2話 本当に急展開だ。

 光を感じて聖也の意識が覚醒する。

「……」

 瞼を開いて見ると、光の正体は天井に取り付けられた蛍光灯であることが分かった。その光に照らされた周囲を見渡してみると、昭和の刑事ドラマで出てくる取調室のような質素で狭い個室。その真ん中に聖也は椅子に座らせられていた。

「……」

 普段であれば見ることのないだろう光景に内心で困惑しつつも、頭を掻こうと何気なく手をうごかそうとして、金属が擦れる音ともにその行為が困難であることに気づかされる。

「は?」

 さらに困惑させられて、手元を確認してみて気が付く。

 両手が後ろに手錠で縛られていたのだ。

訳が分からない。どうして自分は手錠で拘束されているんだ。

 自分の置かれた状況と周囲の景色。

 何かに巻き込まれている。そう聖也の頭は結論に至った。

 それでも意味が分からない。

何かよくないことに巻き込まれているのは間違いないとして、こうなるような原因が思い至らないのだ。

そもそもこれは本当に現実なのだろうか。夢という可能性もある。

 人生でそうそう起きないだろう現状。夢でなければ説明が付かない。

 もし夢だったとして。確か夢の中で、これが夢であると気がつくことが出来れば、自分の意思でどうにかできるという話を聞いたことがある。

そうと分かればやることは一つ。この夢から覚めることだ。

夢から覚めてしまえばこの場所からおさらばすることができるはず。

 聖也はそう考え至ると、目が覚めるようにと念じて瞼を閉じる。それから数秒が経過し瞼を開けてみる。しかし特に景色が変わることはなく、静けさに包まれていた。

 夢ではないのか。それともまだ夢の中なのか。

 目の前には特に代わり映えのしない扉がある。そして足は縛られていない。

 立ち上がることが出来れば目の前の扉を開けて逃げられそうだ。

 目ざれることが出来ないなら、行動にしてみるのみ。

「ふん!」

 立ち上がろうと踏ん張ってみるも、両手が後ろで縛られているせいで力が入らず、立ち上がることが出来ない。

 何度かトライしてみるも体はまるで金縛りにでもあっているかのように立ち上がることが出来ない。

「ぬあー」

 声だけ出しても立ち上がれないのだから意味がない。

 無駄な体力を使っただけ。

 自力でどうすることも出来ないのであれば、最後の手段だ。

「すませーん! 誰かいませんか⁉」

 人がいることを祈って叫ぶしかない。

 もしこれで人がいたとしてその人が闇組織の人間の場合もあるが、どちらにしてもこのままではどうすることも出来ないので仕方ないだろう。

 緊張と恐怖で少し声が震えるが叫び続ける。

「誰かー!」

 扉越しから物音などは聞こえてこない。

 もしや誰もいないのではないか。

 胸中不安がこみあげてきたその時。扉のドアノブが捻られたかと思うと、扉が開いた。

 誰か来たことに軽く安心を覚えるが次に恐怖が襲う。

 人が来たのはいいことだが、その人物は黒いコートに身を包んだ大柄で髭を生やした男だったのだ。

 見た目てきに年齢は三十代後半から四十代前半だろうか。

「……」

 感情の籠っていないような目でこちらを見つめて火のついたタバコを加えているその様に、聖也は思わず黙り込んで唾を飲み込む。

 明らかに普通ではない。

 やはり自分は闇組織の人間に拉致されていたのか。

 頭の中でそう結論が出てしまい、何も考えられなくなってしまう。

 恐怖で声が出せない。

 アニメや漫画の主人公みたいに問いただすなんて勇気が聖也にあるはずがないのだ。

