第8話: ギャル姉妹は匙を投げた




 うんうん、と。


 自室にて、彼女はパソコンの前でどうしたものかと唸っていた。



「う~む……ジャージは駄目か。気功術があるから氷点下の中で乾布摩擦しても欠片も寒くないのだが……」



 初めての廃墟アタックに失敗してから一週間後……彼女は失敗を糧とするために、動画に登校されているコメントに目を通していた。


 そこで多かったのは、当日の彼女の装備……具体的には、格好やら道具やらの不備と、知識の欠如に対する注意であった。


 腹が立ったけれども、まあ、言われるのも仕方がない話だなというのが彼女の正直な感想でもあった。



 実際、客観的に見れば、あの日の彼女の装備は、少しでも知識がある者からすれば、『おまえ……死にたいのか?』と言われるような代物ばかりである。



 そう、キャンプを始めとした山でのレジャーが趣味の一つとして言われるようになった昨今……それゆえに、人々の間に生まれた勘違いがある。


 それは、山というのはあくまでも自然の世界であり、間違っても安全な場所ではなく、結果的に何事も無かっただけということでしかない。


 その為に整備された施設(キャンプ場など)ならともかく、手が入っていない場所というのは本来、人の世界ではない。


 自然に伸びた枝葉は当たり前のように剥き出しの皮膚を傷付け、視界も足場も悪く、屈めば視界だけでなく当人すらも枝葉や雑草で隠されて何も見えない。


 毒草はとうぜんのこと、どんな雑菌があるのかすら分からないし、うっかり滑り落ちて動けなくなる……なんてのは、山における事故死のお約束みたいなものだろう。



 そう、相手が何者であろうと等しく牙を突き立ててくる、それが自然なのだ。



 どれだけ泣き叫んで命乞いをしたところで自然は助けてくれないし、どれだけ気を付けたところで殺される時はあっさり殺される……それが自然なのだ。



 加えて……自然の他にも山で恐れなければならないのは、なんと言っても野生の獣である。



 テント内に入ってはならないなんていうのは、獣たちにとっては何の意味もない。あくまでも何もしてこないのは、獣たちが臆病で慎重であるからだ。


 言い換えれば、一度でも『襲い掛かっても問題ではない』と判断した瞬間、獣たちは何の躊躇も良心の呵責もなく、自らの生存の為に襲い掛かってくるだろう。


 そうなれば、人の抵抗などか弱いものだ。人体というのは、人間が思っているよりも強くはないのだから。


 人間の強みは、獣たちとは比べ物にならない高度な思考能力と、信じ難いぐらいに精密に動かす事が出来る両手……すなわち、『道具』を使えるからだ。



 そう、人が山の中で安全を確保しようと思うなら、最低限の知識を覚え、必要な道具を用意するのが前提なのだ。



 邪魔な枝葉を切り落とすナイフや鉈もそうだし、体温を保持するための様々なアウトドアグッズや、常温でも食べられる様々な携帯食もそう。


 昔からある獣避けの鈴を始めとして、オオカミ等の尿を利用した獣避けもそうだし、爆竹なんかで追い払うといった方法もあり、究極的には猟銃がソレだ。


 同体重の獣に襲われたらほぼ100%負ける人間が取る手段は一つ……それは、まともに真正面から戦わないということ。


 相手が自然であれ、獣であれ、戦い方は一つ、対決は極力避けること。


 最悪戦うことになるにしても、そうなる前に対策を幾つも立てて実行しておく……それが、整備されていない山奥(要は、ルートが確保されていないので)へ入るうえでは鉄則なのだ。



(う~ん……ジーンズは丈夫だけど動き辛いから無理に動こうとすると破けちゃうしなあ……かといって、ジャージでもすぐ破けちゃうっていうか、ジャージは止めとけってコメントあるし……)



 そして、そんな鉄則を最低限すら守れていない彼女は……相も変わらず、その事に気付いていなかった。



 まあ、そうなるのも無理はない。



 彼女には『気功術』と『魔法』という反則装備がデフォルトで備わっているからで、気付く必要性がまるでないからだ。


 なにせ、『気功術』だけでも、単純に体力消耗(体温を一定に保ち、抵抗力も上げる)を抑えるだけではない。


 生き物が熱を発散させるように、彼女は無意識の内に外気と呼ばれる『余分な気』を吸収することで、常に回復が行われている状態なのだ。


 先日、息一つ切らさずに山を下りられた理由の一つがコレで……熊を仕留められた理由もまた、コレであった。



「でもなあ……ちょっと本気になって動くと衝撃で破けちゃうから、ジャージ以外だとコスパ悪過ぎなんだよなあ……」



 とはいえ、だ。


 ポツリと零した彼女の愚痴……それは誇張のない事実であり、まだコントロールが上手く出来なかった頃の、よくシャツやらズボンやらが破けて大変だった時の経験則ゆえの言葉であった。


