第7話 幕間 優里亜の本音

 私の夫の哲太は分かり易い人だ。感情がすぐ表に出るし隠し事も下手。


 だからこそ私をどれだけ大切に思って愛してくれるか分かるのでとても安心する。この人は私を守ってくれる。裏切ったりしないと心の底から信じられる。


 だけどその分かり易い夫の友であり探索者の相棒でもある八代夜一という人はその対極で何年も付き合いがあっても底が知れない恐ろしさがある。


 別に悪い人だとか思っている訳ではない。それどころか本質的には良い人ではあるのだろうと思う。


 現に試練の魔物との戦いにおいても自分の身が危険になることを承知の上で私を庇ってくれた。


 それによって片目の視力を失うという大きな痛手を負っても気にした様子もないし、こちらを責めることも一度たりとてしていない。


 むしろ相棒とその奥さんが無事で良かったと意識が戻った時にそう心の底から言うくらい優しい人なのだ。


 だけど私は……失礼なのは分かっている。助けてもらっておいてこんなことを思うのは最低だと自分でも思う。


 それなのに少しだけ彼が怖い。そう感じてしまうのが止められないのだ。


 普段の彼はとてもよく取り繕っている。親しい相手に向けるあの歯に衣着せぬ物言いは完全に隠せていてその素振りを欠片も見せない。


 その変わりようを初めて見た時は内なる別人格でも現れたのかと思ったほどだ。


「上辺は上手く取り繕ってるけど、あいつの本性はクソガキだからな。俺と同じさ」


 夫はよくそう彼のことを評している。


 その夫からクソガキと呼ばれている彼と解散して以来、久しぶりに会って改めて確信した。


(やっぱりこの人は普通じゃない)


 彼は自分と哲太の実力が大して差がないと言うがそれは違う。同じパーティを組んでいた彼以外の全員がきっとどこかで分かっていたと思う。


 彼のような人がきっとトップに立つ人なのだと。私達のようにそこそことかそれなりに優秀なんて枠組みには収まらない。根本から異なる何かが彼にはあるのだ。


 その一つが今日少しだけ垣間見えた気がする、きっとあの執着がそうなのだろう。


 相棒である夫を足手まといだと一切の容赦なく断言した瞬間、私は背筋が凍りつく思いをして言葉を発せないでいた。その言葉一つ一つに込められていた心血を注いできたという重み。それに恐怖すら覚えたくらいだ。


(うん、悪い人ではないけど無理だ。私にはあの人の隣に立つどころか支えられる気すらこれっぽちもしない)


 こんなことを考えるのはそうなろうとしている人を実際に知っているからだ。


「ねえ椎平、半殺しにしてでも連れて帰るって言ってたけどあれは本気?」


 そんな疑問を投げかける。


 酒に弱い夫がまともに会話できなくなって真面目な話は終わった後もしばらく飲み会は続いている。


 いくら飲んでも顔色一つ変えない夜一に対して泣きながら絡む夫のことは放置して、私と椎平はお互いこの半年何をしていたのかなどを語り合っている途中のことだ。


「……私があいつにそんなことできると思う?」

「それは物理的な意味で? 心情的な意味で?」

「そう答える時点で無理だって分かってるじゃない」


 夫と夜一が相棒なら私と椎平は親友だ。互いの恋の相談だって何度もしている。


 もっとも私の方は相談の甲斐あって無事に夫と結ばれたが椎平の方は全く進展していないようだが。


「と言うかもしかして未だに名前を呼ぶこともできてないの?」

「……うう、それは言わないでよ」


 相変わらずあいつとかあんたとかばっかりで名前を呼ぶこともできない純粋な彼女。そんな彼女には彼のような大物の相手が務まるのかと心配になってしまう。


 でも止められない。椎平がどれだけ彼を大切に思っているのか私は知っているから。


 試練の魔物との戦いについていくという言葉。あれは助力するという意味ではない。本当はもし彼が敗れて死ぬことがあれば刺し違えてでも相手を殺す。


 もし彼を生きて帰せるのなら自分が死んでもそれを成し遂げる。

 そういう覚悟があっての発言なのだ。


 はっきり言って重い。重過ぎる愛だ。

 しかもそれが相手には全く伝わっていないのだから何をやっているのだろうか。


(あれ、そういう意味ではこの二人ってお似合いなのかな)


