第11話: アイス食ってる場合じゃねえ(家を飛び出す10分前)
──何時までもクヨクヨしていては始まらない。
そう、彼女が気持ちを切り替えたのは、梅雨が明けて7月初旬……夏休みまで一ヶ月を切った、とある初夏の朝であった。
なにせ、せっかくの夏だ。
体感的には人生で二度目となる、高校1年生の夏。前世に比べて引けを取らない猛暑がやってくるとはいえ、体力気力に溢れた……一ヶ月超の連休。
あれだけ苦労して全てが徒労に……いや、色々と救われた人(?)たちがいたので後悔はしていないが、それはそれとして、己の大ポカが原因のミスは堪えるというものだ。
おかげで、しばらく彼女は何もする気にはなれなかった。
実際、学校やら何やらで顔を合わせるギャル姉妹から『萎びたホウレン草みたいに元気ないね』と言われ、大介からはアイスを譲られるぐらいにはやる気を失っていた。
しかし……それも今は昔のこと。
元々、実質的に人生2周目である彼女の中に、クヨクヨと悩んで時間を費やすという考えはない。
歳を取る、つまりは、老化する。
それは、実際に体感しないと分からない事だ。特に、気力体力に溢れた若い頃……学生時代ともなれば、余計に。
けれども、彼女はソレを知っている。
老化というものが、どのような影響を己にもたらすのか、それを彼女は身を持って体感している。寝ても疲れが取れない絶望を知っている。
ゆえに、彼女は立ち上がるのが早い。
歳を取って衰えた状態を知っているからこそ、寝れば体力全回復、夜通し遊び歩いても平気な身体に、胃もたれとは無縁な消化器官が如何に素晴らしいかを知っているからこそ。
「……麻弥ちゃん、何があったの? 土日挟んで何がどうなってそうなったの?」
「オオクワガタ捕まえようと頑張った結果、こうなりました」
「なにやっているの、マジで?」
期末テストを来週に控えた時期だとしても、『ふてくされている場合じゃねえ!』と調子を取り戻した彼女の前では、何の障害にもならない。
「いや、だって、デカいの捕まえたら100万ぐらいするってネットで見てさ」
「あのさ、いちおう聞いておくけど、ちゃんと日焼け止めは塗ったよね?」
「最初は塗っていたけど、汗ですぐ流れちゃうから塗るのを止めたらこうなっちゃった。ひりひりして痛かったよ」
「……こんだけ焼いて、なんでこんなに綺麗な肌なの? 麻弥ちゃん、ナチュラルに周囲に絶望を振りまくところあるよね?」
全身をこんがり焼いて小麦色になって登場した彼女に、ギャル姉妹のみならず、クラスメイトたちもしばし言葉を失うのであった。
いや、まあ、常識的に考えて、そりゃあそうだろうって話である。
なにせ、彼女のこんがり具合は見ていて気持ちが良いぐらいに綺麗にこんがりだ。変に肌が荒れているわけでもなければ、水膨れにもなっていない。
そう、普通は……そうならない。人の肌というのは、たった1日2日でムラなく綺麗に小麦色になりはしない。
一見すると小麦色に見えても、それはそう見えているだけで、実際は軽度の火傷を負ったことでそう見えているだけという状態だ。
メラニン色素が分泌され定着するから、人の肌は小麦色になっていくわけで、そうなる前は、身体の防衛反応の結果なわけだ。
なので、いくら適応力に優れた子供であっても、回復を繰り返しながら徐々に小麦色になっていくのが普通であり。
はっきり言って、何の対策も取らずにたった2日間で肌荒れ一つせずに小麦色になっている彼女は、もはや化け物の領域であった。
「……あの、麻弥ちゃん?」
「なに?」
「……そんなに焼けて、大変だったんじゃないの?」
「それなら大丈夫だ、弟の大介に頼んで保湿剤を塗って貰ったからな、おかげで朝起きたら痛みは引いていたよ」
「そ、そう」
「まあ、ちょっとばかり扱き使い過ぎて苛立たせてしまったけどね。仕方がないとはいえ、寝転んでいる私の尻をペンペン叩くのは酷いと思う」
「え、それって……ほ、程々にね、弟くんも思春期なんだから」
──弟くんの性癖、歪みそう。
ちらり、と。
スカート越しの彼女の尻……同性だからこそ何度か目撃している、嫉妬を通り越して
どれぐらいプリケツって、それは美女であると自覚しているギャル姉妹ですら、『大きさ良し・形良し・見てくれ良し』のプリケツを前に、思わず触らせてほしい頼み込んだぐらいである。
その時の姉妹の感想は、『これをそのままグッズ化してくれたら万札出しても買う』というもので、思わず財布に手が伸びたぐらいには極上の肌触りと弾力だった……らしい。
……ちなみに、だ。
ギャル姉妹含めた女子たちだけでなく……盗み聞きする形で話を聞いていた一部男子たちも似たような事(正確には、妄想)を考えていた。
……。
……。
…………そんな、色々な意味で注目を集めながらも時間は進み、授業が行われ……水泳の時間がやってくる。
彼女が通う学校では、体育は男女別々である(まあ、よほど人数が少ない等の理由が無い限りは、だいたい別だろう)
