第12話 黒き瞳と温かな炎


「……ぐるるぅぅ……ぐるるぅぅ…………」


 彼女の顔にかかる風。それは寝息だった。

 ウノの目の前にいる黒い鬣の全長三メートルはあろうかという巨大な獅子の寝息である。


 幸い、黒獅子はまだ寝ている。

 だが一度目を覚ませばウノなど抵抗する間もなく殺されるだろう。


「(……大丈夫、大丈夫)」


 ウノは自身に言い聞かせるように小声で呟くと、心を落ち着かせた。

 手の震えは治まらないが、呼吸は通常通りに作動する。


「(刺激しなければ起きないはずよね。だったら今のうちに外へ……)」


 黒獅子から目を離すことなく、後ろ手にドアノブを探した。

 程なくして手に冷たい金属の感触が伝わる。

 彼女はそれを回した。

 しかし──


「(ウソ!? 開かない……!)」


 鍵穴などは無い。しかし、ドアノブをどれだけ回しても扉は開く気配を見せない。

 黒獅子から目を離し、扉をよくよく観察する。

 すると外側には見られなかった魔法陣が扉の内側には描かれていた。

 その魔法陣を見てウノは気づく。


「(内側にだけ鍵をかける魔法……。このモンスターを外に出さないためなのだろうけど、今は邪魔以外の何物でもないわね)」


 彼女は内心で舌打ちをすると魔法陣を細かく調べた。


「(強力だけどシンプルな魔法。知能の低いモンスターにはこれ以上ないほど効果的だわ)」


 しかしだからこそウノにはまだ希望が残されている。

 対モンスター用に仕掛けられた魔法は大抵人には効果が弱い。この扉の魔法も造りがシンプルなためどこに魔法を当てれば陣を破壊出来るかがわかりやすい。

 ウノも既にそのポイントは見つけている。


「(問題は私がこの魔法を打ち消すだけ強力な魔法を放てるかどうかだけど……)」


 魔法陣に込められた魔力はウノがひとつの魔法に込められる魔力と同じかそれ以上。

 得意魔法なら上回る事が可能かもしれないが、それをすれば魔法陣が壊れてしまう。

 そうすると黒獅子をこの檻から解放することになってしまう。

 故に取れる選択肢はただひとつ。解錠魔法で魔法陣を壊さずに鍵を開けることのみ。


 ウノは口内に溜まった唾を飲み込むと覚悟を決めた。

 解錠魔法はお世辞にも得意とは言えない。むしろ苦手な部類だ。

 それでもウノはやらなければならない。やらなければここで黒獅子の餌になるのだから。

 チャンスは一度きり。失敗は許されない。


 ウノは息を大きく吸うと震える手で杖を構える。

 杖の先にありったけの魔力を集中させた。


「『夕空に佇む守り人よ 鋼鉄の呪縛に囚われし僧兵の助けに応じ バグウォッツの抜け道に光を示せ』──【解錠レジオン】」


 初級解錠魔法を完全詠唱で唱えたウノが杖を振る。

 杖の先から放たれた魔法は魔法陣のウィークポイントに的確にヒットした。

 ──パァァンッ! という大きな音が檻の中に響き渡る。


「そんな……」


 ウノが膝から崩れ落ちた。絶望の色がその顔に浮かぶ。

 彼女の目に映るのは綻びひとつ見せない魔法陣。

 爆ぜたのはウノの魔法だった。


「──ゥゥ……」


 静かな檻の中に低い音が木霊する。黒獅子の寝息はもう聞こえなかった。

 ウノが恐る恐る振り返る。

 そして絶望。


「ガルルゥゥ……」


 低い唸り声を上げながら巨大な体が起こされる。鬣が左右に振られ、前足が二度地面を叩く。

 重いまぶたが持ち上がり、黒い瞳が現れる。

 瞳の中にはウノ・メィズルが閉じ込められていた。


「……ガルぅ……」

「──ッ!!」


 黒獅子は数秒ウノを見つめると嗤った。

 その瞬間ウノの全身にひとつの信号が伝えられた。


 逃げなきゃ!!

 急いで逃げないと殺される

 死ぬ

 逃げる

 逃げて

 逃げろ!

