第105話 幕間 忍と盗賊の役目

 人知れず私を護衛してくれているという朱里さんの存在に私が気付いたことはない。


 本当に居るのかと思ってしまうほど気配がないのだ。


 だから護衛として朱里さんの腕前は分からないし、そういう活動をしている時の姿は見たことがない。


 だけど全く交流がないということでもなかった。


 彼女も先輩の頼みで回復薬作成を手伝うことがあったので、その時に研究室でバッタリ遭遇することがあったのだ。


 その時に過去の先輩の話などで何度かそれなりに盛り上がったこともある。


 その時の彼女は口調こそ荒っぽいものの話し難いことはなかった。年齢も近かったせいか割と仲良く話せたと思う。


 だけど今、私の首に刃物を突き付ける彼女の声はその時とはまるで違っていた。


 冷たく重い。感情など一切込められていない平坦な声なのに不思議と寒気を覚える、そんな冷徹な音を彼女は発していた。


「しゅ、朱里さん?」

「黙ってろ」


 どうしてこんな事を、と続けようとしたがそれは許されずに黙秘を強要される。


 訳が分からない。

 先輩があれだけ信頼していた人が裏切るとも思えないし。


 でもだとすれば突然の凶行は何が目的なのか。


 そう思った私だったが、その考えは口に無理矢理流し込まれた液体が効果を発揮した途端に掻き消えた。


「正気に戻ったか?」

「は、はい」


 私は一体何をしようとしていたのだろう。


 先輩に警戒しろと言われていたのに、どうして研究室のパスを持っていない人を中に入れようとしたのかが自分でも分からない。


 この研究室は回復薬作成の重要な情報や物が集まっている。


 だからこそ最大限の警戒をして、例え顔見知りでも認証をクリアしない人は決して中に通していけないと念を押されていたにも拘らず私は今、その禁を破ろうとしていた。


「洗脳ってほどではないが思考誘導されたみたいだな。しかもこのタイミングは偶然じゃねえだろうよ」

「おーい、そっちが片付いたのなら手伝ってくれよ」


 背後を振り返れば警備員は意識を失って床に倒れていて、外崎さんが朱里さんによく似た男性によって床に押さえつけられていた。


「初めまして、五十里愛華さん。俺は希典英悟。そこの姉の朱里と同じで先輩の元パーティメンバーだったもんです」

「あ、どうも」


 随分と呑気な挨拶だが、その足の下では外崎さんが押さえつけられて藻搔いている。


「な、なんなんですか? あなた達は一体、誰なんですか?」

「見るに堪えねえ演技は止めろ。ゴミが」


 抗議する外崎さんに対して朱里さんはその顔面を容赦なく蹴り上げた。


 まるでサッカーボールを蹴るかのように手加減しているように見えない形で。


 C級のそんな一撃を受けたら外崎さんなど間違いなく首が折れる。

 下手すれば折れた上に首が千切れて飛んでいくだろう。


「うう!」


 だが目の前の外崎さんは痛そうに呻くもののその首は身体に付いたままだった。


 当然骨が折れたりもしていない。


「そんな下手糞な変装でこいつはともかくアタシを騙せると思ったのか? ああ? 舐めてんじゃねえぞ、こら!」

「姉さん。言いたいことは分かるけど、その発言は地味に味方も攻撃してるからな?」

「あ? ……あ、悪い」


 朱里さんは床に押さえつけらえた人物をボコボコにしながらこちらに謝って来た。


 だが敵の策略に嵌りかけたのは事実なので何も言い返せはしない。


 それにしても本当に容赦なくボコボコだ。


 先ほどの冷徹さなど欠片もなくなってヤンキーのような様子の朱里さんによって殴られまくった顔面がパンパンに腫れてしまっている。


 何度も繰り返される殴打に遂に意識を保てなくなったそいつはガクッと首を落として力が抜けていく。


 そして次の瞬間にはその外見が外崎さんとは似ても似つかないそれへと変化していた。


 朱里さんが変装と言っていたしスキルか何かで姿を変えていたのだろう。


 そして恐らく私に思考誘導とやらも施して研究所へ侵入しようとしたのだ。


 危なかった。もし朱里さんが居なかったらと思うとゾッとする。