 ちなみに……廃墟探索失敗のあの日、動転していたとはいえ、幸いにもブラは無事であった。


 しかし、ジャージはもちろんのこと、その下に着ていたシャツは臭いとは別に、ちょっと破けてしまってアウトだった。


 ジャージもシャツも、洗っても洗っても、薄ら臭いが残るというか。濡れている間はそうではなくとも、乾くとどうしても臭いを嗅ぎ取ってしまい、駄目だった。


 下山して自宅に戻るまでの時間、洗わずに乾くまで放置するしかなかった結果だろう。


 洗剤で洗えば大丈夫かと心の何処かで思っていたが、さすがは野生の獣……もしかしたら、フェロモンとかそういうのも付着してしまっていたのかもしれない。


 なんか、動物の臭い付け(いわゆるマーキング、フェロモンなど)の際に分泌される臭いは、単純な悪臭とは違うとか……まあ、なんにせよ、だ。


 何時も使っているそのジャージ自体、元々が聞いた事のないメーカー(おそらく、外国製?)で、定価より40%OFFされていたやつだ。


 理由としては、アレだ……質が悪いのかそういう作りなのかは知らないが、けっこう生地が薄くて、風通しが滅茶苦茶良過ぎるせいだろう。


 いわゆる、ランニング等に用いられるスポーツウェアではない。生地の厚さをケチっているだけの代物だ。


 ジャージ自体が通気性に優れているとはいえ、限度というモノがある。辛うじて、透けさせないだけでもありがたいと思えと言わんばかりであった。


 まあ、トレーニング用に購入したやつだから扱いもけっこう雑だったし、そもそも、汚れても壊れても惜しくないと思って買ったやつだ。


 ジッパーの調子は悪く、ポケット部分も穴が開いていたから、駄目になってもまあしゃーないとは思えたが……シャツはまだまだ使えそうなやつだったので、その点は惜しかった。



