第8話 教会と魔術塔

「……だから、分からないって何かしら。あなたは弟子でしょう!」

「本当に分からないんです。この人は、たとえ俺だからといって態度を変えるような人ではないですから」

「じゃあ持っているその紙が何か教えてくださる?」

「調べるように頼まれました」


 潜めた、けれど抑えきれない苛立ちの滲む声で、ルシルの意識はゆっくりと浮上した。

 部屋の中はざわめきで満たされている。どうやら、かなりの人がいるようだった。

 時折嗜めるような声もあるものの、全て高い女性の声に冷たく一蹴されて終わっている。周りの様子を歯牙にもかけず、その声が続けた。


「頼まれたって、何も分からないのに?」

「この人はそういう人です」

「ええ? 意味が――」

「全く、人の枕元で何の用かな?」


 ルシルの言葉に、先ほどまで言い争っていた声がぴたりと止まる。

 ゆっくりと半身を起こしたルシルは、微笑みを浮かべてから室内を見渡す。


 一番近くに、ルシルに背中を向けてフィリップが立っている。フィリップと向き合うようにして口論をしていたのは、1人の聖女だった。

 気の強そうな美人だ。艶やかな化粧を施した顔は、美しいと言って差し支えのないものだが、今はその美貌が憤怒に歪んでいる。

 その他にも部屋の中にはぱらぱらと人影があるが、その服装は全く同じである。

 すなわち、白に金糸のローブと、聖女の証マートリア・エンブレム――聖女の制服。


 その人だかりの中に、勿忘草色の髪を短く切りそろえた、知った顔を見つけた。おそらく、あの時に討伐の現場にいた聖女たちなのだろう、と気づいた瞬間に、ルシルは要件を悟った。