その中でも、水泳というのは普段とは少しばかり空気が変わる。特に、授業前の更衣室で着替えるという段階から。
別段、深い意味はない。
水泳という授業の為に、同性とはいえ肌を晒す(隠したとしても)という環境に、少しばかり意識が変わるだけである。
もっとハッキリ言うなれば、普段は下着に隠された部分が表に出てしまい……まあ、自分と比較してしまうわけだ。
これはまあ、男子も同様である。
表だって言うわけではないが、思春期なのだ。
普段は見えない部分に興味を引かれるのは必然であり、それが同性であっても視線を向けてしまうのは、当たり前の事であって。
「……もう一度聞くけど、日焼けサロンで焼いたとかじゃないんだよね?」
「??? 冬でもないのに、なんで日焼けサロンに行かねばならんのだ?」
その中でも、ひと際注目を集めているのは、土日挟んで小麦色女になった彼女だが……そう尋ねられるのも仕方がない。
「いや、だって、日焼けムラ無いのはどうしてかなって……ブラの中もパンツの中もキッチリ日焼けしているって、どういう焼き方したの?」
「焼き方って、別に私はそんなことは……う~ん……」
何故なら、何時もと同じようにパパッと隠しもせず豪快に衣服を脱ぎ捨てた彼女の裸体は……見事と言う他ないぐらいにムラなく小麦色だったからだ。
そう、普通に考えて、衣服や下着に隠された部分は白いままなはずなのだ。
時間を掛ければその部分も徐々に色が濃くなってはゆくが、やはり、日を浴びた部分に比べて薄い。なにより、たった2日という時間なら、それこそだ。
半袖半ズボン……彼女の事だから下着1枚になったとしても、それならそれで下着の形でムラが出来ているはずなのに……そう、ギャル姉妹含めた女子たちが思うのは当然であった。
「……あっ」
そんなわけで、知らんと一言で切り捨てるのもと思って一生懸命記憶を探っていた彼女は……ふと、思い出した。
「昼寝した」
「昼寝?」
「汗だくになって疲れたから近くの滝で水浴びした後、いい感じに日が当たっている場所にマット敷いて昼寝した」
「??? ごめん、なんて?」
「たぶん、その時かな……素っ裸のままゴロゴロ2時間ぐらい寝ちゃっていたから、焼けたとしたらその時だと思う」
「え、ちょっと待って、裸で? マットで?」
「心配ご無用、私に対して危害(条件付き)を加えると不能になるというカウンター的なバリアを先日習得したおかげで、安全だったよ」
「いや、私が聞きたいのはそこじゃなくて」
「野生動物の勘って凄いんだよ、不能バリアを出した時点で物凄い勢いで逃げ出していくし、本能的に強者ってやつを察して近寄ってくることもないから」
「あの、だから、そこじゃなくて、いや、そこも気にはなるけど」
「これがまた便利でね、バリア発動中は快適空間、実は虫にも効果があるっぽいから、これを使い出してから一度も蚊に血を吸われていないんだよね」
「ごめん、マジで何を話しているのか、意味もわからないんだけど?」
「お姉ちゃん、止めよう。麻弥ちゃんのコレはもう常識で考えると頭おかしくなるから……」
そう、心底気の毒そうに姉を見る妹の黒子……周囲でこれまた盗み聞きしていた他の女子たちも、黒子と似たような事を思っていた。
……。
……。
…………とまあ、そんな感じで何時もの調子を取り戻した彼女だが……何もかもが普段通りというわけにはいかなかった。
「──なあ、細間。おまえ、裏でヤリまくりてマジ?」
そう、初手で凄まじい事を尋ねて来たのは……男子だが、少なくとも彼女はその男が何者なのかを知らなかった。
男はまあ、イケメンって言われる部類の顔立ちをしている。
背は高く、かといって華奢でもない。髪は黒髪ながら少し長めであり、いわゆる今時のモテる男子といった風貌であった。
もちろん、眼前の男子との付き合いなど、彼女にはない。
というか、同じクラスでしかないうえに、顔すらまともに記憶していない……完全な赤の他人だ。
上履きの色で上級生であることには気づいたが、それだけ……正直、彼女はなんだコイツという警戒心しか抱かなかった。
「──誰だお前? 私の知り合いには裏で女殴って表では笑顔な知り合いはおらんぞ。まずは自己紹介せい」
それゆえに、彼女は率直に抱いた初見の感想をそのまま返していた。
「はっ?」
当然ながら、いきなりそんな返しをされて不機嫌に……まあ、そこで素直に己の非を認められる者なら、そもそもあんな失礼な事は言わないが……で、だ。
「はっ、じゃない。誰かは知らんが、私は今考え事で忙し──」
そんな無礼な相手に1秒足りとて時間を掛けたくないと思った彼女は思った──のだが、それを言い終える前に、ドカッと椅子を蹴られた。
──おっとっと。
気功術による巧みなバランス感覚を持って、トントンと椅子ごと跳ねて体勢を整えた彼女は……改めて、眼前の男を見上げた。
「訂正する。表でも女を殴る男だったな」
「馬鹿にしてんの?」
「……? なんでそう思うのかさっぱり分からないのだが?」