 まんまと敵のスパイの思惑通りに動かされ利用されるところだったのだから。


「おい、英悟。こいつはお前が連れて行って情報を聞き出せ。お前のスキルなら黙秘している相手からでも情報が取れるだろ?」

「了解。時間も惜しいしさっさと行動するとしますかね。こいつの仲間を芋づる式に見つけ出すためにも」


 そう言って英悟さんがその誰か分からない男を抱え上げた瞬間だった。


 どこからともなく飛来したナイフが朱里さんの胸に突き刺さったのは。


「朱里さん!?」


 声を上げることも無く朱里さんは倒れていく。


 それを見ていた英悟さんはニヤリと笑ってこういった。


「バカが釣れたな」


 倒れていく朱里さんの身体が幻のように消えて行って、通路の影から無傷の朱里さんが現れる。


 もう一体何が起こっているのかさっぱり分からない。


「姉さん、外にもう一人いるからそいつも頼む」

「そっちとは今やりあってる。お前は間抜けにも釣られたこいつを縛っとけ」


 その言葉を信じればナイフを放ったと思われる刺客を引きずってこの場に現れたのは、なんとさんだった。


「は? え? 朱里さんが二人、いる?」


 これもスキルによる変装なのだろうか。全く見分けがつかない。


「これは分身だよ。アタシのスキルの一つさ」

「見ての通り非常に便利なもので、姉さんが一人いるだけで色々な面で万全な体制になるので安心してください」


 分身だから護衛対象を守って死んでも問題ないし、敵を見つけるのも情報収集も、果ては戦闘することまで同時並行して行える。


 今も別の分身が周囲の警戒を行っているというのだからその凄さが嫌でも理解させられる。


 先輩がこの二人がいれば防諜は完璧と言っていた意味が分かった気がする。


 英悟さんの方はどんなスキルを持っているかは分からないけど、きっと朱里さんのように反則級な物を有しているに違いない。


「それでこいつらの身元は?」

「アジア系の見た目からして中国辺りの諜報員だろうな。たぶん愛華さんのご両親の周りを嗅ぎ回ってたのと同じような奴らだと思う。まあその辺りの詳細は後で聞き出しておくよ」


 両親の周りを嗅ぎ回っていたという聞き捨てならない言葉が聞こえたが、次の英悟さんの言葉で何も言う気はなくなった。


「ああ、大丈夫ですよ。もうそいつらは排除しておいたんで」


 そのあっけらかんとした顔で言った内容に寒気がした。


 排除したとは撃退しただけではないというのが嫌でも分かったからだ。


 見た目は好青年そのものなのに何だろう、この人は危ないという気がしてしょうがない。


 そう、先輩とは違う意味で。


(……って、ノーネームのメンバーが危なくない訳ないか)


 奇人変人の筆頭格の先輩に、その先輩にぞっこんの椎平さん。

 そして目の前の二人。


 これだけでも分かる。先輩の仲間だった人達が普通なんてあり得ないのだと。


 もっともそれが今は非常に頼もしいのは事実なので文句を言うつもりはないが。


「安心するのはまだ早いぞ。夜一の方がどうなるかはまだ分からないんだからな」


 だから警戒を怠るな。やらかしかけた身としては朱里さんのそれは身に染みる言葉だった。


「ああ、それと前に言い忘れてたけど……」

「はい?」


 何故かそこで言い難そうにしていた朱里さんだったけど、


「……朱里でいいぞ。さん付けは嫌いだからな」


 そう言って来る時の表情はこれまでの冷徹なものや敵を威嚇するヤンキーのようなものでもなく、どこか年相応のそれに見えた。


 そう言えばこの人改めこの子は私よりも年下なんだった。


 頼りになるから全然そんな気がしなかったけど。


「じゃあ私も愛華で」


 そうして朱里と仲良くなれそうだと思っていたら、


「ええ!? 何ですか、これ!」


 ここ数日の間ずっと研究室に籠りっきりだった外崎さんが偶然研究室から出てきて、この光景を見た外崎さんがそんな悲鳴を上げていたのだった。

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