21.魔法の馬

 イゴーの顔は金属の兜に全て覆われている。


 青い瞳、金色の髪に無精ひげも全て覆い隠された。


 それは、視線や表情で相手の意図を読むことができなくなった事を示している。


 全身を覆う金属鎧、やはり弱いと思われるのは関節部であろう。


 鈍色にびいろの鎧に覆われた騎士は馬の脇に携えていた槍を持ち、構えようとした。


 当然、それらの行動を漫然と見ている訳もなく、私は踏み込み刃を振う。


 雷光と比すれば当然遅い我が一撃だったが、槍で受け止めるでもなく何の手応えもなく空を斬った事に私は目を瞠った。


 それもその筈でイゴーは馬ごと私の目の前から消えていたのだ。


 背筋が粟立つ感覚に身を任せると私は自ずと体を回転させながら剣を振り上げていた。


 その瞬間に槍の穂先と刃がぶつかり火花を散す。


 なんだこの動きは……目の前で消えたぞ……。


 普通、どれ程早く動こうと何かしらの気配がある。


 だが、シャーランの騎士イゴーはまったく気配を感じさせないまま、私の背後に現れた。


 一撃を防がれ、イゴーが感嘆したように告げた。


「恐るべき太刀筋、そして勘の良さよ」

「なんの、そちらこそ信じがたい移動を行う」


 槍の一撃を払いのけたが手が僅かに痺れを訴えている。


 小さな竜であれば一撃で頭を粉砕しそうなこの一撃の重さは並の修練では繰り出せまい。


 ましてや戦い方があまりに独特。


 なるほど、これが騎士か……。


 イゴーは利き腕の指先を確認するように二、三度ほど開いては握りを繰り返してから槍を構え直して、不意に口を開いた。


「互いに多少なりとも手の内を見せた。退く気はないか?」

「我ら親子とそこの二人に手を出さぬと言うのであればな」

「そうさな。ジェスト家の小僧を連れて帰れば処刑の憂き目にあうのは分かり切っている。それに王命とは言え正直、子供を殺すのは気が進まん」


 語る言葉は殊勝ではあったし、その心情は真実であろうがここで退かない事をその声音で確信する。


 この男は、私と同じさがを持っている。


「だが、お主の技はもっと見たいっ!」

「奇遇だな、私もだ!」


 兜の向こうからくぐもった笑い声を響かせ、イゴーが槍の一撃を放つ。


 まっすぐに来るはずの槍の穂先が、いや、槍を構えた騎影が眼前より消え失せた。


 そして、背後から迫る馬蹄。


 どうなっているのか混乱を極めかねない事態であったが、私は体が命じるままに剣を振るう。


 耳をつんざくような金属音を聞きながら、私は背中に冷たい汗が流れ出るのを感じた。


 対応が遅れれば背後から槍に貫かれていただろう。


 それに、今回は一つ突いて終わりではなかった。


「やはり防ぐかっ!」


 二度目の突きを横合いに飛んで躱せば、イゴーは一度槍を引き、頭上に持ち上げグルグルと回転させた挙句に、勢いのままに振り下ろす。


 まともに剣で受ければ折れるか、防げたとしても防いだはずの我が剣が私自身の頭蓋を砕く一撃。


 躱し続けようにもいつかは捕捉される。


 なればと私は剣で防ぐと見せかけて、切っ先を僅かに下げ槍の一撃を逸らしてその威力を殺しながら受け流しを試みる。


 金属が擦れ合う音が間近に響き、槍の穂先は大地を打つ。


 イゴーの槍の穂先は地に在り、私の剣は振るえる位置にある。


 まさに絶好機。


 私は一歩大きく踏み込みながら、剣を突き入れる。


 だが、心のどこかでこの一撃は空を斬るだろうと思っていた。


 案の定、私の一撃は空を斬り、視界より消え失せたイゴーは体勢を立て直しつつ背後にいた。


 本来ならば剣で槍と戦うならば間合いを詰めなくては勝機がない。


 さりとてこの相手は間合いを詰めてどうにかなる相手なのか?


 一体、どのような手立てで視界より消え失せる?


