第20話 凍たい焔


 午後の掃除が始まった。

 しかし今度はテルミラも一緒だ。作業スピードは単純計算で二倍。いや、大人の彼女だから三倍か、あるいは彼女だから一・五倍だろうか。

 なんにせよ掃除が捗るのは良い事だ。

 この分では今日中に一階は綺麗になることだろう。

 そうなれば晴れてリオンは明日のデートを満喫出来る。

 彼はそんなことを考えながら、はたきで本棚のホコリを落とした。

 不意に一冊の本が棚から落ち、リオンはそれを拾う。


「そう言えば魔導書があるんだっけ? この本棚のやつ全部がそうなの?」

「全部じゃないよ。魔導書は高いからねぇ。そこには多分ないよ」


 魔導書は読んだだけで魔法が使えるようになるという奇書の事だ。

 もちろん適正がなければ魔法は覚えられても使えないし、何度も読めるものじゃなく、数回読まれると白紙となってしまう。

 だが時間をかけずに魔法を得られると聞けば誰もが大枚を叩くこと間違いなしだ。

 そんな高価な物を何冊も持っているとは、やはり彼女もアスモディアの教師という事だ。


 リオンが拾った本を本棚に戻す。


「魔導書じゃないならこれはなに?」

「魔法教本。魔法の術理や成り立ちなどが記載された本だね。だから極論それを読めば魔法を使えるようになるんだけど……」

「魔法の適正は千差万別。そう簡単にはいかないわけね」

「そゆこと」


 窓を拭いていたテルミラはいつの間にかリオンの横までやってきた。

 そして彼女は本棚から一冊本を抜いて表紙をリオンに見せる。


「せっかくだし、どれか一冊あげようか?」

「え! いいの!?」

「掃除のお礼って事でね」


 テルミラがウィンクをする。

 リオンは掃除をほっぽり出して早速どの教本が良いかを選び出した。


「丁度テルミンの試験に向けて新しい魔法を覚えたいと思ってたんだ」

「ちなみにリオーネちゃんの得意魔法は?」

「炎魔法だよ」

「炎? へぇ、珍しいね」


 リオンから得意魔法を聞いたテルミラはリオンの横で一緒に本を選び始めた。

 炎魔法に関するものを選出してくれるようである。


 数分して、本棚にあった炎魔法に関する教本が先程お昼を食べたテーブルに積み上げられた。

 リオンが一冊一冊を丁寧に見ていく。


「上級は使えないだろうし、選ぶなら初級か中級か……」

「攻撃魔法が多いけど、中には防衛魔法とか、幻惑魔法なんかもあるね。どんな魔法をご所望かな?」

「攻撃魔法一択!」

「見かけによらずフィジカルタイプなんだね」


 テルミラは意外そうにリオンを見ると、教本の中から先程リオンが言った条件にあう物をいくつか選んだ。


「初級『火拳ファイアフィスト』に中級『雨蛍ファイアレイン』……どれもパッとしないな」

「これなんかどう? 中級『火炎蛇レッドサーペント』」

「う〜ん……」


 炎魔法は攻撃力重視の魔法だ。水魔法や風魔法のように器用な事が出来ないため使える場面が限られる。

 男の体のように魔力効率が良ければただ火力だけを求めれば良いのだが、女の体となるとそうはいかない。

 求められるのは様々な場面で臨機応変に対応出来るような魔法だ。


「炎魔法じゃ厳しいのか……あれ?」


 ふと、リオンは先程見た本棚とは対角の位置にもうひとつの本棚を見つけた。

 しかし、その本棚には上から黒い幕がかけられており、一見しただけでは本棚と気づけないようになっていた。

 リオンがその本棚を指さしてテルミラに尋ねる。


「テルミン。あれは?」

「あー……あれはダメダメ」

「なんで? もしかしてあれが魔導書の本棚?」

「いやぁ……そういうわけじゃ…………」


 リオンの問いに対し、テルミラはぎこちない態度ではぐらかす。

 だが歯切れの悪い言葉ではリオンも納得出来ず、彼はしつこくテルミラに迫った。

 すると彼女は諦めの息を吐いて立ち上がる。そしてリオンが指さした本棚の方へ向かった。

 リオンは慌てて彼女の後を追う。


「本当は捨てなきゃいけないんだけどね。可哀想で。奇跡ってやつを信じちゃうんだ」

「……?」


 テルミラの呟きをリオンは出来なかった。

 首を傾げる彼を横目に、テルミラは本棚に被さる黒幕を剥いだ。


 ただの本棚にも見えるが、どこか寂しく冷たかった。


「これは……?」

「──『つめたい魔法』」


 テルミラは静かに呟くと、本棚から一冊取り出した。

 優しい手つきで表紙を撫でる。


「ここにある教本には凍たい魔法が書かれているんだ」

「凍たい魔法って?」

「使い手が失われた孤独な魔法の事だよ。俗に言うオリジナル魔法の成れの果て。魔力が通わず凍たい術理だけが残されているから『凍たい魔法』」


 テルミラの話を聞いたリオンが本棚に手をかける。

 初めに見た時に感じた寂しさの正体はこれだったのだ。

 彼は青い装丁の本を取り出した。


「『蒼鱗魔法』……?」

「それは魚の鱗を生成して肉体を守る魔法だよ。土魔法と水魔法を合わせて、魔力を細かく均一に放出すれば理論上再現出来るらしいんだけど……」

「それが難しいんだね?」

「そういう事。まぁ、こういうのは本人にしか分からない感覚ってのがあって、そういうのは言語化が出来ないから省略されちゃうんだ。だから後人には再現が出来ず、不完全な術理だけが残るってわけ。──ここから一冊選ぶのはオススメしないなぁ〜」