「……山はアクシデントが多過ぎる。トラブルが有るたびに下山していてはキリが無いし、なにより……もう、あの悪臭には耐えられそうにない」



 ブツブツ……と。



「二回目の動画は、もっとこう……熊とかに遭遇しなさそうな場所にするべきか……」



 誰に言い聞かせるというか、自問自答する形で考え事を続ける彼女。


 身近に配信者が居れば相談できるのだろうか、残念ながら知り合いにそういう人はいない。


 かといって、ネットで調べても変な情報教材系にばかりぶち当たるので、必然的に自分一人で考えるしかないわけで……っと。



 ──自室の扉がノックされた。



 振り返って尋ねれば弟の大介で、国語辞書が有るなら貸してほしいという内容であった。


 なんでも、『一つの情報源だけで全てを決めるのは危険である』といった、情報リテラシー系の課題が出されているらしい。


 その課題を済ませるには辞書が有れば捗るかも……という感じの事を言われた彼女は……ふと、思いつく。



 ──そうだ、ネットが身近の環境で生まれ育った弟がいるじゃん、と。



 これはナイスアイディアだと思った彼女は、辞書を貸す傍ら意見を貰おうと……辞書を片手に、扉を開けた。






 ……。


 ……。


 …………その、翌日。昼休みの学校にて。



「──と、思っていたのに、大介のやつは辞書を受け取ったらそのまま小走りで部屋に閉じこもるのだよ、酷いと思わないか!?」



 弁当と口元の間を箸が高速往復を続ける最中、彼女は不満タラタラな様子で眼前のギャル姉妹に愚痴を零していた。


 食べながら喋るのは行儀が悪いとは言うが、彼女の食べ方は非常に綺麗であり、見ていて嫌悪感を……って、そうじゃない。



「……まあ、聞いた限りでは弟さんの態度は悪いね。本当に、聞いた通りの状況ならね~」



 愚痴を一通り聞いたギャル姉妹の姉の方の茶子は、モシャモシャとパンをかじりながら……隣の黒子へと目を向ける。



「……どうしよう、お姉ちゃん。あたし、なんか今の時点で麻弥ちゃんが悪いよって思えてきているんだけど」



 対して、妹の方である黒子もまた、姉と同じくパンを……いや、一口サイズに千切って食べながら、半信半疑の眼差しを麻弥へと向けた。



「え、なんで私が悪い事になってんの?」



 必然的に、非難の眼差しを向けられた彼女は、心底ワケが分からないと言わんばかりに首を傾げた。


 しかし、ギャル姉妹は両方とも言葉を変えず、静かに首を横に振った。


 加えて、教室内に残っているクラスメイト達(話を聞いていた者)も同じ気持ちなのか、半分近くが小さく頷いていた。


 どうして、ギャル姉妹を始めとしてクラスメイト達がそんな反応を示すのか……それはひとえに、彼女に原因があった。



「いや、だって……麻弥ちゃん、変な所で抜けているっていうか、天然だからさ」

「距離感近いっていうか、基本的に態度を変えないっていうか……なんかやらかしてそうなんだよねえ~」



 そう言って顔を見合わせる2人に、「何もやらかしていないぞ!」彼女は心外だと言わんばかりに顔をしかめた。



「……じゃあさ、ちょっと質問するから嘘つかずに答えてね」



 それを見て、ならばと判断した姉の茶子は……ふんすと鼻息荒く頷く彼女に対して、指を1本立てた。



「質問1。弟くんが部屋に来た時、麻弥ちゃんはどんな格好していたの?」

「風呂あがりだったから、パンツ一枚だったよ。身体が冷めるまでは自然乾燥一択だ」

「結論、麻弥ちゃんが悪い」

「え!? 結論出すの早くないか!?」

「むしろ、なんで早いと思えたのか分かんないっすよ、こっちもね」



 心底驚く彼女と同じく、質問した茶子も、信じられんと言わんばかりに目を瞬かせ……2本目の指を立てた。



「質問2、その時の弟くん、顔を真っ赤にしていたとか、挙動不審な反応しなかった?」

「いや、それは無い。真顔になっただけだし、前も似たような状況になった時も平気な顔をしていたぞ」

「……えっと、似たような状況って、それは何をしていた時?」

「一緒に風呂に入った時だ」

「え、どういう流れで?」

「熊の涎で身体が臭くなったせいだ。悪いとは思ったけど、弟のシャワー中だけども突入した」

「まるで意味わからんので麻弥ちゃん、2アウト」

「なんで!?」

「むしろ、なんでセーフと思ったし……いや、本当に」



 そうして、3本目の指を立てた茶子は……しばしモゴモゴと何かを言いよどんだ後、ヨシッと気合を入れてから尋ねた。



「あのさ、麻弥ちゃん」

「なに?」

「前からちょっと気になっていたんだけど、麻弥ちゃんって弟のことどう思っているの?」

「へ? どう思うって?」

「年上の友達なんだけど、麻弥ちゃんと似たような家族構成なの。それでね、その人は弟がジロジロ視線を向けてきて鬱陶しかったって前に話していたんだよね」


「……ふむ、それが?」


「その人って、かなり可愛いうえにスタイルも良くてさ。私が知っている限りでも3人ぐらいから惚れられているぐらいには可愛かったわけよ」


「ふむふむ」


「だからなのかもしれないけど、その人の弟くん、いわゆるエロ猿みたいな感じになっちゃってさ……隙あらば理由を付けてベタベタ引っ付こうとしてきたんだって」


「ふむふむふむ」


「家族だしあんまり強くも言えなくて我慢していたって愚痴を零していたけど……正直、麻弥ちゃんとしてはどう?」


「どう、とは?」


