第10話 スパイ疑惑

「第三地区の住民の住所登録と集計が終わりました」


「お、おお……。じゃあ次は……」


 シェフィの報告を受け、役人が命令を出す。


 期待の新人が現れたという噂は、瞬く間に家中を駆け抜けていった。


「あの新入り、優秀だな……」


「字も上手いし、頭の回転も速い……」


「ライゼル様自らスカウトしただけのことはあるぞ……」



 ◇



 有能な役人、シェフィの噂はライゼルの耳にまで届いていた。


 彼女の能力の高さはもちろん、それを見抜きスカウトしたライゼルの眼力を称える声が家中のあちこちから聞こえてくる。


(褒めろ……。もっと俺を称えろ……)


 家臣たちから寄せられる尊敬の眼差しが心地いい。


 ライゼルが優越感に浸りながら執務をこなしていると、オーフェンがやってきた。


 内容はやはりシェフィの話である。


「しかし、驚かされました……。よもやこれほどの人材が野に埋もれていようとは……。このオーフェン、当家に仕えるにふさわしい人材を集めるべく奔走しておりましたが、灯台下暗しとはまさにこのことですな」


「なに、優れた人材を見つけると声をかけずにはいられない性分でな……。つい勧誘してしまったのだ」


「なるほど……」


 適当なことをのたまうライゼルに、オーフェンが感心した様子で頷く。


「……して、彼女の――シェフィの身元は確かなので?」


「いや、詳しくはわからないが、モノマフ王国から来たらしいぞ」


「……はい?」


「なんでも、病気の弟のために薬を買いたいが、家が貧しくてそれもままならんらしい。それでこっちまで出稼ぎに来たらしい」


「……………………」


 シェフィの話をそのまま説明すると、オーフェンが押し黙った。


「オーフェン?」


「あの、ライゼル様。……お言葉ですが、一度彼女の身辺を洗った方がよろしいのでは?」


「なんだと?」


「当家が人材を必要とした途端に他国から優秀な人材が集まるなど、少々出来すぎています。この状況、王国の手のひらで踊らされているのやも……」


「何が言いたい」


「彼女──シェフィは、“スパイ”ではないかと。こちらに潜入し、情報をモノマフ王国に流しているのやもしれません」


 オーフェンが真剣な顔で訴えてくる。


 オーフェンの言い分も筋は通っているが、あのシェフィだ。


 財布をなくして、食うに困ってその日の生活さえ危うくなるようなやつである。


 そんな間の抜けたスパイなど、聞いたことがない。


 第一、彼女は家出中の身。自分の立場が悪くなることをするとは考えにくい。


 とはいえ、これらはすべてライゼルが直接見聞きした話でしかなく、この話をオーフェンにしたところで、納得させるのは難しいだろう。


 バルタザール家当主として、権力でゴリ押しするのも可能だが、そんなことをしたところで素直にオーフェンが飲み込むとも思えない。


 さて、どうしたものか……。


 オーフェンに向き直り、少し考えるような素振りをする。


「シェフィがスパイ、か……なるほど。お前の言い分も一理ある」


「では……」


「だからこそ、ここに置いたのだ」


「……どういうことにございますか?」


 ライゼルのその場しのぎの説明に、オーフェンが食いついた。


「他国の者が自由に街をうろついていたらどうだ。諜報も破壊も思いのままだろう」


「だからわざと目の届くところに置いた、と……」


 オーフェンの問いに頷く。


「ヘタに街を歩かせるより、籠に入れた方が扱いやすいからな」


「しかし……それで都市運営に携わらせては、いくらでも情報を抜かれてしまいます。本末転倒ですぞ!」


「だが、それ以上にメリットの方がデカい」


 ライゼルの言葉に、オーフェンが首を傾げた。


「聞けば彼女、モノマフ王立騎士学校に在籍していたらしい」


「あの……」


 モノマフ王立騎士学校と聞いて、オーフェンが息を呑む。


 モノマフ王立騎士学校はモノマフ王国でも名門中の名門。在籍するにも厳しい基準が敷かれ、貴族かそれに準ずる家柄でなければ入学は難しいとされている。


「……ときにオーフェン。当家がモノマフ王国と戦争をする予定はあるか?」


「……いえ、今のところは……」


「だろう。……となれば、無防備にも当家に放たれた他国の貴族は、事実上人質になる」


「た、たしかに……」


 オーフェンが感心した様子で息を呑んだ。


 適当にそれらしいことを語っただけだが、説得力はあったらしい。


 オーフェンの態度が軟化していく。


「……しかし、だからといって内政に携わらせては、こちらの情報を奪われる一方です。いかに有用とはいえ、いずれこちらの足元を掬われるやも……」


「逆だ。情報を奪われるんじゃない。……向こうに流す情報を、こっちがコントロールできるんだよ」


「なっ……」


 オーフェンの顔が驚愕に歪んだ。


「まさか、そこまで計算していたのですか……!? 彼女を引き入れたのも、役人に据えたのも、すべて……」


 今言ったことは全部適当にでっち上げた話でしかない。


 そのため、オーフェンの推察はすべてただの深読みに過ぎず、まったくそんなことはないのだが、ここは「はい」とも「いいえ」とも言わず素直に乗っておいた方がいいだろう。


 ライゼルは意味深な笑みを浮かべると、


「さあな」


 惚けて見せると、オーフェンが感嘆の声を漏らした。


「ライゼル様……底知れぬ方だ……」


 尊敬の眼差しで俺を見つめるオーフェンを尻目に、ライゼルは心の中でシェフィに頭を下げた。


(ごめん、シェフィ。お前うちの中でスパイって扱いになっちゃった)


 オーフェンをはじめ一部からは白い目で見られるかもしれないが、強く生きてくれ。


 そう願いながら、ライゼルは執務に戻るのだった。

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