 吐き気を催してしまいそうなほど早鐘を打つ心臓がうるさくて仕方ない中、男はタバコを吸いながらこちらに近づいてくると背後に回り込んできた。

「……」

 ああ、自分はこれから始末されるのだろう。後頭部に拳銃を突き付けられるのか。背後からナイフで首を掻き切られるか。それとも首を絞められるか、折られるか。

 身動きのできない状態で死ぬ直前の痛みや苦しみを想像し、怖さが増して涙が出てくる。

 怖い。嫌だ。解放されたい。夢であってほしい。自分は何もしていないのに殺されるのか。

 まだ人生これからなのに、二十三年生きてこれで終わりなのか。

 これから新しいことや、やりたいことがあるだろうに。咲にもお別れが出来ていない。

 自分が死んだら咲はどんな顔をするのだろう。泣くだろうか。怒るだろうか。

 いや、そもそも死んだ後に自分の亡骸が無事に帰れる保障もないのだ。

 山に埋められるか、海に沈められるか。

「……」

 無言で男が真後ろにいるのを全身で感じる。

 体がガクガクと震える中、男が動いたのか布が擦れる音が聞こえた。

 ああ、来る、死ぬんだ。怖い、怖い、怖い。

 両目を力いっぱいに瞑った。

「……」

 だがしかし、数秒が経過しても何も起こらない。

 そして痛みや苦しみではなく、金属がカチャカチャと鳴る音が聞こえたかと思うと、次に手首にあった手錠の感覚がなくなった。

 恐る恐る瞼を上げると、目の前で男が手錠を指先で振り回しながら立っていた。

「はへ……?」

 自分は死んでいない。手錠を男が持っているということは解放されたという認識であっているのだろうか。

 全身の力が抜けて間抜けな声が口から漏れ出し、気が付けば全身は汗でずぶ濡れ顔は涙もプラスされている。

「なんだお前、泣いてんのか。男が情けねえな」

 目の前の男がダンディな声でこちらをバカにしながら鼻で笑ってくる。

 こんな個室で椅子に座らされ手錠を付けられ、闇組織にいそうな男を見せられたなら誰だって怖いはずだ。

「聖也?」

 と、男の体で隠れていた扉のほうから、聞いたことのある声が自分の名前を呼んできた。

 その声の主が姿を見せてきたことにより、聖也の体は今度こそ安堵に包まれる。

 黒いスーツに身を包み、長い黒髪をポニーテールにした姿の、聖也の自慢の彼女。斎藤咲がそこにいた。

 体の力が抜けたことにより椅子からずり落ちてしまい、咲がこちらに駆け寄ってくる。

「聖也泣いてるの? 大丈夫?」

「大丈夫だよ……グス」

 服の袖で涙を拭いながら鼻をすする。

 まさかこんな形で彼女に泣き顔を見せることになるとは、確かに情けない。

 そんな聖也の様子を見た咲は立ち上がると、後ろの男を睨みつけた。

「ねえ。何やってるんですか? わざわざ手錠で縛って。私の彼氏だって言いましたよね?」

 男は咲の睨みに肩を竦める。

「いや、確かにそれは聞いたが、分からないだろ? もしかしたら危険があるかもしれんし。まあ、もう一つは少し驚かして見たかったっていうのが本音だけどな」

「!」

「あぶねえな……」

 弁明になっていないことを口にしたとたん、咲はどこから出したのか分からないが、刀のような形状をした黒い武器を男の首に突き付けた。

 武器を突き付けられた男は特に驚く様子もなく吐き捨てたが、咲も容赦のない雰囲気だ。

「私はあなたのそういう所が嫌いだって言いましたよね?」

「知ってるよ」

「私の彼氏泣かせてただで済むと思ってるんですか?」

 咲は男に武器を突き付けたまま、今度は腰から拳銃を抜いて男に向ける。

