒をしていたつもりだったが、反応すらできないとは。

 帝国軍を単身で壊滅させた実力を身をもって知り、この化け物の攻略法などあるのだろうか、という疑念が心中を満たし始める。


 しかしそれでも民のため、現時点で少女に対処できるのは自分達だけなのだと気力を振り絞って声を上げた。


「待ってくれ! 我々はウィズダームの残存兵だ。敵対の意志はない。頼みがあって貴殿を待っていた。まずは話を聞いてもらえまいか」

「それにしては物々しいようですが」


 多数のゴーレムの群れや魔道兵が潜んでいる場所へ顔を向けた少女がくすりと笑みをこぼすと、ケラーズは苦い顔を見せた。


「仕方あるまい。あれだけの虐殺をしていたのだ。警戒は必然だろう」

「慎重さは美徳です。どうぞ。聞くだけ聞きましょう」


 少女は優雅に納刀すると、話を促した。


 まずは対話に持ち込むという関門を抜け、これ幸いとケラーズは説明を始める。


「この先には、民が捕らわれた倉庫街があるだけで、帝国の主力はいない。我らの目的は彼らの救出後、帝国に反旗をひるがえすことだ。この場は我らに譲り、道を変えてもらえないだろうか。成功した暁には共闘も可能だろう。貴殿の利害とも一致すると思うが」


 ケラーズは少女の顔色を覗いつつ、慎重に言葉を選んで説得に臨んだが、少女は心底不思議そうな表情を浮かべて口を開いた。


「はて。なぜ敵のために私が譲歩しなければならないのでしょう」

「な、何だと?」


 予想外の言葉に、耳を疑うケラーズ。


有耶無耶うやむやにはさせませんよ。あなた方はしかと帝国に加担し、攻撃してきたのですから」

「それについては申し訳なかった。しかし人質さえ解放できれば、我らが敵対する理由はない。喜んで協力しよう」

「敵の敵は味方、などと生ぬるいことは期待なさらず。一度敵対した以上、共闘などあり得ません。虫が良すぎる提案ではありませんか」


 にこやかだが断固たる口調の少女に、ケラーズは絶句した。


「それに私はもう決めたのです。此度の戦では誰の指図も受けないと。戦場全てを斬り刻み、一切のしがらみを断ってしまえば万事解決でしょう」

「貴様、もうどれだけの無辜むこの民を斬ったと思っている! まだ足りないと言うのか!?」


 この上なく残酷なことを笑顔で言い放つ少女に、ケラーズは思わず怒鳴りつけていた。

 しかし少女はごく自然な口調で問い返す。


「あなたは戦場で蹴り飛ばした小石の数を、いちいち覚えているのですか」

「な、何……?」

「わざわざ無力な民を好んで斬るほど私も暇ではありません。しかし、戦場にいながら抗いもせぬ者など死んで当然。巻き込んだとて不可抗力でしょう。そのような腑抜けをいくら斬ろうと、何の足しにもなりません」


 微笑のままにあっさりと言い放つ少女を見て、ケラーズは心臓を鷲掴みにされた気分になった。


 この少女は、人を人として見ていない。その存在さえも気にかけていない。


 、と明言したのだ。


「彼らとて好きで戦場にいる訳ではない! 帝国に捕らわれ、やむを得ず──」

「それが軟弱だと言うのです」


 反論を試みたケラーズの言葉はすぱりと断ち切られた。


「無駄死にしたくなければ、戦の前にさっさと逃げるなり、戦列に加わり勝利に貢献するなり、いくらでもやりようはあったでしょう。しかし彼らは選択を誤り、自らの命運を国に託した。その国が滅んだ以上、民の命も尽きたも同然なのです。戦は勝者こそが正義。奪われることに文句を言う資格など、あなた方にはありません」


 正論、ではある。だが、常に正論を貫けるほど世界は単純ではないはずだ。


「誰もが正解を選べるほど強くはないのだ!」

「ならば仕方ありませんね。弱きは散りゆくのが定め。帝国軍ごと引導を渡して差し上げます。しかし人間など、放っておけばまた勝手に増えるもの。どれだけ死のうが、気にすることもありませんよ」

「き、貴様は……人間を何だと思っているのだ……!」


 震える唇でなんとか絞り出した言葉に、少女は何の気負いもなしに応える。


「特に何とも。強いて言うなら、血が詰まった肉袋、でしょうか。中身にそう大差はありませんし。斬り応えがあるかどうか。興味があるのはそれだけです」


 ケラーズは、帝国が少女の内面を正しく言い当てていたことを思い知った。


 まさしく悪魔と呼ぶべき独自の思考の持ち主。説得の余地が一切見出せない。


「さて。こうして戯言に付き合ったのは、私の一撃を防いだ方なら、尋常に立ち会う価値やありと判断したためです。まだ操り人形と結界以外の魔法を見せて頂いていませんし。当然、他にも切り札があるのでしょう?」


 少女はふわりと微笑むと、一歩足を踏み出した。


「これから私は、このまままっすぐ進みます。人質がいるなら、見張りの兵もいるはずですね。それらを斬る際、民も巻き込むことになりましょう。阻止したければ、全力でおいでなさいませ」


 話はこれまでとばかりに、少女はゆっくりと紅い刀を抜き放つ。


「いざ。魔法の神髄、一つご教授願います」


 切っ先をこちらへ向ける姿を目にしたケラーズは、唐突に理解した。

 先の戦で、彼らの部隊が無様にも生き残ってしまった理由を。


 この悪魔から、民を守る盾となるべく、ここに立つためだったのだ。


「──総員迎撃! 絶対に奴を生かして通すな! 我らの命をウィズダームに捧げよ!」

『おお!!』


 湧き上がる恐怖をねじ伏せ、自らも魔力を練りながら叫んだケラーズの号令は、魔道兵の覚悟を決めた雄叫びを引き出した。

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