一章:宵に煌めくオーバーチュア

第一話:夕闇の声と、手榴弾


  *


 ──ゴウゥン、ゴウウゥン……。


 夕暮れの月守島に鐘が鳴り響く。赤く滲む空に、朱く染められた街に、時計塔から鐘の音が雲を震わせ降り注ぐ。


「──ん、……んん……?」


 ワタライ・ワダチは鐘の音に揺り起こされて目を覚ました。ゆっくりと目蓋を開けたものの、直ぐには状況が飲み込めない。少しぼんやりとした意識で何度も瞬きを繰り返す。


 まず最初に目に入ったのは燃えるような赤い空、次いで夕焼けを硝子に映し染まる高いビルの群れ。そして背中や尻からは冷たく固い感触が伝わる。どうやらワダチは地面に仰向けに転がっているらしかった。


 深呼吸をしてからゆっくりと上半身を起こし、胡座をかいて座り直す。地面に寝かされていた身体が少し痛んだが、そんな事は些細な問題でしかない。


「ここは……? 俺、えっと……?」


 見える風景から察するに、此処は島の中心部、ビルの立ち並ぶ区画だろう。更に言うならばワダチが居るのは、時計塔から放射状に延びている大通りではなく、ビルとビルの間に設けられた細い道のようだ。


 ワダチは取り敢えず自分の記憶に意識を集中する。確かあの時も鐘が鳴っていた、時刻は三時だったか……。急に身体が動かなくなって、意識が暗く──。


「それと確か、声が──」


 鐘はもう鳴り止み、呟きは掻き消されずに零れる。ワダチの声がビルの壁に反射して微かにこだました。


 その時、ばちり、と唐突に静電気のような痛みが左耳に走った。反射的に痛みの正体を確かめようと耳に手をやる。


「な、今の……?」


 左手で探ると、左耳の上部にイヤーカフのような金属の小さな器具が取り付けられていた。そして、──突然、そこからラジオのような音が聞こえ始める。


『……ジ、ジジジ……アー、アー、テステス。……諸君、聞こえてるかい?』


「え、え。何だコレ、いつの間にこんなの着けられて……? って、いや、この声何だ、何処から、っていうか誰?」


 予想もしていない出来事ばかりで疑問符がワダチの脳を埋め尽くす。ぐるぐるとはてなマークが踊る中、それでもワダチは状況に追い付こうと必死で思考を巡らせようとした。しかしそんなワダチの努力を嘲笑うかのように、音声は流れ続ける。


『無事聞こえているようだね。初めまして諸君、月守島へようこそ。私は諸君らをこの島へ招待したオボロという者だ、以後お見知りおきを』


 ──招待? さっぱり意味が分からない。ワダチ達は此処へ怪現象の調査で訪れた筈だ。この声は何を言っているのだろう、ワダチは首を捻るばかりだ。オボロという名前にも聞き覚えは無い。疑問を抱きつつも、ワダチは放送の続きに耳を澄ませる。


『さて本題に入ろうか。──この島には今現在『組織』と『結社』のメンバー数名ずつが、島の様々な場所にバラバラに配置されている。諸君らにはこの島の中で殺し合いをして貰いたい』


「──殺し、……え、殺し合い……!?」


 ワダチは衝撃に目を剥いた。殺し合いとは物騒な話だ。『結社』の者が居るというのにも驚きだが、結社のメンバーだからといって人間を殺すというのには大きな抵抗が或る。


 しかしワダチのそんな考えはさて置かれたまま、話は進んでゆく。


『ああ、先に言っておくが逃げようとしても無駄だからな。諸君らが乗ってきた船は処分しておいたし、島の周囲には念の為に強力な結界を張っておいた。ゲームが終わるまでは死体になろうが出られないという訳だ』


 軽く笑い声を滲ませてオボロは喋り続ける。


『戦う理由が無い? いいや、ある。まず一つ、期限までに両方の陣営が生き残っていた場合、全員が死ぬ事になる。どちらか片方のチームが全員死んでいなければ共倒れだ。OK?』


 ──馬鹿げてる、とワダチは舌打ちをする。これでは隠れてやり過ごす事も出来ない、強制的な殺し合いだ。こちらが殺す気が無くとも、この状況ならば敵は全力でこちらを殺しに掛かるだろう。


『そしてもう一つ、生き残った陣営には素晴らしい褒美が与えられる。それはきっと『組織』と『結社』のパワーバランスを大きく変える事になるだろう。それ程の大きな、絶対的な力だ。──殺し合いをしてでも手中に収めたくなる程の、ね』


 余程の自信があるのだろうか、オボロは笑んだ声出言い切った。


『ゲームの期限は月が沈むまで、つまり──夜明け、六時の鐘が鳴る時だ』


 ワダチはオボロの宣言にちらりと空を見上げた。燃えるように赤かった空は徐々に藍色に置き換わり、それも墨を塗り込めた黒に変わりつつある。刻々と変化するグラデーションにつられるかのように、ぽつりぽつり街頭が灯り始めていた。


 今日は春分、昼と夜の時間が等しくなる日。しかも今年はそれに満月が重なっている。月と太陽が完全に入れ替わるこの運命を感じさせる巡りに、神秘学的な意味を見出す者も多いだろう。


『おっと、私を探そうとするのは時間の無駄だ。私は常に何処にでも存在するし、世界の何処にもいない存在だからな。──さあ、それでは楽しい楽しい殺戮ゲームの時間だ。諸君らの健闘を祈る』


 はははは、という高笑いを最後に、ブツリと声は途切れた。しばし待ってみたものの、再び声が流れる気配は無さそうだった。


 ワダチは大きく溜息を吐くと、ゆっくりと立ち上がった。軽くズボンの埃を払い、目一杯伸びをしてからぐるぐると肩を回す。周囲を確認するが背負っていた筈の荷物は見当たらない上に、携帯電話も無くなっている。


 今ある持ち物はポケットの数枚の符、そしてベルトに取り付けたシースの中のナイフだけだ。心許なさにワダチは再び溜息を零した。


「さて、どうするか。……さっきの放送が本当かどうかはともかく、取り敢えず皆と合流するのが先かな」


 まずは大通りへ出ようとワダチが一歩足を踏み出した、その刹那。


 コロ、コロン……。何かがワダチの足許へと転がって来た。


 ワダチはそれを凝視する。何だろうか、黒く丸いその物体は何処かで見覚えがあった。漫画や映画で見た事のあるそれは──。


「っ、これ、手榴弾……!?」


 ワダチは咄嗟に飛び退く。勢い余って地面に倒れ、しかし立ち上がる時間も惜しんで頭部を両手で庇いながらそのままごろごろと転がって距離を取る。


 閃光が溢れた。次いで、ドン、と空気を震わせる音と熱が細い道を埋め尽くす。


「く、……っ! 敵か……!?」


 熱風をやり過ごすと、考えるよりも先にワダチは素早く立ち上がり走り始めた。耳はまだ爆発音で麻痺して使い物にならないが、路地を走るのに支障は無い。とにかく此処から、敵から逃げなければ──そんな思いがワダチを駆り立てる。


 笑い声が聞こえた気がした。ワダチはそれを振り解くように、ただ足を動かし続けていた──。


  *


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