さよならは悲しい方が良い
少し遠くで、傘の大群が通り過ぎていく。きっと卒業式が終わって、卒業生やそれを見送る在校生、父兄たちが帰路につき始めたのだろう。
今日は、あいにくの雨模様だった。
ぽつぽつと降り注ぎ、傘から滑り落ちていく水滴は、なんだか泣いているみたいで悲しくなる。そんなことを考えていたら、不意に背後から優しい声色で「お待たせ」と聞こえた。振り返れば、目元が少し赤くなった先輩が立っていた。
もしかしたら、卒業式で泣いてしまったのかもしれない。自分の気持ちに、とても素直な人だから。
「先輩、卒業おめでとうございます」
今日、私の好きな人は一足先にこの学校を卒業する。
出会ってからずっと憧れていた、演劇部の先輩だ。とても華やかな役が似合う人で、どんな役を演じても、一番観客の目をひいた。
「なんだか、実感がわかないよ。もうこの制服を着ることもないっていうのがさ」
「高校生役の時に、また着る機会があるかもしれませんよ」
傘の所為で少し距離を取りながら、屋根のあるベンチまで並んで歩く。そういう意味じゃないよ、と歯を見せて笑う姿が無邪気で眩しい。
卒業式が終わった先輩に、どうしても話したいことがあると言って、学校近くの公園に来てもらった。
「これ、卒業のお祝いに」
「ありがとう、ずいぶん可愛らしいサイズのバラだね」
先輩に手渡したのは、黄色い小輪のバラの花束だった。
「先輩が主役を演じた劇で、恋人との別れの時に渡してたじゃないですか。あれが凄く印象に残ってたんです」
「ああ、確か『さよならをする時は悲しい方が良いんだ。これから逢えないという悲しみに押し潰されてしまわないように、はじめから悲しい方が良い』だったっけな」
懐かしい、と手に持ったバラを見詰める瞳は、柔らかく、どこか寂しげだ。そんな先輩に、胸が締め付けられ、呼吸の仕方がわからなくなったみたいに苦しくなった。
「大学でも、演劇は続けるんですよね」
「もちろん、大学にも演劇サークルがあるようだし。演じるのは楽しいからね」
苦しさから逃れる為に、話題を変えた。雨足が強くなってきても、先輩の声は雨音を切り裂いて自分の耳に届く。
本当は、もっとこうして話していたいけど、もうそろそろ覚悟を決めなくては。
「相模先輩、私、先輩にずっと憧れてました」
緊張からか、少し上擦った声が出たけど、構っていられない。私の声の調子に気がついたのか、先輩は何も言わず私の話の続きを待ってくれていた。
「演劇部に入ろうって決めたのも、新入生歓迎の劇で演じる先輩を見て、私もあんなふうになりたいって思ったんです。あんなふうに、楽しそうに夢中になれるものが欲しいって」
雨音が耳障りなくらい、ざあざあとうるさい。そんな中で、まるで小さな子供が話すのを聞くように、先輩は静かに頷いていた。
「ずっと、憧れでした。でも、途中で憧れから気持ちが変わってしまったんです。憧れとか、尊敬だけじゃなくて」
あなたの恋人になりたいって。
何度もそんな自分を否定して、勘違いだと言い聞かせた。この気持ちがばれてしまったら、一緒にいられなくなる。
「本当は、言うつもりなんてなかったんです。隠しておいて、なかったことにするつもりでした。でも、どうしても知っていて欲しかった」
あなたにだけは、私が、あなたを好きだったことを。
最後の方は声が掠れてしまって、もしかしたら聞こえなかったかもしれない。先輩は、何か言葉を探していて、私はその言葉に怯えてか、無意識のうちに、スカートを握り締めていた。
「私も、あきらのことは好きだよ。でも、それは後輩としてだ」
躊躇いがちだけど、迷いのない言葉だった。わかっていた返答なのに、やっぱり涙が込み上げてくる。
「きっと、私が何を言っても、あきらを傷つけてしまうね、ごめん。でも、嘘を吐いてごまかしたくないんだ」
先輩が一歩私に近づいた。俯いた視界には、先輩の雨に濡れて少し色の変わった、制服のスカートが映る。
「多分、私はこの先、絶対とは言えないけど、あきらを、そういう風に好きになることはないと思う。だから、これからも先輩後輩として、変わらず仲良くしてね、なんて無神経なこと言えない。ありがとう、好きって言ってくれて。応えられなくて、ごめん。
あきらともう、こうやって話せなくなるのは、正直寂しいよ。でも、今日で、さよならだ」
真剣に私の思いを受け取って、考えて言葉を選んで、断ってくれたのだろう。
「ごめん、ごめんね、悲しい思いをさせて」
「さよならは、悲しい、方がいいです。そうでしょ、先輩」
涙声で詰まりながらそう言えば、そうだね、と先輩が呟いた。先輩は、私が泣き止むまで傍にいてくれて、すっかり雨も止んだ中帰っていった。
「大事に飾るよ」
と、バラの花束を持って。私は別れ際、また泣き出しそうになったけれど、無理矢理笑顔作って手を振った。悲しい別れでも、先輩に笑顔の私を最後に見て欲しかった。あの劇の先輩も、さよならを言う時は涙を堪えて笑っていたから。
先輩にとって、忘れたい思い出を作ってしまったかもしれない。けど、せめて、あの黄色いバラが枯れるまでは、先輩のことを好きだと言った私を、今日のことを、覚えておいて欲しいと願った。
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