第6話 策の準備
俺の目の前で大移動を始める新野の住人達。
劉備の決定で我軍は樊城に撤退する事が決まった。
そしてその結果、新野の住人も一緒に樊城に移動する事になったのだ。
新野の住人数万人の移動はノロノロとしたもので、そんな彼らに劉備や関羽、張飛達が声を掛けると、感激してその場で自分も戦うと言って残る人が続出した。
そんな人達を糜竺や孫乾、
そして使えそう人達はそのまま軍に吸収した。
とにかく兵が少ないのだ。
この時の劉備軍の総兵数は一万にも満たない。
ましてここに残る俺達の兵は二千。
曹操軍の十分の一の兵力で迎え撃つ事になる。
今は少しでも多くの兵が必要なのだ。
そして俺は徐庶の副将に任命されている。
徐庶 元直か~
もし、徐庶がそのまま劉備の下に残っていたら、どうなっていただろうか?
この長坂の戦いは徐庶のターニングポイントだ。
絶対に徐庶を劉備軍に残して見せる!
そしてそれは俺の生存確率を上げる事にも繋がる筈だ。
「劉封殿。この辺りの地形を把握しておりますか?」
「は、はい!」
「では、あそこにこの麦藁を敷き詰めてください。そしてそれが終わればあの通りに見える家々の屋根にもお願いします」
「はい、分かりました」
「関平殿は反対の通りをお願いします。見た目に注意してください。気付かれてはなりませんからね」
「は、お任せを」
関平は俺と一緒で徐庶の副将になっていた。
正直、関平と一緒なのは嬉しい。
少しでも気心が知れた相手が居るのは気が楽だ。
俺と関平は徐庶に言われるまま彼の策の手伝いをしている。
徐庶の策は『火計』だ。
新野城ごと曹操軍を火の海に叩き込むらしい。
新野は小城とは言え、それは日本の城とは全く違う。
中国の城は周りを高い塀に囲まれ、その中に住居が作られている。
大陸の城はスケールが違う。
そして策の内容もスケールが大きい。
数万人が暮らす町を塀ですっぽりと囲っているので四方の門を閉ざして中で火を点けるとどうなるか?
勿論城の中に有る水の手、井戸などは潰してる。
この新野城は曹操軍の兵の阿鼻叫喚が聞こえる事だろう。
だが実際にこの策を実行する事になる俺達はどうだろうか?
見も知らない人達を俺は殺せるのだろうか?
俺の記憶には人を殺した記憶がある。
これは劉封の記憶だ。
断片的な記憶でしかないが、劉封が初陣で戦果を上げた時の物だ。
正直、気分の良いものではなかった。
夢の中の出来事だったが嫌に生々しく、手に感触が残っているのだ。
人を殺したり殺されたりする事が日常的なこの時代に、俺は適応できるのだろうか?
そんな俺の不安を関平は感じ取っていた。
「劉封。怖いのかい?」
それは俺達が徐庶の指示で任された作業が終わった後に休憩を取っていた時の事だった。
人に指示を出すなんてやった事がなかったから、しどろもどろしていたら兵達にからかわれた。そんな俺は作業が終わるとドッと疲れを感じて、地面に胡座をかいて座っていた俺に関平がやって来たのだ。
最初は慣れない事ばかりで関平に愚痴を溢していた俺に彼は黙って話を聞いていた。
そして話す事が無くなって黙っているとふいに関平が聞いてきたのだ。さっきの言葉を。
「関平は怖くないのか?」
質問を質問で返すのは卑怯だと思ったが、素直な俺の思いだった。
「私は、怖いよ。でもそれを表に出したら行けないんだ。私達は人を率いる立場に居るからね。劉封もそうだろう?」
人を率いる立場か。
俺は部活の経験が有るがキャプテンとか成った事がない。しがない一部員でしかなかった。
バイトもした事が有るが当然俺は人に使われる立場だ。
今日初めて人に命令を出した。
劉封の記憶では、彼は名家の人間で当たり前のように人に指図していた。それは堂々とした物だった。
そして戦場では勇敢に前に出て兵達を指揮していた。
それに比べて今の俺は……
「劉封が何を悩んでいるのか分からないけど、私は劉封の味方だ。本当はまだ記憶が戻っていないんじゃないのか?」
ドキッとした。俺は関平に疑われているのか?
「そう、見えるか?」
「だって、なんかね。以前の君と違うよね。ちょっと」
はわわわ。ヤバいぞこれは!
「なんてね。ごめんよ困らせて。私も緊張してるのかな。さっき言った事は忘れてくれ。今は目の前事に集中しようか?」
「あ、ああ」
「じゃあ、行こうか?」
「う、うん」
これはマズイ。色々とヤバい状況だ。
うじうじと悩んでいる暇なんてないぞ。
覚悟を決めろ!俺!
曹操軍が来るまでに何とか作業は終わった。
後は曹操軍が新野城に入れば策の実行に移る。
最後の確認の為に皆が集まる。
「曹操軍は今日の昼頃にはここに着きます。各々は所定の位置にて待機してください。策の実行は私の合図で行います」
徐庶が淡々と状況を説明している。
「いよいよだな。腕が鳴るぜ!」
張飛が肩を回している。本当に音が鳴りそうだ。
「元直殿。敵が策に気付いた場合はどうなさいますか?」
趙雲は慎重だな。
「その場合も大丈夫です。次善の策が有ります。まず、敵が……」
徐庶は落ち着いて説明してくれた。
さすがは徐庶だ。頼りになる。
「劉封殿と関平殿は私の指示に従ってください。良いですね?」
「はい!」「分かりました」
徐庶の指示に従っていれば間違いないだろう。
それに今回は直接敵に斬り込む事はない。
それをやるのは趙雲と張飛の役目だ。
俺と関平は徐庶の護衛が主な任務だ。
少しだけホッとしている自分がいる。
ちょっと前までは覚悟を決めたつもりでいた。
でも、やっぱり不安だったんだ。
「では、配置に着いてください」
「おう!任せろ。劉封見てろよ。俺様の活躍をよ!」
「ふぅ、行きますよ益徳殿」
「お、おい、押すな子龍」
「では後で会いましょう劉封殿」
張飛は趙雲に連れていかれた。
「ふふ、益徳殿らしい。劉封を心配してるんだね」
「そうなのか?」
「ああ。子龍殿も何も言わないけど、君を心配している。勿論私もさ。さぁ、行こうか劉封」
「おう!」
俺は恵まれている。
皆に心配されて、皆に背中を押されている。
ちょっと胸に来た。
彼らの期待と信頼を俺は裏切らないようにしないといけない。
そして、徐庶の予想通りに曹操軍が現れた。
これから長く厳しい撤退戦が始まる。
世に名高い『長坂の戦い』が始まるのだ。
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