 ルシルの落ち着いた声に、予想通りというべきか、先程までフィリップと言い合っていた聖女が声を上げる。


「あなたは何を考えているのかしら? あんなふうに私たちの邪魔をしておいて、理解に苦しむわ」

「私には私の考えや事情はあったのだけど……まあ、強引というか、無茶な止め方をしてしまったことは謝罪するよ。申し訳なかったね」

「その考えとやらを言ってみなさい!」

「それは良いんだけど、その前にね」


 ルシルはわずかに目を細めた。

 説教は得意ではない。自分の正しさを、人にまで求めるつもりはないし、そうそう簡単に人は変わらない。けれど。


「君、名前を聞いても?」

「そんなものを聞いてどうするのかしら? レイテよ。レイテ・シューレン」

「それではレイテさん。私は人にとやかく言うことは好きではないんだけど……先程の態度は、魔物退治へ悪影響を与える可能性もあると思うんだけど、違うかな?」

「師匠。言い方が回りくどすぎます。この手の輩ははっきり言わないと分かりませんって」

「フィル。言い過ぎ。君は真っ直ぐすぎる、言いたいことを全て言うだけが解決法じゃない。自分はすっきりするかもしれないけど、それによって何の利がある?」

「俺だって……いや、すみません」


 師匠が侮辱されなければ、こんなこと言いません。


 そのフィリップの言葉はもちろん聞こえていたけれど、ルシルは聞かなかったことにして、言葉を続けた。


「レイテさん。あなたの聖マートリア教会での立場は?」

「聖マートリア教会ラツェル第二支部所属の、中級聖女よ」

「なるほど。その歳でラツェル配属、しかも中級となれば、優秀なんだね」

「……突然何よ?」

「そんな優秀なレイテさんに聞きたいんだけど、例えば偶然、絶対に敵わない魔物に遭遇したら、どうするのが正解?」

「即刻退避、救援を呼ぶでしょう?」

「うん、正しい判断だ。では、今自分たちが逃げたら、魔物がそのまま暴れて、近隣の村に被害が出ると確信していたら?」

「……一部を残して魔物の注意を引き付けている間に、残りで救援を呼ぶわ」

「さすが、指南書通り満点の回答だね。中級聖女の名は伊達じゃない、ってことかな」


 ふっとルシルは笑うと、指先を伸ばしてレイテの後ろに立つ聖女たちを指差した。


「では、この面子でその現場にいるとしよう。君が最高責任者だ。誰を残して、誰で救援を呼びに行く?」

「……」


 ルシルの、ゆったりとした、けれど人を引き込むような抗えぬ魅力を持った語りに毒気を抜かれたのか、レイテは振り返ると、ぱらぱらと立つ聖女たちを見つめた。

 壁にかけられた時計の針が一周まわったところで、ルシルが口を開く。


「はい、時間切れ。レイテさんたちはもう魔物に食われてるね」

「……何が言いたいの?」

「少し待ってほしいね。物事には順序というものが……まあ良い。ちなみに私だったら、そこの短い髪の彼女は確実に残す。名前を聞いても?」

「……え、あ、っと、リル、と申します」

「リルさん。彼女の戦い方はなかなか私に似ているというか、ありていに言ってしまえば好みだったのだけど、さてレイテさん、彼女の得意魔法は? 戦い方は? 属性は、系統は?」

「……」


 押し黙ったレイテに、ルシルは軽く手を振ってみせる。


「ああ、説教をしたいわけではないんだけど……いや、これは説教になるのかな? まあ良い、彼女の得意系統は恐らく光属か熱属、それも生産職系の光源系統か熱加工系統」

「ど……うして、知っていらっしゃるのです?」

「戦い方をみていたら、何となく分かるものだよ」


 魔法、と一口に語っているが、その種類は多岐にわたる。

 体内を巡る魔力をただ外に出したところで、音や光、熱にしかならない。正しく魔法として使うためには、それを加工し、組み合わせ、放出する工程が必要となる。


 その工程は、体内の魔力を分留するところから始まる。通常、人の中にある魔力は、複数の属性が入り混じっている。その比率は人によって様々であり、その比率が得意な属性を決める。

 そうして属性純度の高い魔力を作り上げて初めて、術式が登場する。


 魔力を加工するための術式は、詠唱から始まり、やがて簡略化され、隆盛を極めたかと思えば廃れ、長年の時の中で少しずつ醸成されてきた。そして魔術の祖と名高い大魔術師が、その魔力の変換先を大まかに『属』に分け、さらに細分化したものを『系統』と名付けた。

 厳密に言えば単純な属ではなく、複雑な変換を経ているが、汎用性が高い術式は、それに倣って『副属』と呼ばれている。人体副属や天候副属などがその良い例だ。

 そうして誕生した魔法の体系は、わずかに形を変えつつも今も学ばれている。


「基礎魔法も使いよう、というか。確かに攻撃力は皆無に等しいけれど、撹乱にかけては天才的だ……それが私が彼女は確実に残す理由なんだけれど、レイテさん、どうかな?」

「……」

「魔物との戦闘は、魔法での殴り合いじゃない。そこにある全てを使わなければ、私ら人間よりずっと強大な存在である魔物とは戦えない。そして仲間っていうのは、そこにある全ての中でも、最も強力なものだと、私は思っている。それが私の、『無能聖女』の戦い方だ。だけど、先程からのあなたの態度は……私はともかく、他の聖女たちへの態度に関しても、なかなか残念なものだったように、私は感じた。それだけだよ」