「…………」


 テルミラの助言を受けたリオンは、しかしそこから動こうとはしなかった。

 彼の直感が告げる。

 ──ここにある。

 具体的な正体は不明だが、彼の魔力回路が何かを求めて疼いているのだ。


 本棚上段の左端から一冊ずつ背表紙を撫でる。

 右端まで行くと一段下がる。そしてまた左へ。


「リオーネちゃん?」

「…………」


 奇妙な行動をするリオンにテルミラが心配して声をかける。

 だがリオンは返事を返さず、黙々と本を撫で続けた。


「────ッ」


 そしてついに本棚の上から四段目。その半ばで彼の指先に電撃が走った。

 リオンはその感覚に従って一冊の本を棚から抜いた。

 飾り気のない真っ白な装丁の本。

 表紙には簡素なタイトルが書かれていた。


「……『焔魔法』」

「──え!? ちょっと見せて!!」


 タイトルを聞いたテルミラがリオンの手から白い本を奪う。そしてざっと中身を見ると、震える手でそれを閉じた。


「テルミン……?」

「…………」

「テルミン!」

「──はっ! ……なに?」

「いや……その本、なんて書いてあったのかなって」

「あ、あぁ。そうだね……」


 テルミラはコホンと咳払いをひとつすると、いつもの調子を取り戻した。


「これは詠唱いらずで強力な炎を生成する魔法だよ」

「つまり炎魔法の上位互換ってこと!?」

「う〜ん。そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるなぁ」

「というと?」


 リオンが首を傾げると分かりやすい説明をくれた。


「詠唱が要らないって所は炎魔法より優れてるね。けどこれはさっき言った特殊な感覚が必要な魔法なんだ」

「特殊な感覚?」

「この魔法を使うには二つの感覚が必要なの。一つは魔力が常に魔力回路に流れる感覚。もう一つは魔法を使う時に魔力を点から点に移動させる感覚」

「それって……!!」

「そう。前者は男の子特有の感覚で、後者は女の子特有の感覚。要するに二つの性別を経験した人にしかこの魔法は使えないってわけ。──まぁ、そんな人いるわけないんだけどね〜」

「…………」


 テルミラの説明を聞いたリオンは白い本を見つめながら少し黙った。

 常に魔力が流れる回路、点と点、二つの性別。

 テルミラの言葉を頭の中で何度もリピートした彼は、直後に笑った。


「リオーネちゃん?」

「いや……なんか、オレのための魔法だなって思って」

「え?」

「テルミン。決めたよ」

「決めたってまさか──」

「──そいつをもらう」


 リオンがテルミラの手から白い本を奪って不敵に笑った。

 テルミラが信じられないものを見る目で彼を見た。


「正気? 凍たい魔法を目覚めさせた例はここ千年で二十件もないんだよ!!」

「それでもオレはこれにする。オレなら──いや、オレだけがこの凍たい炎を目覚めさせる事が出来るんだ」


 リオンがそう言い切ると、テルミラはそれ以上何も言わなかった。

 代わりにため息を一つ吐くと、リオンの額にデコピンをした。


「いてっ!」


 唐突にデコピンをされたリオンは額を押さえてテルミラを睨む。

 すると彼女真面目な口調でリオンの名前を呼んだ。


「魔法にはそれぞれ意思がある。中でもオリジナル魔法なんて呼ばれてるもの達は特に強い意思を持ってる」

「…………」

「キミがそれを選んだのは、多分偶然じゃないよ。奇跡や運命が実在ふるならそれは魔法の意思が決めたものだ。キミはその魔法に選ばれた。だから一つだけ忠告をしてあげる」

「忠告……?」


 テルミラはそこで一度言葉を区切ると、続けて真剣な眼差しでリオンを見つめた。


「──その眩い焔の光に呑まれちゃダメだよ。それはキミの道を照らす光になると同時に、キミ自身を焦がす炎となる」


 しばらく静かな時間が続いた。

 リオンは白い本を抱きしめ、言った。


「魔導を進むと決めた時から腕の一、二本焼ける覚悟は出来るよ!」

「……そっか。それを聞けて安心した」


 テルミラはそう言って笑うとイタズラな表情を浮かべて舌を出した。


「その魔法を起こしてあげてね! ──リオンちゃん♪」

「──ッ」


 彼女が呼んだ名前にリオンの心臓は大きくはねた。

 まさか男だとバレたのだろうか。

 そんな杞憂を心配したが、その後は彼女からの言及はなく、リオンは無事に掃除を終え、寮に帰ることが出来た。

 片手には真っ白な魔法教本が握られていた。

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