 そして、いつ背後に回り込んでいるのか?


 私も体勢を立て直し、再び槍を頭上で振り回し始めたイゴーを観察する。


 彼は己の技を振るおうとしているだけにしか見えない。


 だが、ならば何故視界から消える等と言う事が起こりえるのか。


 食らえば絶命するであろう一撃を警戒しつつ、その謎を解き明かさなければならない。


 そこで不意にスラーニャが叫んだ。


「おやじ様!! 馬っ! お馬さんっ!!」


 馬。


 なるほど、イゴーは馬上にある以上奇妙な動きをするのは馬にほかならず。


「お主の娘、良い目をしているなっ!」


 イゴーは賞賛の言葉を投げかけると同時に再び迫り槍を振り下ろす。


 槍の一撃を再び受け流そうと試みるが、槍の一撃が軽い。


 これは……っ!


 槍が軌道を変えてまっすぐ私に突かれた。


 変則的な軌道をするには十分に力を籠められず、そのせいで重い一撃ではなかったため、辛うじて避けることができた。


 私は反撃に転じようと前へと踏み込むとどうであろうか、馬の足先がぶれたかと思えば忽然と視界よりその姿が消えたのである。


「そう言う事かっ!」


 今にして思えば、イゴーはいきなり我らの前に現れた。


 そう、突然馬蹄の音が響いたのだ。


 謎に対する手掛かりは最初からいくつもあったのだ。


 私は即座に踏み込んだ方向とは反対に向き直り、身を低くして右手のみで剣を水平に振るう。


 左手は腰の鞘へと伸ばしておく。


「なんとっ!」


 突如現れた馬の足を狙った突風のような一撃であったが、イゴーが槍を大地に突き立て私の一撃を防ぐ。


「よもや、馬が縮地を使うかよ……」


 縮地、神仙の法であり、大地を縮めて瞬く間に移動する法。


 武術においては特別な歩法を示す場合もあるが、今回に限って言えば歩法とは違うだろう。


 この馬の場合はやはり瞬間移動と言った方が良い、或いはテレポートなる魔術を使うのか。


 北の地の魔獣とてテレポートを使う者はいなかった。


「よくぞ見破った! 我が愛馬ゲイルこそ我が家に伝わる魔法の馬。……親子そろって恐るべき相手よ」

「馬を狙った私を討ち取る好機だったのでは?」

「鞘にも手をかけている所を見ればそれに対する備えは万全と見受けたが? それに、どうであれ愛馬を失う訳には行かぬ」


 そう告げるイゴーからは既に殺意は消えていた。


「こいつは俺の負けよ。負けた以上はその二人に手出しはしない」

「……元より私と戦うと見せかけて、馬の力で彼の二人を討つことも可能であったろうに」

「殺してしまえば連れて帰れん。それに、グラルグス殿がそれを許したかな?」


 笑いながら告げるとイゴーは何事かを呟き鎧を一瞬で脱ぎ去る。


 あの金属鎧は何処から来て何処に消えてしまった。


 魔術の類であろうが不思議な事であり、便利な事だ。


「お主の技、どこかに迷いがあった。迷いと言うと語弊があるな……一皮むけようとしていると言うべきか。或いはそうなっておれば俺は地に伏していただろうな」


 イゴーは無精ひげを撫でながらその様な事を言う。


 自覚は無かったが我が剣はまだどこかに向おうとしているのだろうか。


 いや、それも道理か。


 生きている限り剣は変わり行くものだ。


「俺は既に名乗った。お主の名を問うても?」

「姓は神土かんど、名は征四郎せいしろう。巡礼騎士」

「忘れぬぞ、セイシロウ! それにしても北の騎士か! 道理で強い! ははっ、我が身は未だに至らぬわ!」


 そう豪快に笑いながら告げるとイゴーは馬首を翻し、さらばだと告げて走り出す。


「王に何と言う!」

「王ならばこの様子を見ていよう! 俺はこれで主なしの騎士よ!」


 武を磨くのにはちょうど良いわと高らかに笑って、シャーランの騎士は去っていく。


 何とも恐るべき、そして爽やかな男であった。


<続く>

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