 …………。

 ……どこに?

 ……どうやって?


 思考が停止する。

 逃げようにもその逃げ場が無いのだからどうしようもない。そもそも腰が抜けてまともに立つことすら出来ないのだ。

 杖を手に取る。

 しかし震える手ではそれを保持し続ける事は出来ない。

 手からこぼれ落ちた杖が黒獅子の足元まで転がっていく。

 黒獅子が杖を踏み潰す。

 一歩、また一歩。黒獅子がウノに近づいてくる。

 絶望が、死が、すぐそこまで迫り来る。

 ウノは少しでも離れようと後退する。だが後ろは扉が塞いでおり、それ以上先へは行かせてくれない。

 黒獅子が更に近づいた。鼻息が彼女の頬を撫でる。


 あぁ、もう終わりだ。


 ウノほ手から力が抜ける。ダラりと伸びた足の先に黒獅子の唾が落ちてきた。

 見上げると黒獅子の顔が間近にあった。

 大きな口が開かれる。


 これが閉じた時、私は死ぬ。

 もっと色々な事がしたかった。

 やり残した事も沢山ある。

 ひとつも魔法を極められてないのに……。

 両親の復讐も出来てないのに……。


 様々な後悔が脳裏に浮かんでは消える。

 ウノの目から涙が零れ落ちた。


「……あぁ、もっとリオーネとお話がしたかったな……」


 ふと口をついて出た言葉。自分の耳に返ってきたそれを聞き、ウノは眉を顰めた。


 どうして私はこんな時に彼女の事を思い出した?

 嫌ったはずなのにどうして彼女との離別を悔いる?

 どうして、どうして……どうしてこんなに寂しくなる?


