セイギノミカタゲーム

はじめアキラ

<1・棺の中より。>

 誰かが泣いている。

 遠い遠い場所で、繰り返し謝っている。


『ごめんなさい』


 君は誰だろう。何故謝るのだろう。

 どうか泣かないで欲しい――君が泣いていると、胸が痛くて仕方ないから。

 そう思うのに声は出ない。視界もどんどん滲んでいく一方。お願いだから泣かないで、悲しまないで、自分のことはいいから。思うだけで、どれもこれもまったく言葉になってくれないのだから困ってしまう。


『ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい』


 もう、君の顔も見えない。その頭を撫でてやることもできない。

 君を泣かせてしまった、自分自身が――憎い。


『ごめんなさい……――君』


 そして。

 意識は電気のスイッチを消すようにして、ぷつりと途絶えたのだ。




 ***




「!?」


 コポコポ、と奇妙な音が漏れ聞こえる。覚醒は唐突だった。はっと目を見開き、きょろきょろと辺りを見回す。


――ここは、何だ……!?


 視界は、灰色一色だった。目を開けているのに何も見えない。否、灰色以外の色が何もないのである。首を動かすも、右も左も同じ色。それも、すぐ鼻先に壁がある。そして、自分は寝かされた状態のまま――身動き一つ、取れずにいるのだ。

 拘束されているわけでもない。それなのに手足を多少動かせる程度で、立ち上がるどころか半身を起こすこともできない理由は唯一つ。

 閉じ込められているからだ。狭い狭い、棺のような空間に。


「く、くそっ!何だこれは!?」


 慌てて天井を叩くも、反応はなし。蓋らしきものはびくともしない。

 何故自分はこんなことになっているのだろう。どうして一人、こんな場所に閉じ込められているのか。誰かに拉致されてきたというわけなのか、それとも。


――待て、それ以前に。


 ここまで考えて、ようやく気付いた。


――俺は……誰だ?


 すっと出てきた一人称は、“俺”。ということは、体をちゃんと確認はできないものの自分は男であるということなのだろう。鏡もないので顔を確かめることもできないが、多分眼鏡はかけていないものと思われる。

 唖然とした。まさか、ここに来た記憶以前に、自分の正体もわからないなんて、そんな馬鹿げた話があるだろうか。


――落ち着け、思い出せ。記憶喪失なんてそうそう起こるものじゃない。人の記憶を完全に消すことなんかできるわけがない。何かとっかかりがあればすぐに顔を出すものだ、そのはずだ。


 辛うじて、腕を頭のあたりまで持っていくことは可能らしい。自分の両腕を見て気付いた。左手に時計を嵌めているということは、自分は右利き。こしてこの灰色のスーツっぽい袖。

 そっと自分の胸元を探ってみた。ポケットがある。ネクタイをしている。ひょっとしたら、と思って胸ポケットのあたりを探れば、硬い感触が指に触れた。――名札だ。自分はどうやらそれなりに冷静で、真面目な性格であったらしい。きちんとポケットに学校の名札をつけておく程度には。

 幸いそれはクリップでポケットに止めておくタイプのものであったようで、片手でも取り外すことは可能だった。そこに書いてあったのは以下の通り。




『藤木高校二年三組

 仙道 狭霧』




――せんどう、さぎり……か?変な名前だな。これが俺の名前なのか?


 イマイチピンと来なかったが、名札をつけているのだから多分そうなのだろう。自分は高校生の、仙道狭霧という人間なのだ。とりあえず、そう思っておくことに決める。

 そして自分は――狭霧は。己が名札と生徒手帳以外に、殆ど持ち物らしい持ち物を持っていないことを知る。ポケットに何かが入っている可能性もあるが、残念ながらこの姿勢で探るのは難しい。まずは、この場所を脱出してから考えた方が良さそうだ、と結論づける。

 幸いなことは、どうやら己はかなり落ち着いた性格であるらしい、ということだ。妙に頭が冷えているし、凪いでいる。狭い空間に閉じ込められているはずなのに、あまりパニックにもなっていないようだ。我ながら肝が座っているな、と思う。おかげで、この状態でもある程度思考を回すことはできるわけだが。


――手元が見えるのは、この棺のような箱の中に光源があるからだ。


 頭の上の方と、足下。棺の四隅に一箇所ずつ、とでも言えばいいだろうか。その光源のせいで、狭い空間でも名札や袖を見ることができたのだ。

 自分が仮に、何者かに捕まって監禁されているのだとして。その人物が意味もなく、棺の中を親切に照らしてくれるとは思えない。水も食料もないこんな場所で長らく放置されれば、そのうち確実に自分は脱水症状を起こして死ぬのだから。

 手元を照らしているのは、これから何かをして恐怖を与えるためなのか。

 あるいは、自分を生かして外に出させるつもりかあるのか、そのどちらかではなかろうか。


――こんなところに、男子高校生?を閉じ込められるような奴の趣味なんか知ったことじゃないが。


 酸素も供給されているのか怪しい場所だ。よくよく考えたら、脱水よりも窒息の方が危険があるかもしれない。とりあえず、何か手がかりはないかと棺の天井を探ってみることにする。

 すると、何もない灰色だと思っていた場所が、かなりごつごつしていることがわかった。手で探ってみると、アルファベットの形を模した突起であることがわかる。


――んん?このアルファベット、くるりとひねれば外せる、のか?


