第14話 異世界③ ハポネス


 気が付くと、また王城へ続く長い列の中にいた。死因は分からない。ただ、今はそういうことを考える必要はなかった。あの壁画の前へ立って、願うだけだ。


 しかし――。


 躊躇ためらいはあった。記憶から消し去る知人の顔を浮かべると憂うつになる。家族はあり得ない。クラスで唯一の友人だったユウリのことを思っても胸が苦しくなる。他に誰かいないかと探しても、交友関係の狭さを今は嘆くだけだ。


(ユウリ、ごめん)


 王城へ着くと日没前だった。急がなければいけないが迷いはない。あのレリーフの場所を思い出して手をかざすだけだ。



 なのにだ。そのレリーフが見つからない。確かにあった場所へ、まったく違うレリーフが並んでいる。


「アンタ、迷ってるね。同じ壁画には二度と出会えないんだ」


 見たことのある少女だった。ただし、その言葉には気落ちしてしまった。


「キミは――」


「その腕輪してっから覚えてただけなんだけどね」


 そうだ。あの時の少女だ。


「この腕輪――逆境のリングっていうのを教えてほしいんだ。どんな力があるの?」


 すると少女は、


「そうだとは言ってない。似てるって言っただけ。それより時間がないよ。またひと晩待つの?」



 僕は腕輪の謎をあきらめて壁一面のレリーフに向かう。前回は勘が当たったのだ。このレリーフにはきっと意味が込められているはずで、僕は急ぎながらも慎重に壁を眺める。


 そこへ高らかに声が響いた。


「今より三十秒後に日没となる! 行き場のないものは城内から立ち去れ!」


 間に合わない。ここでの一日は現世の一日だ。その焦りの中、急にギンハの言葉が思い出された。

 僕はバカだった。この世界でどれだけ長い時を過ごそうとも、若返って転生できると彼は言っていた。そうなれば時間は余るほどあるのだ。気にすることはない。


(頼む!)


 僕は目の前にあった、大きな翼の鳥の描かれたレリーフに手をかざした。友人の記憶と引き替えに――。




 海だった。


 白い砂浜の波打ち際で、遠くに松原が見える。昔どこかで見たことのあるような、既視感きしかんを呼び起こす光景だった。波の音と潮風の匂い。今度はいったい、どんな世界にたどり着いたのだろう。


 思う間もなく、呼ぶ声がある。


「若い人。漂流者でもあるまいに」


 ゆったりと杖をついて歩いてくるのは、長い白髪を頭の上で丸め、同じくらい長いひげを生やした老人だった。僕が訊ねるのはただ一つ。


「ユータイア王国のメールンという街を探しています。聞いたことはないですか」


 老人は黒い目を細めて、


「ここはハポネス。よその国との交流はない。たまに、流れ着く異国の者がいる程度じゃ」


「その――僕がその漂流者なんです。何でもいいんです。この国のことを教えてください」


 すると、老人は頭を右に向けて海を眺める。


「大した国でもない。皆、畑を耕し、うおを釣り、食うのが精いっぱいの暮らしをしとるだけの島国じゃ」


 これは転生の失敗だと、僕はすでにサメに襲われて死ぬ覚悟を決める。


 老人は僕の心を見透かすように、


「若い人。生き急ぎなさるな。まずはアンタの生まれ故郷の話でも聞いてみたいのう。年寄りになると、それがいちばんの楽しみでの。立ち話も疲れる。ワシのボロでよかったらついてきなさい」



 異世界での決まりごとは、二つ。国を知ること。そして人を信じ過ぎないこと。誰もがシェリルのように優しいとは限らない。僕は細心の注意をもって老人のあとへ続いた。砂浜をゆっくりと、二つの影が足跡をつけてゆく。



「まあ、こんな家じゃが」


 浜辺に建った、小屋、と呼んで差し支えのない、雨漏りのしそうな家だった。薄い畳状のものが囲炉裏いろりの前に二枚敷いてあり、火は起きていなかった。気がつけばひどく寒い。


「あの――綾瀬嘉手那と言います。お爺さんは、なんて呼んだらいいですか」


 老人は、まあまあ、と言いながら。部屋の隅にあった火鉢から炭を一つつまんでくる。熱くないのか、手のひらで転がすような仕草を見せた。それを囲炉裏へと投げる。


「名前のお。そういうことも忘れてしまえるのが年寄りの面白いところでなあ。今はウラシマと呼ばれとる」


 ウラシマ老人は赤黒い炭に小枝を投げ始めた。パチパチと枝のはぜる音が小屋に落ちる。


「それで、カテナさんはどこから来なさった。異国か、はたまた異世界か」


 僕はその言葉に飛びつく。


「異世界のことを、知ってるんですか?」


「まあ、慌てなさんな。ふた月ほど前じゃった――」



 ウラシマ老人はまた小枝を囲炉裏へとく。赤い炎が上がる。少しずつ、火の温もりが顔へ伝わってくる。


「やっぱり、お主と似たような恰好をしとった。かわいらしい娘での、クミという名前じゃった」


 耳を疑う、思いもよらない展開だ。來未が、この国へ一度は転生していたというのだろうか。


「詳しく教えてください! その子を探してるんです!」


 ほお、と老人は立ち上がり、火鉢へと向かった。そして湯気の立つ鉄瓶を手にすると、そばにあった湯のみへと何やら注ぎ入れた。


白湯さゆじゃ。こんなものしかないが、温まるといい」


 僕は少し縁の欠けた湯のみを受け取る。口にすると、胃の中から温まった。


「それで、彼女はどこへ行ったんですか?」


「そうさのお。鶴になって飛んでいったわい」


「あの、冗談じゃなくて本当のことを教えてください」


 僕はしびれを切らす。


まことの話じゃ。それはそれは優雅に舞って。きっと、昔のワシと同じ竜宮の城に行ったんじゃろうて」


「竜宮、ですか?」


 話が少しずつみ合い始めた。竜宮城へ向かった浦島太郎は、開けてはならないと言われた玉手箱たまてばこを開け、煙の中で老人の姿になったという。そして話には別の筋もあり、鶴となって飛んでいったという言い伝えもある。



「ウラシマさんは、竜宮城でどんな人に会ったんですか?」


 彼は昔を懐かしむ顔になり、


「あれほどの美しいお方は見たことがない」


「それは、乙姫様おとひめさまだったんですか」


「おや、若い人。よく知ってなさる」


 驚いたように見えたが、皴が動いただけかもしれない。


「ウラシマさんは、異世界のことをどこで知ったんですか?」


「年に何度か漂流して打ち上げられる者がおる。誰もが口を揃えて『異世界から来た』と言うもんでの。ワシも昔は不可思議な経験をしておる。眉唾まゆつばでもない話じゃと思うてなあ」


「その転生者は、今もどこかにいるんですか?」


「一人、村里におる。よう働く男で、村の娘をめとって幸せに暮らしとる」


 転生をあきらめた――というよりも、その人にとってはこの国への転生が幸せなことだったのだろう。ただし、その他は新たな転生を目指した。その違いはなんだろう。価値観は人それぞれだ。

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