 そんな現実逃避をしてしまいたくなるくらいこの二人は色々とおかしい。


 まあ私を含めて探索者なんて危険な職業に先行者として足を踏み入れた人達は、多かれ少なかれそういう異常性を孕んでいるのだろう。


 でなければ何の手掛かりもなかった時から魔物相手に戦うなんてできやしない。


「それで久しぶりに会った彼はどうだった?」

「相変わらずカッコよかった。仕事場での礼儀を弁えた丁寧な態度も新鮮だけど、やっぱりその殻を捨てた素の荒っぽい感じが最高なのよ!」

「はいはい、そうですね……ん? 仕事場?」


 ちょっと待て。この子、夜一の仕事場のことを何故知っているんだ? この半年、椎平は彼に追いつくためにとダンジョンに潜ってばかりだったはず。第四次職の解放条件であるランク35を目指して。


「あ」


 おいやめろ。やばいって顔するな。


「あんたまさか……」

「いや、違うのよ。別に機密情報とかを欲した訳ではなくて、あくまでちょっと会社での彼の様子を知りたくて社員の人を買収しただけで」

「止めなさい! 万が一、それがバレて誤解されたらとんでもないことになるわよ」


 彼に聞こえないように小声で怒鳴るという我ながら器用な真似をしながら説教する。この子は一体何をやっているのか。


 これではストーカーだ。

 しかも探索者で金を持っているから自分でやらないので一層質が悪い。


「でもこれのおかげで今日の講習会で彼に楯突いた鳳とかいう奴も色目を使いそうな後輩社員のことも把握できたのよ」

「把握するな! して何する気だ!」


 本当にこの娘は不器用過ぎる。残念ながらDEXではこういうところの器用さは鍛えられないようだ。


「ねえ、椎平。ちゃんと生きて帰ってくるのよ。彼も連れて」

「うん、分かってる」

「それであなた達の結婚式に私達を招待してね」


 ギュッと小柄な私よりは大きな、けれど男性と比べれば決して大きくはない体を抱きしめる。


 夫が行くなら私も行くと啖呵を切ったがやっぱり無理だ。私は怖い。あの試練の魔物は私達が何をしても通用しなかった。積み上げてきた実力が欠片も意味をなさなかった。


 その事実は私の自信を奪い去るに十分過ぎた。


 夫だけなら探索者として活動を続けられるだろうことは分かっていながら私はそうさせない。


 もし行くのなら私も行くと言ってまともに戦えない自分を人質にして夫をダンジョンの外に押し留めているのだ。


 愛しいあの人が危険な目に合わないように。私を置いて行かないように。


(なんだ、私も十分重い女ね。他人のこと言えないわ)


 夫の優しさに付け込む悪い妻、それが私だ。


 だけどそれでもいい。この幸せが続くのなら。


「ごめんね」

「謝らないで。気持ちは分かるから」


 流石は親友、こちらが言わなくても分かってくれている。


「さてと……私達も飲むわよ!」


 そんな憂鬱な気分を晴らすべく私は酒の入ったグラスを一気に空ける。


 夫ほどではないがそれほど強い訳ではないので椎平に迷惑をかけることになるかもしれないが今はそれでも飲みたい気分なのだ。


 そうして私達夫婦は奥さんのお見舞いと探し物の情報を確認するために遅れてきた最後の一人が来る頃には完全に酔い潰れており、翌日に二人揃って仲良く二日酔いで苦しむ羽目になった。


 なお、私達の倍近く飲んだ例の彼だが明日は講習会で朝早いと言って平然と私達を家に送り届けた後に帰っていったらしい。


 彼は酒の面でも普通じゃない。そのことを吐き気と共に思い知らされるのだった。

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