第9話 少女と狂った人外

 身に覚えのない体の痛みに呻きながら瞼を開いた少女は、先程までの記憶が頭を巡り青ざめながら辺りを見渡した。

 肌触りのいいシーツ。所狭しとベットに並べられた可愛らしくも手触りのいいぬいぐるみ達。枕元に並べられたクッションはどれも美しく、繊細なレースや刺繍が施されていた。そんな少しファンシーでありながらも上品さを感じられるベットの上に少女は座っている。見た目だけなら少女もあいまって可愛らしい部屋であった。

 少女の足に鎖で繋がれた足枷さえなければ。


「ここは?」


 少女は自分の足にはまった足枷を確認する。足枷に繋がっている鎖はベットサイドの壁に繋がっており、部屋の中だけならば自由に動ける長さしかない。足枷部分をよく見れば小さな鍵穴がある。鍵さえ見つけられれば、外すことができそうだと分かる作りのものだった。


「これでは部屋の中しか動けないわ。逃げるにしても鍵を探さないと……」


 途方に暮れていた少女の耳に足音が聞こえる。コツリ、コツリと足音は近づいてきて、少女の居る部屋の前で止まった。部屋のドアノブを回し、ドアを開きながら入ってきたのは少女を拐った人外の男。


「ああ、目が覚めたんだね。どうだい?気に入ってくれたかな?君が好きな物を集めて巣を作ったんだよ。俺のフィオレ」


 そう言って笑いながら男は少女に近づく。近づく男に怯えを見せる少女に気付かぬまま、男は話を続けた。


「そうだ。君が好きだと言っていたケーキが手に入ったんだ。紅茶を入れるから、お茶会をしよう。今日はレモンティーとミルクティー、どっちの気分かな?」


 ご機嫌な様子で紅茶の好みを聞いてくる男に、少女を拐った時の恐ろしい雰囲気はない。優しい顔や仕草を見せる男に少女は体の力をぬいた。思ったよりも怖くは無いかもしれない、と足枷をはめられていることも忘れ、少女は男に対する認識を改めてしまう。


「お茶会をするって約束しただろう?ケーキと紅茶を用意したんだ。一緒に食べよう」


 少女の足元にひざまつき、その手の甲にキスをおとす。手の甲へのキスなど、御伽噺の絵本に出てくる王子様のようで、少女の頬は隠しようがないくらい赤く色づく。御伽噺の中ならば、赤く熟れた林檎のようだと表現される程に赤く。


「あら、いいの?」

「もちろんだとも。君のためだけに用意したんだよ。俺のフィオレ」


 少女は戸惑いながらも男に手を引かれるまま、セットされたテーブルへとエスコートされてしまう。男は優しく少女の椅子を引き座らせる。

 するり、と見た目から爬虫類系だろう人外の男が少女の頬を撫でた。男の焼けてしまいそうな程の熱を持った視線に晒されている少女にはたまったものではない。耐え切れず少女はうつむく。


「私が……フィオレ?」


 少女は目の前の人外の男が己のことを【フィオレ】と呼んでいる事に気づいた。少女が憧れる存在の呼称を。


 人外と心を通わせ、絆を結んだ者。彼もしくは彼女達は人外から心を通わせた証として華を贈られた。贈られた華は体のどこかにアザとして刻み込まれる。華を贈られた人間は唯一、人外に意見できまた有り余る力で破壊しそうになった人外を止めることができた。

 人々は尊敬と畏怖を込めて、華のアザを持つ人々を華という意味を持つ【フィオレ】と呼んだ。フィオレ達は絆を結んだ人外達と過ごすのをとても幸せそうに、そして楽しのそうにしていた。どんな形であれ、お互いを深く愛し合うフィオレと人外に憧れを持つ者も多い。


「当たり前だろう?君は俺の大切なひまわりだ」


 少女もまた人外のフィオレとして選ばれる事に憧れる1人だった。少女が幼い頃に読んだ絵本のように、人外の男が少女に優しかったからこそ少女は勘違いしたのだ。けれど、少女にフィオレの証である華のアザはない。

 少女が向けた視線の先にあるテーブルには、綺麗に盛り付けられたケーキといい香りのする紅茶。少女はその光景に目を輝かせる。


「気に入ったかい?」


 少女の様子を眺めていた男の言葉で我に返った少女は、気恥しそうに「ええ、とっても」と答えた。その言葉に満足そうに笑った男は、少女にミルクティーを渡した後、少女の向かいに座る。渡されたミルクティーに口をつけながら、少女は向かい側に座る男を盗み見た。

 アッシュグレーの髪を短く刈り、美しい琥珀色の瞳は瞳孔が縦に裂けている。目元には髪と同じアッシュグレーの鱗が所々生えており、腰からのびる尾は長くしなやかだ。おそらくは蛇かトカゲの人外であろうと少女は予想を立てる。見た目だけでは爬虫類系の人外である、という事以外に分からなかったからだ。


「俺の愛しのフィオレ。そんなに見つめては溶けてしまうよ」

「ああ……ずっと、夢見ていたの。素敵な人外に選ばれて幸せになる事を」

「ふふ。これからはもっと幸せになるはずさ」


 少女は人外の行動と言葉に対して少しの違和感を感じていたけれど、フィオレに選ばれたという優越感からか、その違和感をすぐに消し去ってしまう。憧れの存在。そしてその存在にしてくれる人外の男。目の前で広がる夢のような現実に夢中となる。


「そういえば……私といた女の子はどうしたのかしら」

「ああ、いつの間にか君と居たあの邪魔者か……あれは狂った人外が抱え込んでしまったよ」

「なんですって?居るの?近くに……ヴェレーノが……」


 自分と共に居た少女がヴェレーノに連れ去られた。と、聞いた少女は怯えたように当たりを見渡す。そんな少女を安心させるように優しく微笑みながら、人外の男は言葉を紡ぐ。


「安心しておくれ。ヴェレーノはここの地下に閉じ込めてある。だから君を害する事は無い。俺が守るからね……俺のフィオレ」

「そう……なら、大丈夫なのかしら」


 少女は人外の男の言葉に安心する。フィオレとなった少女には、何があっても人外である男が守ってくれるはずだ。憧れのフィオレに選ばれたという優越感もあっただろう。だから、ルイが抱え込まれたと聞いても、運が悪かったのね……としか思えなかった。

 

 そもそも、少女からしたら少女の手を取っていきなり走り出したルイは、不審者以外の何物でもなかった。己の背後にいた目の前の男がどれほど狂った視線と笑顔を少女に向けていたのだとしても、少女自身が認識していない。ルイが少女を助けようとしたなど少女は分からないのだ。


「可哀想だけれど……しょうがないわよね。彼女は私と違って選ばれなかったのだし」


 ヴェレーノに拐われて生き残っている者など、片手で数えられるくらいしかいない。だからこそ少女はルイが生存しているなど夢にも思わなかった。


「君がそんな事を言うなんて……珍しいね?」

「だって私は貴方のフィオレなんでしょう?彼女は貴方のフィオレじゃなかった……それだけの話でしょう?」

「ああ、そうだね。俺のフィオレは君だけなんだよ」


 人外の男のガラスのような瞳に少女は映っていない。少女を通して違う人物を見ている。その事に気づかないまま、少女の夢のようなお茶会は続いていく。たとえ地下にいるヴェレーノが出てきてしまっても、目の前にいる自分を選んでくれた人外の男が守ってくれると信じて。

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