 ルシルは顔を顰めた。やはりやめた方が良かった。

 唇を噛み締めたレイテの顔から、ルシルは目を逸らす。

 こういう人間は、得てして自らの非を認めるのが苦手だ。たとえ自分の失敗を目の前にぶら下げられようとも、心は勝手に逃げ道を探すもの。

 そこでその逃げに気づけるか、どう感じるかが、人の性格を決めるものだけれど。


 しばしの沈黙の後、レイテがかすかな声を漏らす。


「……ルシルさん」

「嫌だな、ルシルで良いよ。柄にもなく説教なんて、ごめんなさ――」

「いえ」


 断言して顔を上げたレイテの姿に、ルシルはわずかに目を見開く。


「私が、悪かったわ」


 その突然の殊勝な態度に、フィリップが面食らったように一歩下がって、助けを求めるようにルシルに視線を送る。その視線に苦笑で返すと、ルシルはゆったりと頷いた。


「別に、気にしてないよ。勝手に行動した私にも非がある」


 まあ、自棄もあるのだろうな、とは思う。

 ここで殊勝な態度をとっておけば全て丸く収まるという打算も。けれど引き際をわきまえているというのは、それだけで素晴らしい価値がある。

 ほんのわずかでもルシルの考えが心の片隅に置かれれば、ルシルはそれで満足なのだ。


「ところで」


 ルシルは微笑むと、何とも言えない空気を拭きとばすように勢いよく指先を突き出した。


「追加で質問だ。実は指南書には絶対に乗っていないけれど、もしさっきのような状況になったら非常に有効な手段があるんだけど、何だと思う?」

「……」


 我関せず、という顔で時計を見つめている聖女に向かって、ルシルはぴしりと指を伸ばした。


「全員で考えてみよう。その場にいるのはここの全員。魔物は聖マートリア教会の中級聖女では不足と言って良い強さ。さて、どうする?」

「……ああ」


 フィリップの苦笑に、ルシルは顔を上げる。後ろ姿のため表情は見えないが、その声がいつもより低く掠れているような気がして、ルシルはすぐに目を伏せた。

 けれどそれも錯覚か。罪悪感、故の。傷つけたという自覚の上の。


「恐らく、俺は分かりました。……けど、全くもって気に入らない手ですね」

「だろうね」


 は、と小さく息を呑む音に、ルシルは微笑む。


「リルさん。分かったかな?」

「あ、その、え、っと」


 くるりと振り返り、リルの方を見つめた聖女たちに、リルは一歩下がった。そのまま手を胸元に寄せ、ぎゅっと皺になる程胸元を握りしめる。


「そうか、リルさんは派遣聖女か」

「も、申し訳ございません!」

「え?」


 ルシルの声に途端に顔色を変え、リルは震える声で謝罪する。それでも気が収まらないのか、小さな声ですみません、と繰り返すリルに、ルシルは顔を顰めた。


「……なるほど、派遣聖女への風当たりが強いっていうのは聞いていたけど、ここまでとはね。リルさん、ごめん。気がついたから言っただけで、そこに深い意味は何もないんだ」


 リルの胸元にかかる飾りは、聖女の証マートリア・エンブレムではなく、王家の紋章。彼女が魔術塔に所属していることを示すそれは、リルが、魔術塔から定期的に数人聖マートリア教会へと送られてくる、通称『派遣聖女』である証だった。


 魔術塔と聖マートリア教会は、昔からとかく仲が悪い。

 貴族と国のための魔術塔。民のための聖マートリア教会。

 対をなすこの2つの魔法機関は、それぞれがそれぞれに誇りを持っているだけに、顔を合わせたら喧嘩せずにはいられない仲である。


 けれど、国家としては、聖マートリア教会を放置するわけにはいかない。

 民を救う聖マートリア教会は、下手をすると王侯貴族以上に民との距離が近い。権力との無関係を謳い、完全に行政からは独立している組織だが、常に聖マートリア教会や聖女を中心とした反乱の起こる可能性を含んだ、火種のような組織でもある。

 派遣聖女は、いわば監視役だ。王として民への奉仕を援助するという名目のもとに作られた、監視役であり警報器。

 それは誰もが知るところであり、だからこそ聖マートリア教会内での派遣聖女への偏見は根強いという話だった。


 ルシルが実際に派遣聖女を目にしたのは初めてだったので驚いただけなのだが、リルはそれを糾弾と取った。

 あの戦場において、リルが最も危険な囮役を一手に引き受けていたことにも、実はそういった事情が絡まっていたのかもしれない。


「深い意味はない……のですか?」

「うん。強いていうなら言葉遣いが綺麗で羨ましいと思ったくらいだ」

「い、いえ私など……その、よく噛みますし、どもりますし……」

「よく考えて話しているとも言う。物は考えようだよ。それに君の聖女としての技術は一級品だ。今度また話を聞かせてほしいな」

「は、はい!」

「その、それで」


 堪えきれなくなった聖女の1人が、小さくリルをつついた。驚いたように振り返ったリルに一瞬気まずそうな表情を浮かべたものの、すぐに笑顔を作って、リルに問う。


「リルさん、そのもう一つの方法っていうのは……」

「あ、はい。その、失礼な方法なのは重々承知しておりますが」


 少し俯いたリルは、目線だけを上げて上目遣いにルシルを見上げる。その小さな唇が漏らす声を、誰もが待ち侘びていた。

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