31.剣鬼と魔笛
ザカライア老のいる村へと急ぐ。
途中、先頭を進んでいたグラルグスが小川を見つけ、急ごうとする私へと諫めるように告げた。
「傷を洗い、手当てをする。まさか、兄者は傷を軽視するまいな?」
強い口調であった事もそうだが、その言葉にロズワグンもスラーニャも同意してしまえば私が否を言っても始まらない。
それに、気ばかり逸っても仕方が無いことだ。
「そうだな」
私は頷き、皆で小川の傍まで歩を進めた。
上着を脱ごうとするも傷口辺りでは血が渇き張り付いてしまっていた。
無理にはがせば傷口が広がるばかり。
グラルグスは私の傷付近を水で洗い、血を流しながらゆっくりと衣服をはがす。
水の冷たい感触と傷口に染みる痛みに顔をしかめるとスラーニャが私の右手を取って握りしめる。
「おやじ様……」
「大事無い。が、少々痛い」
笑いかけてやると幾分安心したように緊張を和らげたが、握るその手の力は抜ける事がない。
……我が身の至らなさに情けなくはなる。
この子を置いて刺し違えてもシャーランの王を殺すという思いは、大きな間違いである。
シャーラン王レオナルトを討つのは良いが、この子も私も生き延びねば意味がない。
それは私の様子を心配そうにのぞき込むロズワグンにも、手際よく傷付近の水分を拭うグラルグスにも言える事だ。
最も私一人の命で彼らの命が助かると言うのであれば、間違いであろうとも私は事を起こすだろうが。
グラルグスはさらに外傷に効く植物からとれる油と卵白を混ぜ合わせた軟膏を塗り、包帯を巻く。
かつては火の魔術や熱した油で傷を焼いていたと言うが、どこぞの神官が油と卵白を混ぜた軟膏を作り出して今はこの治療法が定着しているそうだ。
傷を焼かれる処置された者は高熱を訴え、傷は腫れあがり、激しい痛みに晒されるが、軟膏を塗るとその症状は皆軽度に収まり痛みも少ない。
神官の持つ治療の術は使い手が少ない、その為この軟膏は重宝されている。
手当てを終えたグラルグスが一つよしと呟く。
「すまんな」
「気にするな、兄者」
私の言葉にグラルグスは一つ笑い、照れくさそうに片手と尻尾を振った。
そんな私たちの様子をスラーニャは心配そうに見つめていた。
※ ※
ヴェレンが待ち構えていた村からザカライア老の住む村まで三日はかかる旅程。
私が怪我を負ったとはいえ、彼の村が襲撃されているかも知れないと思えば自ずと足早になった。
スラーニャを三人で交代しながら背負い歩を進めた結果、二日目の夕刻にはザカライア老の村の近くまでたどり着いた。
「ここからなら、一刻も掛からず辿り着くはずだ」
私の言葉にロズワグンが小さく息を吐き出した。
「流石に余も堪えたわ。とは言え、この距離まで近づいても火の手が上がった様子もない。あの備えでそこまで短期間に攻め落とせんじゃろうから、無事であろう」
その言葉に頷きを返しながら更に進むと、グラルグスの背で眠っていた筈のスラーニャが不意に顔をあげて一点を見つめる。
「何かあったか?」
スラーニャに問いかけるも、彼女は視線をそちらに向けたまま答えることは無かった。
訝しく思いながら視線の先を私も見つめると、うっすらと人影が浮かび上がってきた。
若い男のようだ。
そいつは若いながらも尋常ではない雰囲気を纏っている。
全てを圧し潰そうかというほどのプレッシャーを感じる。
法衣姿であることから、あいつも
奴を認識した途端、どこか遠くで笛の音が聞こえた。
※ ※
より近づいてきたその男は真っ白い髪を持つ痩せた男だった。
ただ、ヴェレンのような術者然とした姿ではなく、抜き身の刃のように剣呑さが見て取れた。
均整の取れた体つきは剣士としての力量が相当なものであることを伺わせる。
そして何より、その雰囲気がおかしい。
おおよそあの若さで放てるような剣気ではなかった。
或いは、ここが死に場所か。
私は剣を抜きながらスラーニャやグラルグスの前に出た。
「止めておけ」
歩いてくる若い男はそう口にする。
「サレス様! そいつですよ! ジェイズ様を殺ったのは!」
いつからいたのか、あるいは最初から居たがサレスの存在感に打ち消されていたのか。
ラカ殿の所で鉢合わせした道化じみた小娘が騒ぎ立てる
サレスと呼ばれた男は微かに頷いたのみだが……待て、サレスだと? まさか、この男……。
いや、年齢が合わない、サレスがあのサレスならば齢は既に六十に近いはず。
あれほどの若さを保てるはずがない。
聖サレス流の開祖、剣聖サレスであるならば。
だが……だが、そうであればあの剣気は辻褄に合う。
「手負いだ、止めておけ魔力なき剣士よ。お前の技は、業は見てみたいが……今は止めておけ」
携えた剣は身の丈よりは小さいがそれでも大剣の類。
聖サレスは大剣を誰よりも素早く振るい敵を屠ったと言うが……。
サレス流の使い手に会った事はある、戦った事もある、だが……今感じるこのプレッシャーは……。
背筋が粟立つような恐怖を覚える、許されるならばすぐにこの場を走って逃げたいほどの恐怖を。
それでも、恐怖を覚えたのは一時。
即座に剣士として冷静に思う。
如何に打ち込むか、どう裏を取るか、どのようにして斬るか。
数多の手を考えサレスへと意識を集中させていると、そうはさせないと言わんばかりに笛の音が響く。
美しい旋律でありながら、どこか
忌々しげに首を左右に振った時だ、自分の視界が揺れ回り始めた。
いかに魔力なき私でもこれが魔導士の攻撃だ言うのであればすぐに分かっただろう。
魔力とは精神に働きかける力であり、魔導士は己の意を強く念じる事で超常の力にするからだ。
例えば
念じられた意は、すなわち敵意であれ殺意であれ、放たれれば気配に敏感な者は感づく。
魔導士にしてみれば意はどうやっても漏れ出るものだし、漏れ出た所で通常は問題にもならない。
……だと言うのに、まるで殺気や敵意を何も感じない、ただただ忌々しい笛の音が鳴り響き、視界がおぼつか無い。
さらに笛の音が軽やかに響き続ければもはや立っている事すらできず、片膝を付く。
それはサレスを前にしては大きすぎる隙。
サレスと呼ばれた若い男は、その隙を見逃すはずもなく鞘より剣を抜き放ち、告げた。
「選ぶが良い、娘。父母が共に死するか、お前が死するか。お前が死ぬのならば痛みはなく眠る様に死ぬだろう。父母が死するならば、塗炭の苦しみを味わいながら死ぬことになる」
突然、何を言い出すのだ! ふざけるなと声を大にして叫びたかったが、声は出ず私は地面に突っ伏す。
ああ、邪魔な笛の音だ! 忌々しい……。
周囲を伺おうと顔を向けようとするがそれすらできない程に視界が揺れに揺れている。
それでも、私は剣を支えに立ち上がろうとする。
自分の鼻腔に熱を感じる事から、鼻血でも出しているのだろう。
「……魔笛を聞いて立つか。なるほど、恐るべき男だ。真のアーティファクトでも止められんとはな」
サレスはそう告げ、剣を構えた。
そんな恐るべき剣鬼の前に、あろう事かスラーニャが前に進み出て立ちはだかった。
私達を守る様に。
<続く>
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます