第三話:二つの力と、来訪者


  *


 ──同時刻、海上にて。


 ワダチ達の来たのとは別の方角から、一台の漁船が島へと近付きつつあった。穏やかな波を裂き、白い水飛沫を上げて船は進んで行く。


「しっかし、その情報ってのはホントに信用できんの? ガセだったらどうすんの」


 黒いセーラー服を着た小柄な少年が生意気そうな口調で零す。強い風に捲れそうになる短いスカートの裾を押さえて少年は座り直した。


 そう、スカートだ。幼さを残す可愛らしい顔立ちも相まって、まるで少女にしか見えない──少年はいわゆる『男の娘』という存在だった。


 男の娘である少年に話し掛けられているのは、隣に座る黒尽くめの男だ。大正時代の書生のように詰め襟にインヴァネスと呼ばれるマントコートを着込んだ男は、制帽を深く被り直しながら鋭い目付きで少年を睨む。


「……手飼いの者がようやく突き止めた情報だ、確かめてみるべきだろう。アレを我が『結社』が手に入れる事が出来れば、『組織』を大きく出し抜く事が出来ようというものだ」


「ホントだったらそりゃ万々歳だけどさ、で、ガセだったらボクらタダ働き? 骨折り損のナントヤラってヤツ?」


 皮肉げに顔を歪める少年に、書生風の男はうんざりした表情でそっぽを向く。その会話におもむろに割って入ったのは、前髪で目許が隠れた痩せぎすで白衣を羽織った男だ。


「まあまあ、駄目元でいいじゃあありませんか。例の島は、何やらおかしな現象が起きて完成間近にもかかわらず、工事が中断されていると聞きますよ? ひーひひ、目当ての物が見付からずとも、別の成果はあるかも知れませんねえ。ひひ」


 妙にねっとりとした喋りがつるつると白衣の男の口から零れ落ちる。しかも、ひひひひひ、という気持ちの悪い笑い付きだ。


「まあ、行ってみないと分かんないって感じなのね。でもさあ、思うんだけど、この人数は多すぎじゃない? なんかさ、二人ぐらいで良くない?」


 白衣の男の笑いに被せるように、高い声が響く。三人が視線を向けた先には、フリルとレースまみれの白いミニドレスを着た少女が、退屈そうにピンクの髪を弄くっている。


 少女は皆の視線が自分に集まっている事を知ると、ピンクの睫毛の眼を細めじろりと周囲を見返した。


「何、その目? だってあるかどうかも分かんない、そういう調査なんでしょ? わざわざ実力あるウチらみたいのがさ、ガン首揃えて行かなくても、ってかさ、もっと下っ端のに行かせりゃ良くない? ね、アンタもそう思わない?」


 フリルの少女は捲し立てながら後ろを振り返った。少女が矛先を向けた船の後部、そこには大柄な男が沈黙したまま座っている。


「ねえってば。アンタも何か言いなさいよ、正直面倒でしょこんな仕事?」


 重ねて投げ付けられた少女の言葉に、男が腕組みをしたまま口を開く。


「今更ギャーギャー言っても仕方ねえだろ。嫌だったら断りゃあ良かったじゃねえか。それとも何か? 今すぐ海に飛び込んで泳いで帰るか?」


「そ、そんな話、してないでしょ!」


 思わぬ反撃に遭い、少女は口をつぐむ。大柄な男は苛立たしげに鼻を鳴らし、少女を睨み返した。ぼろぼろの軍コートを着た男の顔は傷跡だらけで、眼光の鋭さも相まって少女は少し圧倒される。


 更に追い打ちを掛けるように、痩せぎすの白衣の男が声を発した。


「……それに、上からの指令ですからねえ。少しぐらい面倒でも、ひひ、従った方がいいって理屈では分かってるんでしょう? だから貴女も此処にいるんじゃないんですかねえ? ひひひひ」


 白衣の男の台詞は全くの図星だったようだ。フリルの少女は悔しそうに唇を噛むと、フン、と少しばかり涙目になりながらそっぽを向いた。


 セーラー服の少年はそんな遣り取りを白けた表情で聞き流しながら、目の前に迫る島を眺め遣る。不思議な島だ、人の営みを全て凝縮したかのような顔をして、──全てが上っ面で、全てが空虚だ。


「……あんな島の中で、人に用意された幸せだけを幸せだと信じて生きるなんて、ボクはまっぴらだね」


「──同感だ」


 独り言のように呟いた言葉に打たれた思わぬ相槌に、少年は驚いて隣を見遣った。視線の先では、書生風の男が静かに島を見詰めている。


「初めて意見が合った気がすんだけど」


「そうかもな」


 二人は揃って島を見た。高いビルよりもなお高く、時計塔が蒼穹を貫いている。


 ──ゴウゥウン、ゴウウン……。


 不意に鐘の音が遠くに響く。力強く堂々とした、──それでいて何処か心を掻き乱す、少しの濁り。


 少年は思わず膝の上で拳を握る。言い知れぬ不安を磨り潰すように、鐘の音を聞きながらただ、時計塔を睨み続けていた。


  *


 この世界には様々な危険がありふれていた。怪異、あやかし、呪術、怪物、邪神──。一般の人間には決して視えないそれらは、しかし確実に平和を蝕み現実を脅かそうと、常に暗闇から虎視眈々と狙っている。


 それらと対峙し、人の世の平和を守るべく霊的な防衛に日々奔走しているのが、『組織』と呼ばれる超国家的対魔団体『ヴァルハラ』である。


 そしてもう一方が『結社』──。それは近年存在が確認された、危険な思想を持った集団の事だ。正式名を『秘密結社アガルタ』と言い、組織の情報網をもってしてもその規模や本拠地、明確な目的を特定出来ずにいる謎の存在。


 『結社』は危険な呪術や魔術を使い、幾度も事件を起こしてきた。組織はその都度沈静化を図って来たが、手段を選ばない、そして情報を一切漏らさない結社との攻防の成果は芳しいものではなかった。


 そして今日この時、この島にそれら二つの対立する勢力の者達が導かれ、相対する事となる。


 それは偶然か、必然か、それとも誰かの意思によるものなのか。


 何も知らない彼らの行く末を、時計塔だけがただ、見下ろしていた。


  *


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