 どうやら回して引き抜けるようになっているらしい。試しにひとつ引っ張り抜いてみようか、と狭霧が思ったその時だった。


『おはようございマス。おはようございマス。皆様よくお眠りになられましたでしょウカ』

「なんだ?」


 どこからともなく響いてきたのは、ノイズ混じりの機械音声だ。女性の声を加工したものなのか、とにかく不自然なほどに抑揚がない。


『皆様お目覚めになられたようですのデ、そろそろ始めさせていただこうと思いマス。おめでとうございマス、皆様は我らが組織にとっての救世主、その映えある候補に選ばれまシタ』


 そして、告げられたのは恐ろしい言葉。




『これから皆さんニハ、命を賭けて“セイギノミカタゲーム”をやって戴こうと思いマス!』




 何だそれは、としか思わなかった。だが、命を賭けて、というのがあまりにも不穏すぎる。しかも、狭霧は今この狭い棺の中に閉じ込められていて、ほとんど身動き出来ない状態なのだ。それこそ、この状態で怪物にでも襲われようものなら、何もできないまま殺されてしまうことは必死だろう。

 同時に、そのアナウンスで一つだけわかったことがある。

 どうやらこのゲームとやらに参加させられているのは、自分だけではないらしい、と。


『今からその棺の中に、水を注がせていただきマス。十分もすればいっぱいになり、皆さんは溺れて死んでしまうことでショウ』

「なんだと……!?」

『助かる方法はただ一つ!その棺の中に鍵を作ることのみデス!』


 鍵を、作る?

 どういう意味なのだ、と問い返したかった。しかし残念ながら相手はこれ以上自分たちにヒントを与えるつもりもなければ、質問に答える気もまったくないらしい。

 コポコポ、という音が大きくなった。ここまできてようやくそれが、自分のすぐそばを流れる水の音であったと気づく。準備は万端だったというわけらしい。ソレデハ!と一際高い声でアナウンスが告げた、次の瞬間。




『ゲームスタートでございマス!頑張って棺から脱出し、生き残って正義の味方となってくださいネ!デハデハ!!』




 ジャァァァァァァァ!

 足元から、勢いよく水が流れ込んできた。すぐに水は頭の方まで押し寄せ、制服を、髪を、びしょびしょに濡らしていく。幸いさほど冷たい水ではなく、今すぐ温度で凍える心配はなさそうだったが――それでも、このまま水が棺に流れ込んでくれば溺れてしまうことなど明白すぎるほど明白だ。

 一刻も早く、鍵とやらを見つけてここから脱出しなければなるまい。


――落ち着け。まだ時間はある。きちんと考えて、正しい判断を下せ……!


 やはり、鍵となるべきは蓋に刻まれたアルファベットだろう。

 そこにはこう書かれているらしい。




『Kimberly is dead.』




 直訳するのであれば、“キンバリーは死んでいる”だ。キンバリーというのは確か、英語圏の女性の名前ではなかっただろうか。


――このアルファベットは回して抜くことができる。恐らく、正しい言葉を抜き取る、あるいは残すことが正解になるはず。


 少しだけ、狭霧は迷った。もう一度、自分の手の届く範囲で棺の中に他に手がかりがないかを確認する。しかし、やはり探してみたところで、窪みのようなものもなければスイッチのようなものもない。他に差し込めるような穴があるということもない。

 とすると、やはり鍵となるのはこのアルファベットの文字列のみということにはなるのだが。


――……本当にこれが、答えか?


 そう思ったのは単純明快。自分が思った通りの正解ならば、問題が“あまりにも簡単すぎた”からだ。逆にこれで間違ってはいないかと心配になったほどに。

 だが、あまり悠長にもしていられない。そして、アルファベットを一度ひっこぬいたら、もう一度差し込める保証はないだろう。答えが“2パターン”あることは気になるが、理屈通りに考えればどちらも正解であるはずである。どっちにせよ、やってみるしかあるまい。


――慎重に引き抜け……よし。


 頭がどんどん水で濡れて重くなっていく。それでも狭霧は落ち着いて、文字を一つずつ引き抜き続けた。そして。


「これだ!」


 最後の文字を引き抜いた時。がちゃん、と音を立てて――棺の蓋が開いていったのである。

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