心底不思議そうに首を傾げる彼女に、男の視線は他所からでも分かるぐらいに冷たく──ニヤリと見下すように唇が動いた。
「いちいち否定しなくてもいいだろ」
「……? 否定って、だから何の話だ?」
「いいって、ただ知りたかっただけだから、もう分かったから」
「そ、そうか」
未だ困惑する彼女を尻目に、男は何とも甘い笑みを浮かべると、彼女に背を向けて教室を出て行った。
……。
……。
…………直後、だ。
弁明するわけではないが、そうなるに至った要因は色々あったが、少なくとも彼女に悪気は……いや、少し苛立ちが混じっていたが、とにかく諸々の歯車がかみ合わなかったせいだ。
というのも、まず話しかけてきた男……何人も彼女が居るとか居ないとかで、常に女を切らした事がないのではと囁かれている人物である。
加えて、手が早いというか何というか……こう、相手を見て、見下しても良いと判断した相手にはとことん見下した対応を取る人物でもある。
だから、周囲のクラスメイト達も声を掛けることが出来なかった。まあ、初手の言葉があまりにアレなせいで誰もが面食らったせいでもあるのだが……まあ、それはそれとして。
次いで、話しかけてきたタイミングだ。
よりにもよって、クワガタ捕獲は結局失敗したし、効率も悪いから違う手を考えるか~……と、教室でウンウン唸っていた時だ。
有り体にいえば、真剣に考え事をしている時に、くっそつまらんことをニヤけた顔で聞いてきたら、イラッとくるだろう。
加えて、今の彼女の傍には……ストッパー的な役割を果たしてくれる、心優しいギャル姉妹がいない。
2人とも、今日は買い物で遠出するということで放課後になった直後、小走りに教室を出て行った。
なので、彼女はウンウンと独りで唸っていたわけ……なのだが。
「結局、さっきの──」
ゆえに、事前に気付いて彼女を止められる者が、この場には一人もおらず……彼女は、思っていることをそのまま口に出してしまった。
「──性病を患っていそうな男は誰だったのだろうか?」
瞬間、突然のことに呆然とするしかなかったクラスメイトたちは、大半の者たちはプフッと笑い。
「……ちっ」
その中で、忌々しげな様子で舌打ちをした女子がいたのだが……彼女は気付かなかった。
(……あっ、バリアが解けてる。道理で、急に蒸し暑くなったって感じるわけだ)
バリアが解けたことで急にムワッとした熱気を感じてしまい、そちらに気を取られたせいであった。
……。
……。
…………そんな事があってからの数日後……期末テストを目前に控えた、昼休み。
「そういえば麻弥ちゃん知ってる? 2年の尾崎って男子なんだけど、なんかすごい荒れているんだってね」
モシャモシャと男性用顔負けのどデカい弁当を平らげていると、机を挟んだ向かい側でパンを食べていた茶子がそう話題を切り出してきた。
「尾崎? だれ、それ?」
「なんか女の子何人も繋いでいるモテ男くんってやつ。油断しちゃ駄目だよ、麻弥ちゃんみたいなのが一番引っ掛かり易いんだから」
「むむむ、気を付ける」
「いや、どうだろうね、お姉ちゃん。麻弥ちゃんのことだから、引っ掛かっているように見えて全然引っ掛かっていないパターンが一番ありえそうだよ」
「あ~……うん、それが一番ありえそう」
「我が事ながら、けっこう好き勝手言うね、きみたち」
最後のから揚げをパクリと食べ終えた彼女は両手を合わせて……次いで、「ところで、その尾崎ってどんなやつ?」ギャル姉妹に尋ねた。
すると、二人の口から出るわ出るわ、尾崎なる男子への悪い評価の数々。
容姿などの客観的な評価を入れたりはしてくれるものの、やれ浮気しただの、やれ酷い事をしているだの、色々とマイナス面が多い内容であった。
「……そんなに色々言われているのに、どうして彼女が次から次に現れるのだろうか?」
とりあえず、お近づきにはなりたくない相手だと思いつつ、ふと、彼女はポツリとそんな事を呟いた。
「そんなん決まっているじゃん。素行が悪かろうが何だろうが、他の男子が怖気づくような強い男子が、自分にだけは特別ってのに女の子は痺れるってわけよ」
すると、茶子は遠い眼差しで何処かを見つめながら、そう答え。
「自分と自分の周りにだけ優しければ、他の人達にどんだけ酷い事しようが目に入らないし気に留めない女の子って本当に多いからねえ」
何かを思い出したのか、軽くため息を零した黒子がそう締め括った。
そんな二人の態度に、おお……っと言葉を失くした彼女は、今後そいつと遭遇する事になったら逃げようと思い……ふと。
(……あれ? そいつ……なんか、どっかで会わなかったっけ? けっこう最近、そんなやつを見た覚えが……どこだったっけ?)
脳裏に、陽炎のようなナニカが過ったが……全く思い出せそうにないと思った彼女は、デザートのプリンをテーブルに置くのであった。
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