 とめどなく溢れる不可解な感情。それはウノの心を満たし、脳を満たし、全身を満たした。

 大量の涙と共に彼女の本音が溢れ出す。


「──助けて、リオーネ!!」


 彼女が叫ぶと同時、黒獅子の口が閉じられた。

 牙がウノの頭上から落ちてくる。ギロチンのように彼女の首を落とすために落下する。

 永遠にも等しい一瞬。

 ついに牙がウノの首な喰いこ────



「──【ファイアボール】!!」



 突如背後から聞こえた大きな声。

 彼女の頭上を熱い何かが通り抜け、黒獅子の右目に直撃した。


「ガアアア!!!!」


 黒獅子の苦痛の叫びが檻の中で反響する。


「──え?」


 ウノの手が後ろに引かれ、彼女は檻の外に投げ出された。

 困惑したまま、彼女の瞳にそれが映る。

 風に靡くキャラメル色のスカート。同じ色のポンチョマント。細い指に握られた白い杖。

 そして──腰まで伸びた美しい白髪。


「リオーネ……?」

「助けに来たぜ、ウノ」


 白髪の少女は振り返ると、ウノにいつもの笑みを見せた。

 ウノの目尻に涙が浮かぶ。

 しかし、感動の再会も長くは続かず、リオーネは怖い顔をして檻の中を睨んだ。

 そしてウノに叫ぶ。


「ウノ! 早くここから逃げろ!」

「アナタは……!?」

「コイツを足止めする」


 リオーネが杖の先を黒獅子に向ける。

 既に苦痛の衝撃から落ち着いた黒獅子が、右目に火傷を負わせたリオーネを睨みつけた。

 リオーネが杖の先に魔力を集中させる。

 それと同時に黒獅子がリオーネに飛びかかった。


「【ファイア────……ぁえ?」


 リオーネが得意魔法を放とうとする。

 しかし、彼女は突然よろめくと、その場に膝を着いてしまったのだ。杖の先に集めた魔力が霧散する。


「ヤベっ……またこれか……ッ!」

「ガァァァ!!!」

「くっそ……!」


 リオーネの不調などお構い無しに黒獅子の牙が彼女に迫る。

 リオーネが再び杖の先に魔力を集めようとしたが、そんな暇は無く、黒獅子の牙がすぐそこまで迫っていた。


「ったく! 助けるなら最後までカッコよくいなさいよ!!」

「──うぉ!?」


 舌打ちをしたウノがリオーネの腕を掴んで檻の外に引っ張り出した。

 リオーネが驚いて声を上げる。

 ウノが空中で手を離すと、彼女はお尻から着地してもう一度変な声を上げる。

 それを一瞥したウノは、しかし首筋に強烈な寒気を感じ、黒獅子の方に振り返った。


「ガゥ!!」

「────ッ!!」


 リオーネに攻撃を躱された黒獅子が追撃のために扉に向けて走ってくる。

 ウノが慌てて扉を閉めた。

 しかし、扉が完全に閉まる直前に黒獅子が扉に体当たりをした。


「ぐっ……!!」

「ガゥ……!!」


 扉を隔ててウノと黒獅子の力比べが行われる。

 だが当たり前に黒獅子の方が力は強く、徐々に扉が口を開ける。

 ウノは尻もちをついたまま立てずにいるリオーネに叫ぶ。


「アンタも手伝って!!」

「お、おう!!」


 リオーネは覚束無い足取りだったが、何とか扉の近くまでくると、精一杯の力で扉に体当たりする。

 すると扉が僅かに閉まった。


「グオオオオ!!!」


 それでも黒獅子は諦めておらず、大きな咆哮を鳴らすと、更にもう一段力を強め、扉を押し返し始めた。


「くっ……このままじゃあ、押しきられるわよ……!!」

「だったら、二人で力合わせるしかねぇだろ……!!」

「今してるでしょうが……!」

「違ぇって……! オレがせーのって言ったら二人で全力で扉を押すんだよ……! いいな!?」

「今も全力だっての!」

「行くぞ……」

「あぁもう!!」

「せーのっ!!」


「「うぉおおおお!!!」」


 リオーネの掛け声に合わせて二人が全魔力を身体強化に回して扉を押した。

 喉がちぎれるくらい大きな叫び声が地下室内に響き渡る。


「ぐ、グォ……!?」

「「おおおおお!!!!」」


 突如上がった二人の力に黒獅子が困惑の声を上げる。

 扉が徐々に閉まっていく。

 そしてついに──


「「──ッァア!!!」」


 二人が腕を突き出すと、扉はピッタリ木枠にハマった。

 ガチリという音が扉から聞こえた。


 全ての力を出し切った二人が扉を背にして地面にへたり込む。

 荒い息が地下室に鳴り響いた。


「はぁはぁはぁはぁ……」

「ふぅ……ふぅ……ふぅ……」


 リオーネとウノが互いに見つめ合い、疲れきった笑みを見せる。

 そして、リオーネが拳をウノの顔の前に突き出した。


「……なにそれ」

「知らねぇのか? こういう時は拳を突き合わせるんだぜ」

「なんか、男臭いわね」

「え!? そうか? なら、やめとくか……」

「ふふ、冗談よ」


 リオーネが下げようとした拳を右手で掴み、左の拳をそれにコツンと突き合わせた。

 虚をつかれたような顔をしていたリオーネがニカッと笑う。


「……仲直り、ってことでいいんだよな?」

「この状況で喧嘩も何も無いわよ」

「そりゃそうだ!」


 リオーネの笑い声が地下室に響く。

 その声がウノにとっては非常に心地よく、不思議と安心出来るものだった。


「リオーネ、ありがとう。助けに来てくれて」

「当たり前だろ。友達なんだから」

「そっか……友達か…………」


 ウノが噛み締めるように呟いた。

 リオーネという人生で初めて出来た友達を思いながら、彼女はそっと目を閉じる。


 遠くから扉が開く音がした。

 パタパタと階段を下る足音が聞こえる。

 リオーネがちらりとウノを見る。


「さて、どう言い訳するかを聞かせてもらうじゃねぇか」

「……そうね。どうしましょうか」


 ウノが疲れきった声で呟くと、視界がパッと明るくなった。

 見ると、光魔法で作られた大きな光球が通路の半ば天井で照っている。

 そして通路の先には慌て顔のユップの姿が。

 彼女が急いで近寄ってくる。

 それを見ながらウノは誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。


「友達か……」


 その後の事は語るまでもない。

 勝手に地下室に入ったウノ、黒獅子相手に無謀な戦いを挑もうとしたリオーネがそれぞれユップに終業時間いっぱいまで怒られた。

 ただそれだけである。

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