「どっちでやられたいですか?」

 拳銃も向けられているというのに、男が怯える様子はない。

「どっちも人間を傷付けられないと分かってるだろ?」

「はい。だからもっとムカつきます」

 トラをも殺してしまいそうな目つきで睨む咲に、男は降参するように両手を上げた。

「わかったわかった、俺が悪かったよ。謝る、謝るって。えっと、そのなんだ、申し訳なかったね彼氏君」

 二人の一連のやり取りに唖然としていた聖也は突然話しかけられたことで我に返る。

「いえ、殺されないと分かって安心しました……」

 正直なところは何か言ってやりたい気持ちはあるが、恐怖から解放された反動のせいか何か言えるほどの体力は残っていなかった。

 聖也は許したが咲はまだ納得がいっていないようで、男のことをまだ睨んでいる。

 それに対して男はため息を漏らす。

「わかった。給料二倍にするからこれで勘弁してくれ」

 男がそんな条件を出すが、咲は拳銃をしまうと三本の指を立てた手をグイッと突き付けて。

「三倍」

「わかりましたよ」

 要求を呑んだ男はまたため息を漏らし、話し始める。

「とりあえず事情を説明したいから場所を移したいんだがいいか?」

「は、はい。おとっと」

 聖也は返事をして立ち上がろうとして、まだ体に力が入りきらずよろけてしまう。

「大丈夫?」

 咲が咄嗟に動いて支えてくれたため、床に手をつくことはなかった。

 その様子を見ていた男は口笛を鳴らしてニヤつく。

「ラブラブだね~」

 男の一言に咲はキッと睨みつけ。

「はい。奥さんに逃げられたあなたと違って良好な関係を築いてます」

 オブラートという言葉を知らないかのようなハッキリとした物言いに、男は胸を押さえてよろめく。

「ぐ、それは言うなといっただろ……」

「彼氏を虐めたお返しです」

 二人のやり取りに聖也は苦笑いを浮かべるしかなかった。

 咲は本当に許していないらしい。様子からして彼女はこの男のことが本当に嫌いなようで、声音と態度からそれがはっきりと伝わってくる。


 聖也が拘束されていた個室から移した場所は、事務所のような空間。周囲を囲むようにある本棚と、中央にはガラステーブルとそれを挟むように二つのサファー。そして部屋の最奥にはデスクと椅子が一脚。

 男は一人、最奥のデスクへ向かうと椅子に腰かけて、おじさん臭い力を抜くように息を漏らす。

 咲と聖也は隣同士でソファーに腰を掛けると、男は吸っていたタバコを灰皿に押しつぶして火を消すと口を開いた。

「改めて初めまして彼氏君」

「東上聖也」

 彼氏呼びが気に食わないのか、咲は男の声に被せるように強い口調で聖也のフルネームを言うと、男はまたため息を漏らした。

「えー、東上君。初めまして、俺は鬱奈玄道と言います。まあ好き呼んでくれ、でもさん付けで」

「は、初めまして」

 玄道と名乗った男はダルそうな力ない声で話を続ける。

「俺は一応ここで仕事柄上司をしてる」

 その言葉に聖也は内心で驚いた。

 何故なら咲が牙を剥いている相手が上司とは思ってもみなかったからだ。いや、上司でなくても年上な時点で牙を剥くべきではないと思うが。

 聖也は玄道の装いや雰囲気。そして周囲の景色を見て疑問が浮び彼女を見る。

「咲って医療系の仕事じゃなかった?」

 そう、咲は大学を卒業後、医療関連の仕事に就いたと聞いていたのだが、今いる場所は医療系の仕事というよりも、どこかの中小企業の事務所というか、探偵事務所というべきか、どちらにしても医療関連の仕事場には見えなかったのだ。