「そんなふうにエロい目でジロジロ見られて……嫌になったりする?」



 そう、何処となく真剣な目で尋ねられた彼女は、顎に手を当ててしばし思考を行った後……静かに、首を横に振った。



「嫌になど、なるわけがない。年頃なら、血迷っても不思議ではない。他人にするなら問題だけど、私は問題にしていないから大丈夫だ」

「最悪、その、そういう目で見られても?」

「実際にその時になってみないと分からん。でも、大介は可愛いやつだからな、気性が落ち着くまではお姉ちゃんとして頑張ってやらねば姉が廃るというものだ」

「……はあ、わかった」



 キッパリと言い切った彼女に、茶子は……満面の笑みを浮かべた。



「麻弥ちゃん、分かり難いけどなんだか相当なレベルのねちっこいブラコンであることが分かりました」

「え? なんでそうなるの? いや、大介は可愛いけどさ」

「なので、私たちの家に泊まりに来て。今日、どっちも法事で遠方に行っているから……『男』というモノを教えてあげるから」

「え、いや、聞いているのか、人の話を……」

「ちょっと、危なっかし過ぎて見てられない。麻弥ちゃんは危機感というか、ちゃんと気を付けないとガチで危ないと思うんだよね?」

「気を付けるって……何を言っているのか分からないけど、私はちゃんと気を付けているぞ」

「え、どこが?」



 心底不思議そうに首を傾げる茶子(黒子始めその他一同)を前に、彼女は……制服越しでも分かるビッグなπをむんと張った。



「あの子が変にソワソワしていても朝○ちしていても私は見て見ぬふりをして、風呂あがりにチラチラ見て来ても気付いていないフリをして、静かになった時は物音を立てないよう気を付けている!」



 ……。



 ……。



 …………? 



「……え、それで?」



 更に困惑を深めている茶子たちを尻目に、彼女は……自信満々といった様子で高らかに拳を振り上げた。



「すなわち、ちゃんと出したくなった時は気配を消して、何も気付いていないフリを──」

「はい、3アウト。チェンジ確定なので、今日は私の家で色々と勉強しようね、麻弥ちゃん」

「……なんで?」



 一方的に有無を言わさず遮られた彼女は、まるで意味が分からず目を瞬かせた。


 今の会話からどうしてそうなったのか……不思議には思ったが、とりあえず……彼女は笑って首を横に振った。



「そんなの教えてもらわなくても分かっているから大丈夫だよ」



 これは、事実であった。


 何故なら、男だった記憶がある分、男性特有の生理的衝動は、身を持って経験している。それは、今が女であるかどうかは問題ではない。


 思春期特有の衝動もそうだし、邪険に扱われるのが基本過ぎるうえに、異性からそういった部分を蔑ろにされる苦い経験も覚えている。


 男だった時は女を本当の意味で理解出来なかったように、女もまた男を本当の意味で理解出来ない。


 それが当たり前で、前世を明確に覚えているからこそ、身を持って体感してきた経験があればこそ、初めて理解出来る部分なのだ。


 だからこそ、彼女が発したその言葉は間違いなく本心であり、友人ではあるが、女である茶子から教えてもらうことなど何も無いと本気で思った。



「駄目、そういう分かっているって子ほど危ないんだから」

「え~、いいよ、そんな事しなくても……そっちよりも、こっちとして聞いてほしい事が他にあるんだけど」

「そっちは後で聞くから」

「え~……あ~、分かった。母さんたちから許可を貰えたら行くから、その時はちゃんと相談にのってよね」



 けれども、真剣な眼差しを向けられた彼女は……それが厚意であることに気付けば最後、頷く以外の選択肢など取れなかった。






 ……。



 ……。



 …………許可が下りないと思っていたが、思いの外あっさり許可が下りた、その日の夜。



 事前に話していた通りギャル姉妹の家には両親の姿はなく、ある意味気軽な気持ちで一泊する事が確定したわけだが。



「……駄目だ、あたし達では麻弥ちゃんの回りくどくも根の深いブラコンを止めることはできねえっす」

「これ無理だよ、お姉ちゃん。なんか分かんないけどワインのように熟成されたブラコンだよ」

「どういう評価なのか反応に困るんだけど!?」



 茶子(黒子はサポート)は何とか彼女のブラコン気質を軌道修正しようとしたが、ビクともせず。



「前から思っていたけど、いったいどんな生活を送っていたらそんな身体に成れるの?」

「え、いや、そんなの聞かれても(気功術抜きで)分かるわけないじゃん」

「……麻弥ちゃん、VIO脱毛やってる?」

「なにそれ? 眉とか剃ったりはするけど、脱毛は今のところしたことないよ」

「────」

「そんな目で見るの止めてね、二人とも。さすがの私でも怖いよ」



 風呂場にて、信じ難いナニカを見るかのような眼差しを向けられてしまい。



「麻弥ちゃん、何か香水でも塗った? 甘い匂いがするんだけど」

「いや、なにも……汗掻いた時とかには塗るけど、それ以外ではあまり……」

「マジ? ナチュラルにコレ? ものすっごい良い匂いなんだけど……上から下までコレってヤバいよ」

「人を怪物か何かのように言うの止めてくれる?」



 結局、色々と騒いでいるうちに夜が更けてしまい、彼女の目的であった次回の動画配信に関する相談は、ちょろっとしか出来ず……3人揃って寝落ちとなった。



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