第15話 忘れ形見
來未の足跡が一つ分かった。彼女はこの国へ残ろうとはしなかった。次の転生を目指した目的は何だったろう。現世への生まれ変わりか、それとも別の理由か。
ウラシマ老人の用意してくれた布団で、身体を冷やしながら考えて、眠りについた――。
老人の朝は早いというが、彼はまだ暗いうちに起き出し、火鉢に火を起こしていた。ぼんやり布団の中から横目で見ていた僕は、その火の起こし方に思わず目が覚めた。彼が手のひらから炎を出したように見えたからだ。
「あの――ウラシマさん」
「起こしてしもうたか。悪かったのお」
「いえ、おはようございます。で、その――今、どうやって火を起こしたんですか?」
身を起こして訊ねると、
「こりゃ困った。知られぬうちにすまそうと思ったんじゃが」
「いえ――誰にも話したりしません。よかったら教えてもらおうと思って。この国の人は、誰でもそういうことができるんですか?」
すると彼は今度こそニッコリと笑い、
「竜宮の城での、不思議な輪っかをもらった。そのお陰じゃな」
逆境のリング――。
「それは今、ありますか?」
「ちょっと待ちなさい。乙姫様は指につけるというたが、もうワシのヨボヨボの指には上手く嵌らんでの。首から下げておる」
ウラシマ老人は火鉢に火を起こしたのか、部屋の棚の隅から彩りも美しい漆塗りのような箱を持ち出してきた。
「玉手箱――」
「若い人、いろいろとよう知ってらっしゃる。この中にの、入っておった」
まだ薄暗い部屋の中で、ウラシマ老人は懐かしむように首に下げた紐を見せてくれた。取り出されたのは、不思議な模様が入ったリングだった、僕の腕輪とは違い、小さな赤い石が埋められていた。
「そなたも、同じようなものを持っておると」
火鉢を囲み、声はなぜか小声で進む。
「僕のは腕輪なんですけど――つらいことを一つ乗り越えると何か力がつくって聞いたんです」
あくまでそれは腕輪の話ではないのだが。
「そういうものは、やはり乙姫様が詳しいと思うのじゃがの――」
「乙姫様にお会いするのは難しいですか? 亀に乗って海の底まで行くんでしょう?」
「はっはっは。そういう話はない。ワシは昔は小舟で釣りをするのが日課じゃった。それを村里へ売りに行く。帰りには米を携えての。その頃は無茶も多かった。荒れる海の方が魚を一人占めにできると、息巻いてな。あっという間に波に飲まれた。そこから先はよう覚えとらん。気がつけば海の底の煌びやかな城じゃった」
僕はつい、シェリルの弟さんを思う。
ウラシマさんはそこで、一度は命を落としたのだろうか。そして転生先が竜宮城だった。となると、転生の方法はひとつだけではないことになる。実際、僕がそうだ。
「ウラシマさんは、この国へどうやって帰ってきたんですか?」
「それが不思議なものでの。大きな泡に包まれていたかと思えばこの浜に打ち上げられていた」
僕の知らない転生方法がある。そこには興味を持った。
「ウラシマさん、そこで時間の流れはどうなってました? この国に帰ったら、知り合いが皆、歳を取っていた、とか――」
「いや。そういうことはないがの。たた、皆がワシのことを忘れておった。それがつろうての、開けるなと言われていた玉手箱を空けた。そして今、誰も知らぬ
「もう一度、若返って生まれ変わりたいと思いませんか」
「それはもうない。ワシは乙姫様のもとで三日三晩、朝夕問わず宴会に明け暮れた。その思い出があれば、いつでもお呼びが来ても後悔はない」
竜宮城で、いわゆるウラシマ効果はない。ならば僕は飛び込むだけだ。
「ウラシマさん。この辺りで溺れ死ねそうなところはありますか」
「どこにでもある。海は恐ろしいでの。じゃが、若い人。それを知ってどうするんじゃ」
「僕は來未に近づく方法があるなら、もう何だって選べます」
「若さというのは、恐ろしいもんでな。ちょっと、用を足してくる。火鉢で温まっとってくれ」
僕はその隙に腕輪を見る。穏やかに緑色に光っていた。老人を疑ってかかるのは気が退けたが、ウラシマさんは、きっと信用してもよい人物だろう。
そのウラシマさんが、布に包んだ大事そうな包みを持ってきた。
「なんですか?」
言葉がすぐ出るタイプの僕は訊ねてしまう。一本の白い、長い羽根。
「その――鶴になったクミさんの忘れ形見じゃよ。お前さんが持っておった方がいいじゃろうて」
「ありがとうございます。大事にします」
彼女を偲んで、そっとポケットへ入れた。今回の持ち物は腕輪の他に何もない。
「それでウラシマさんは、來未とどんな話をしたんですか」
彼はしばし悩む。
「孫のような歳じゃったからの。言葉は少なかった。ただ、大事な誰かを忘れてここへ来たと聞いておった」
來未も、苦渋の決断を迫られたのだと思う。
「僕の生まれ変わりの方法は、大きなお城の壁の絵に手をかざして、それで大事な人を一人忘れてゆくんです。僕は三度目の転生なので、きっと三人の知人を忘れているはずなんです。誰を忘れたのかも、もう分かりませんが……」
ウラシマ老人は火を起こした囲炉裏に、鍋をかけて湯を沸かし始めた。
「忘れるというのは、人間の
鍋の湯が泡立ち始める。僕はどれだけ未来がつらくとも、來未のことを忘れはしない。
彼はまたゆっくりと囲炉裏を離れ、ざるを一つと壺を一つ運んできた。それを鍋へと入れ始める。
「昨日獲れた魚のアラ汁ができる。そんなもんでよければ食べていきなさい」
彼は魚を鍋へ入れ、味噌のようなものを溶いた。この国は、時代は違えど僕の知る日本とよく似ている。
仕上げに青菜を浮かべた汁はとても落ち着く味で、寒い朝にぴったりだった――。
「では、竜宮の城を目指すのか」
「はい。この国に来た意味は、きっとそこにあります」
僕はポケットの中、來未の残した忘れ形見をそっとなでる。
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