─17─気付き
道の両脇には茶褐色の大地が広がっている。
わずかに秋蒔きの麦が風に揺れているのだが、いずれもひょろひょろとして力無く、このままでは大した収穫は期待できそうもない。
その弱々しい緑の中に、目指す人はいた。
思わずテッドは思わず安堵の息をつく。
「シエル様……こんな所で何をしてるんですか? 誰かに見つかったら……」
そこまで言ってしまってから、テッドはあわてて口をつぐむ。
母を助けてくれた恩人。
にも関わらず、その人を信じきれない自分を、テッドは恥じた。
が、そんなテッドを前にしてシエルはわずかに笑う。
「どうした? 何も間違ったことは言ってないじゃないか。巡礼の神官といっても、素性のしれない人間を快く思う奴なんてまずいない」
そうではなくて、あなたの命が危うい。
だが、その言葉をテッドは声に出して言うことができなかった。
その内心の葛藤を知ってか知らずか、おもむろにシエルはひざまずくと、畑の土を掴み取った。
何をしているのかとそれを見つめるテッド。
握りしめられた指の間から、土はさらさらとこぼれ落ちた。
「どうやらお前の言ったことは、正解かもしれないな」
「え?」
一瞬何を言われているのか理解できず、テッドは首をかしげる。
が、あることを思い出してぽん、と手を叩いた。
「やっぱり……やっぱり土が悪いんですか? でも……」
「あの森の土と比べてみろよ。色も触感も全然違う」
風に吹かれて土が舞う。
その様子は土と言うより砂のようだった
じっと畑の土を見つめるテッドの前でシエルは立ち上がると、土埃で汚れた手と服とを払った。
「何か……方法はありますか?」
「そのくらいわかってるんだろ? それだけ一人で勉強してるなら」
藍色の瞳は、意地悪くくせ毛の金髪頭を見下ろしている。
が、テッドは力無く首を左右に振った。
「無理です。暖炉の
「薪は買ったんだから、それをどう使うかは勝手だろ。違うか?」
「そうですが……あ……!」
ある解答を導き出し、テッドはシエルをかえりみる。
その顔には晴れ晴れとした笑みが浮かんでいた。
「灰ですね! 暖炉の灰をまけばいいんだ!」
「他にも、俺の寝台にしてくれた藁を使う手もあるな。細かく刻んで畑にまけば、いい肥料になるんじゃないか?」
「ありがとうございます! ……でも、どうしてそんなにお詳しいんですか?」
その視線を受け止めかねて、シエルはわずかに視線をそらし、決まり悪そうにつぶやいた。
「……経典を読むだけは読んだからな。一応は」
何を目的にという訳ではなく、与えられた物をただ滅茶苦茶に。
そう言いながらシエルはこぼれ落ちてくるセピアの髪をうるさげにかきあげた。
おそらくはもっとも触れてほしくない所だったのだろう。
あわてて謝ろうとするテッドに、だがシエルは苦笑を浮かべた。
「お前が気にすることじゃないさ。すべては俺が犯した罪に対する罰だ」
「罪……?」
訳がわからずオウム返しに言うテッド。
その時、彼の周囲の風景は一変した。
ひび割れた大地は、板張りの床に。
吹き抜ける埃っぽい風は、血生臭く淀んだ空気に。
耳に飛び込んできたのは、狂ったような少年の泣き声。
視界に入ってきたのは、事切れた甲冑姿の男達。
この世の物とは思えない惨状に嘔吐感を覚え、テッドは反射的に口許を押さえた。
「……何をしても許されることはない。わかってる。けれど、そうするより他の方法は考えられなかった」
押し殺したようなシエルの声に、テッドは思わず顔を上げる。
凍てついた空気の中、虚空を見つめるシエルの横顔は、やはり冷たく凍りついていた。
注意深く見回すと、あの地獄絵図は跡形もなく消え失せ、ただ麦の葉がさやさやと揺れている。
一体この人は何者なのだろうか。
幾度目ともつかないその疑問が、再び頭をもたげる。
だが、その瞳から感じられるのは得体のしれない恐ろしさではなくて、言い表すことのできないほど深い孤独感と寂しさだった。
「……俺の顔に何かついてるのか?」
気が付けば鋭い藍色の瞳はテッドに向けられている。
彼は首を左右に振ると、頭の片隅に追いやられていた疑問を口にした。
「いいえ、何も……。それよりどうしてこんな所へ?」
冷たく乾いた風が吹き抜ける。
乱れた髪を抑えながら、シエルはつぶやくようにぽつりと言った。
「眠れなくて、気晴らしの散歩、かな。……嫌な時ほど時間はゆっくりしか進まないから……」
そんな物なのだろうか。
よくわからない、と言うように首をかしげるテッドに、シエルはわずかに笑う。
「無理矢理押しかけた上に、いらない気をつかわせて悪かった。すぐに出発する」
じゃあ荷物を取りに行く、と足を踏み出すシエル。
数秒後我に返ったテッドは走り出し、その前に回り込んだ。
「どうした? まだ何か用か?」
「まだ明るくなるまで時間はあります。せめて朝ご飯くらいお世話させてください。お願いします」
テッドの勢いに押され、シエルは思わずうなずいていた。
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