第1話
屋敷を出た私達は隣町へと移動し、とりあえず住み込みで働けるような場所を探そうと、紹介所へやって来た。
けれど、職歴のない私を雇ってくれそうな所はなく、諦めて紹介所を出た。
「……やっぱり、世間知らずの箱入り娘が安易な考えするもんじゃないわね……」
気づくとそんな言葉が出ていた。
伯爵邸を出たことを後悔している訳では無い。
令嬢でいる時にもっと世間の事に目を向けていなかった自身の未熟さに嫌気がしたのだ。
まあ、当時の私が周りの事まで気を配れたかと言えば答えはノーだけど。
「おっ、リズ。あそこあそこ」
肩を叩きながら私を呼ぶクロの視線の先には『従業員募集』の看板。
その店は……
「……薬屋?」
私は薬草に関しての知識はそれなりに教え込まれたが、実物を見た事も触れたこともない。
そんな私が薬屋?という不安はあったが、わがままを言っている場合ではない事は承知している。
店のノブに手をかけ、カランカランと客が来たことを知らせる鈴がなった。
中はアルコールの匂いと薬草特有の匂いが漂っていた。
「おや?若いお嬢さんがめずらしいな。どうしたんだい?」
やって来たのは眼鏡をかけた年老いたおじいさんだった。
優しく小さい子供に問いかけるような口調で言うおじいさんを見て、私の不安は吹き飛んだ。
そこで、思い切って聞いてみることにした。
「……あの、外の看板を見てきたのですが……」
「従業員募集のかい?」
「はい」
やはり、駄目だろうか……
そんな思いが頭を掠めた。
「……そうかい。まあ、座りなさい。今お茶を入れるから」
一瞬で何かを察した様な感じで私に座るよう促すと、おじいさんはお茶を入れに奥へと行ってしまった。
残された私はフーと息を吐いて椅子に腰かけた。
「どうした?疲れたか?」
「……いや、優しそうなおじいさんだと思って……」
「そうか?普通やろ?」
私にはその普通がない。
あんなに穏やかな笑顔を今までに一度も見たことがない。
「リズ。君はもう、伯爵家の娘でも令嬢でもないんよ?これ以上自分を苦しめる必要はあらへん」
俯く私の頭にポンッと優しく手が置かれた。
「……──その言葉、死神としてはどうかと思うわよ?」
心が壊れている私には、そんな優しい言葉を掛けられても棘のあるような言い方しかできなかった。
クロはそんな私の気持ちが分かっているのか怒りもせず微笑んでいるだけだった。
「おや?おかしいな。話し声が聞こえたんだが……」
おじいさんが奥から戻ってくると、その手にある盆にはカップが三つ乗っていた。
クロが他の人に見えないと言っていたのは本当だったようだ。
戸惑っているおじいさんに誤魔化すように「すみません。独り言です……」なんて苦し紛れの言い訳をしたが、その言葉を疑うことなく信じてくれた。
「………それで、お嬢さんはどこのご令嬢だい?」
やはり気づかれていた。
「訳アリのお嬢さんだと取るが……どうだい?」
おじいさんの目は確信を付いたように鋭い目をしていた。
その目はお父様を彷彿とさせるものだった。
思わず身体が恐縮し声を出せないでいると、フワッと私に覆いかぶさるようにクロが抱きしめて耳元で「大丈夫や。僕がおる」そう囁いてくれた。
その言葉に私の心が一瞬暖かくなったような気がして、意を決して口を開いた。
「おじいさんの言う通り、私はシュミレット伯爵家の娘でした」
「でした?」
「はい。私は父に絶縁を言い渡され家を追い出された身です。今の私はただの平民の娘です」
「なるほど……それでこの町に?」
「……はい」
おじいさんはそれ以上何も聞かず黙ってしまった。
その沈黙がおじいさんの答えのような気がして、それならここから早く出て他を探そうと椅子から立ち上がりお礼を言おうとしたら、手を握られた。
「ここを出て行く当てはあるのかい?」
「……いえ」
「それなら、ここにいればいい。こんな老いぼれと一緒でよければだがな?」
そう悪戯に笑うおじいさんを見て、何故か涙がこぼれた。
その涙を見たおじいさんとクロが驚いたが、それ以上に私自身が驚いた。
今までどんなに罵られても侮辱されても涙を流したことなどなかった。
だから、この涙の理由が分からない。
「辛かったんだな……今日はもうお休み」
そう言いながら私の顔の前に手を差し出し瞼を閉じるような仕草をすると、フッと意識がそこで途切れた。
❖❖❖
次に目を覚ましたのは朝日が昇ったころだった。
「起きたか?」
ベッドの横から声がかかった。
振り向くと椅子に座っているが、その椅子と一緒に浮遊しているクロの姿があった。
「……おじいさんに見られたホラーだから椅子と一緒に浮くのはやめてくれる?」
「女の部屋にノックせず入ってくるほど非常識じゃないやろ」
「確かにそうね……じゃあ、あんたは非常識ってことね」
「僕はええんですぅ」
その根拠はどこにあるんだと呆れたが、いちいち言い返していたらキリがない。
「……私はどれぐらい寝てた?おじいさんの手が目の前に差し出されたのまでは覚えてるんだけど」
「あのジジィが薬嗅がせて眠らせたんよ。ああ、リズが心配するほど寝とらへんよ。昨日の今日や」
クロの言葉を聞いて安心した。
勤務初日から寝坊なんて、おじいさんの好意を無碍にできないから。
私は急いでベッドから下りると、身支度を始めた。
暫くすると、ドアをノックする音が聞こえドアを開けるとおじいさんが朝食を持って来てくれていた。
「具合はどうだい?朝食は食べれそうかい?」
「はい。ありがとうございます」
頭を下げ、朝食を受け取った。
パンに野菜スープという簡素のものだが、伯爵邸で食べた豪華な食事よりもおいしかった。
おじいさんは私が食べる姿を見て安心したようで「それを食べ終わったら、さっそく働いてもらおうか」と言って部屋を出て行った。
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