 と、玄道が声を出す。

「それもこみで話を聞いてほしい」

 その一言を言った後、玄道はまたタバコを一本取りだすと、ライターで火を点けて吸い始める。

「ここは何をしている仕事かというと、魔物狩りだ」

「はい?」

 突然の言葉に聖也は思わず聞き返してしまった。

 玄道の言った言葉がよく理解できなかったのだ。

 魔物狩りと言ったか。いやいったい何を言い出しているんだこの男は。中二病のような単語を言い始めるなら、まだ探偵事務所と言ってくれたほうがよかった気がする。

「魔物だよ、ま・も・の」

「それは聞こえました」

「じゃあ聞き返すな、テンポが悪くなる」

「文句言ってないで窓を開けてください。臭いです。匂いを付けないでください」

「へいへい」

 咲に言われて玄道は椅子から立ち上がると背後の窓を開けて話を続ける。

「信じられないと思うが、魔物なんて存在は実在するんだよ」

「いやだって、え?」

 実在すると言われても納得がいかない聖也。そんな様子を見ていた咲が補足を入れる。

「ここに来る前に道路で見た黒い物体のことは覚えてる?」

「え?」

 聖也は言われてここに来るまでの今日の記憶を思い出す。

 バイトが終わってからの記憶を思い出していき、真っ黒で大きな影のようなものを思い出した。

 あの時は周囲が暗かったせいなのかよく見えなかったが、確かにいたのを思い出した。

「影みたいな黒いのが魔物?」

「わかったか? それが魔物だ。そして、それを退治するのが俺らの役目」

「え、それじゃあ咲が医療系の仕事に就いたのは噓だったってこと?」

 今ここで働いているということは、咲の医療で働いているというのは嘘なのでないかという疑問が浮かんだ。

 何故なら咲が就職してからまだ一年も経っていないのだ。

だがそれに対して玄道はタバコを聖也に向けて。

「いや、それは事実だ。確かに斎藤はそこで働いていたんだが、途中でこっち転職した」

 そう言ってきたが、聖也は意味がよく分からないでいた。

「斎藤が見えるようになったのは最近のことだ」

 玄道は言葉を続ける。

「簡単に言うとだな。斎藤は魔物がもともと見えてなかったんだが、最近になってそれが見えるようになり、俺と出会ってここに転職したってことだ。オッケー?」

「はあ……」

 間の抜けた声を漏らす聖也。何となく咲の今に至るまでの経緯は分かったが、魔物に関してはまだ分からないまま。

 玄道はさらに話を続ける。

「何となくわかったみてーだから今度は魔物に関して軽く説明する」

 玄道はタバコを吸って煙を吐き出す。

「魔物ってのは人間に対して確実な害をもたらす幽霊とでも思ってくれれば問題ない」

「ん? ああ……」

 ということは、咲は急に霊感に目覚めた結果、魔物が見えるようになってしまったということかだろうか。

「魔物ってのは人間の負の感情から生まれ、人間に不幸をもたらす厄介なやつでな。魔物から出る瘴気をみたいなものを浴び続けると、それに侵された人間は病んで自殺したり、事故を起こしたり、犯罪を犯したりしちまうのさ」

「え」

 玄道から魔物に関することを聞いた聖也は驚きを隠せない。

 魔物が人に害をもたらすのは、魔物と言われるくらいなので何となく良くない存在であることは分かったが。内容が想像をはるかに超えていた。

 人を自殺に追い込む。犯罪を犯させるなど、それはもうこの世の常識を超えている。

 社会問題だ。

「病んでる奴とつるんでると伝染して病む奴とかいるだろ? あれと似たようなもんだ」

 軽くそんなことを言うが、大問題だ。

 そんなとんでもないものが世の中に存在しているなど。

「そんな魔物退治を斎藤には手伝ってもらっている」

 玄道の言葉で聖也がは隣に座る咲の顔を見ると、目が合った咲は苦笑する。

 黙っていてごめんと内心で言っているように見えた。

「んで」

 玄道はタバコを吸って吐き出すと。

「君にもぜひ手伝ってほしいんだが、どうだ?」

「え?」

 もう何回間抜けな声を漏らしたか分からない。

「給料は弾むぞ」

「いや、給料がどうとかそういう問題ではなく、俺にそれが務まると思ってるんですか⁉」

 聖也は困惑で声を荒げてしまう。人間に害を与える幽霊なんかと戦うなど前代未聞もいいところだ。それをさも当たり前のように手伝ってほしいなどと。はいそうですか、分かりました、やりますなんて言えるはずがない。

「ま、そんなもんだろうな」

 玄道は聖也の言葉に納得したように頷くと、タバコを灰皿に押し付ける。

「強制はしない。はっきり言って危険な仕事だ。戦えるから害がないなんてことは一ミリもない。こっちも必死なんだ。世界に関わることだからさ」

「世界って……」

 スケールがデカすぎる発言をされて言葉を失う。

「今日のところは帰っていい。じっくり考えて答えを出せ」

 話はこれで終わりなのだろう。玄道は椅子に座るとデスクに足を乗せて携帯を取り出して操作し始めた。

「行こっか」

「ん、うん……」

 咲に促され、聖也はあまりにも理解が追いつかず訳の分からないことの連続で、頭がキャパオーバーになりそうだと思いながら、彼女と二人、今いる場所を後にして自宅に向かって歩き出す。

 深夜の静けさが、妙に不気味に感じた。

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