第六話:桃色の風と、白き羽根


  *


 商業区画には幾つもの大規模な施設がひしめき合っていた。大型の食料品専門店をはじめ、ショッピングモール、映画館、レジャー施設に多種多様なレストラン、コンサートホールに電機量販店……。およそ島とは思えない程の様々な店がこの区画に凝縮されている様は圧巻だ。


 計画通りならば今頃はどの店も人出賑わっていたに違い無い。しかし現実は、照明の点いていないがらんとした建物の群れがただ静かに佇んでいるだけである。


 ──その立ち並ぶ施設の一つ、大きなショッピングモールの屋上に、コトホギ・コヨミは座していた。


 昇り始めた満月が静かにその端正な横顔を照らす。眼鏡の下、長い睫毛が縁取るグレーの瞳は軽く閉じられ、切り揃えられた濃銀の髪はさらさらと風に揺れる。コンクリートの床に直接座禅を組みコヨミはただ、何かを待っていた。


 どれくらいの間そうしていただろうか。──突如、強い旋風が巻き起こる。


「……来たか」


 コヨミがゆっくりと、瞳を開く。なぶられ乱れた髪を掻き上げ、気配のする方へと視線を向ける。


 そこに現れたのは、ピンク色の髪に白いドレスの少女。背中から生えた大きく白い蝙蝠の羽根を羽ばたかせ、フリルとレースたっぷりのドレスをそよがせながら、ゆるりと屋上に降り立った。


「初めまして、コトホギ・コヨミ。あーしの名前は、チギリって言うの、ヨロシクね」


 アーモンドのような瞳を輝かせて、チギリと名乗った少女は笑う。


 優美な動作で立ち上がると姿勢を正し、コヨミはチギリの眼を真っ直ぐに見据えて口を開いた。


「……名乗った覚えは無いが、何故君は私の名前を知っている?」


「アンタだけじゃないわ。『結社』の人間はね、『組織』の目ぼしい術士の名前なんて、みーんな知ってるの。ウチらの情報担当の腕がイイのか、そっちの情報管理が緩いのか、どっちかは知んないけどね」


「そうか。ではもっとセキュリティを強固にするよう、帰ったら進言しておこう」


「もう手遅れかもだけど。それに、アンタを生きて帰す気なんて無いしね!」


 チギリが笑い、その全身から濃い桃色の燐光を立ち昇らせる。白い一対の羽根は大きく広がり、更に同じサイズの二対の羽根が出現する。計六枚の羽根が羽ばたくと、風がつむじとなってコヨミへと襲い掛かった。


「斬り裂いたげる! あーしの風でなぶって引ん剥いて、可哀想な姿にしてあげるから、泣き叫ぶといいわ!」


「黙って聞いていれば好き放題……図に乗るのも大概にしたらどうだ」


 コヨミが右手の人差し指と中指を揃え、空中に勢い良く長い線を描く。線は蒼白い燐光を発し、瞬時に何かの形を描き出した。


 現れたのは──蒼い宝石と精緻な彫刻で美しく飾られたハルバート。


 コヨミが柄の部分を握るとそれは途端に重さと実在を取り戻す。長い柄の先に在る斧と槍の刃が月下に冴え冴えと輝いた。蒼白い燐光に包まれたハルバートを構え、コヨミが孤を描くように一閃──。


 襲い来る濃桃色の風、その無数の刃が一瞬にして全て凍り付き、一拍おいて砕け散った。きらきらと月光に煌めく硝子めいた氷の破片が、舞い踊りそして霧散する。


「その程度の攻撃は、私には効かないんだ」


 レンズ越しにチギリを見据えながら、静かにコヨミが言い放つ。視線の先ではチギリが少し悔しそうに、しかしそれでも嬉しそうに、頬を紅潮させた。


「そうね、そうかも。でもあーし、嬉しい。コヨミの事知ってから、ずっとコヨミに会いたかった。だから今すっごい、嬉しい」


「私に……? 何故」


「だってあーし、コヨミに一目惚れしたから」


 ギラギラと瞳を輝かせるチギリの態度に、コヨミは平静を貫く。


 ──今までもコヨミは、女の子に告白された事が何度もあった。女にしては背が高い所為だろうか、男の格好をしている為だろうか、それとも顔立ちが中性的なのが原因だろうか。少なくとも、同じような顔の造作をしている歳上の従兄よりは女性にモテている自負はあった。


 別にコヨミは女性が好きな訳では無い。故に好意を寄せてくれた少女達を傷付けないよう、丁重なお断りを繰り返してきた。こんな憧れは思春期特有のハシカのような物だ、そう心の何処かで冷静な自分が囁く。だが兄しか兄弟のいないコヨミにとっては、少女達に慕われるのは妹が出来たようで嫌でも無かった。それに、その状況はコヨミにとっても都合の良いものだったのだ──。


「……好きだと言って貰えるのは嬉しいかな。しかし、私にはその好意には応えられないんだ、分かってくれると嬉しいのだが」


 今までも何度も口にしてきた内容の言葉を、今までとは違う冷徹な口調で叩き付ける。だがそんなコヨミの態度にチギリは怯まず、笑顔を崩さない。


「ヤだ、分かんない。あーしそんなお利口じゃないし、ワガママなんだ。力尽くでも──コヨミを手に入れるって、決めてたんだ!」


「……本当に我が儘な娘だ。どうしたものかな」


「コヨミが悩む必要なんてないし。あーしに任せてよ、天国みたいな地獄へ連れてったげるよ。骨の髄まで可愛がって、ア・ゲ・ル!」


「地獄は……御免こうむりたいかな」


 チギリがまたも桃色の妖気を噴き出すのと同時、コヨミもまた、蒼白い霊気を全身に纏わせる。二人の視線が、交錯する。


 月はただ静かに、二人の姿を照らしていた。


  *


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