─7─再会
「……閣下? トーループ将軍閣下ではないですか。いつこちらへお戻りで?」
部屋を出た所で背後から声をかけられて、ロンドベルトは足を止めた。
振り向いたロンドベルトの顔に、珍しく穏やかな微笑が浮かんだ。
「主任……失礼、情報局長官でしたか。ご無沙汰して申し訳ございません。ご令嬢には大変お世話になっております」
言いながらロンドベルトは目礼する。
その所作には先ほどまでの慇懃さはなかった。
苦笑を浮かべてそれを受けるその人は、かつてここに連れられてきたロンドベルト少年に唯一暖かく接した人物であり、他ならぬ副官ヘラの父親だった。
「お手をお上げください。お礼を言わなければならないのは、こちらの方です」
娘を救ってくれた恩人に、立つ瀬がない。
そう言う長官に、ロンドベルトはわずかに頭を揺らす。
「救うなど……戦場を巡るのは、変わりありません」
戦の無い世界を実現するという夢物語のような約束に、ヘラを付き合わせているのは自分の方だ、そうロンドベルトは思っていた。
けれど長官は微笑を浮かべたまま、ロンドベルトの肩を軽く叩く。
「少なくとも貴方は、娘を道具としては使わない。何よりその痛みを知っている貴方なら」
買いかぶりすぎです、とロンドベルトは珍しく恐縮する。
敵国から『死神』と恐れられている人が普段決して見せないその表情に、長官は笑う。
そしてふと、思い出したように切り出した。
「ところで閣下、この度の招集は一体……? 何やらきな臭い動きでも?」
突然核心に触れられて微かに強張るロンドベルトの顔を、長官は見逃さなかった。
不安げに見つめてくる長官に、ロンドベルトはあわてて言葉を継いだ。
「私は武人です。それが本来生きる場所に戻るだけのこと。そのようなお顔をなさらないでください」
だが、長官はなお納得がいかないようで、眉間のしわが深くなる。
「ですが、冬の休戦中の出兵とは、あまりにも……」
「休戦は条約として明文化されてはいません。行けと言われたら行く。それしかありません。それにご令嬢はすでに、アレンタに戻っております」
私闘にも似たこの戦には巻き込まれることはないので、ご安心を。
そう言いながら苦笑いを浮かべるロンドベルトに、だが長官は苦悩の色を濃くした。
「立場上、娘の安全だけを願う訳にはいきません。が、この厳しい時期の出兵は敵の不意を突ける反面、味方にもそれなりの重荷となる。その点……」
「ご心配なく。先のザハドの戦いを見ていただければご理解頂けるでしょう。負けるとわかりきった戦には足を踏み入れないのが性分ですので」
「なるほど、それで不敗の軍神という訳ですか」
冗談めかした長官の言葉に、ロンドベルトは柔らかく笑う。
もし何も知らぬ第三者が居合わせたとしたら、驚き足を止めることだろう。
それほどロンドベルトの微笑は、無邪気な少年のようだったからだ。
「そうそう、私もこの度退官することになりましたよ。やっと色々なしがらみから解放されます」
おもむろに長官は話題を変えた。
思いもかけないその言葉に、ロンドベルトはすいと目を細めた。
視界の先で、長官は照れたような表情を浮かべ頭をかいている。
「それなりの貯えもありますし、首都の片隅でつつましく暮らしていくつもりです」
言いながら笑う長官に、ロンドベルトは既視感を覚えた。
退官を告げる長官の表情は、ロンドベルトが生まれ育った田舎の村で母の墓を守りながら暮らしていくと告げた父の顔とそっくりだった。
一抹の不安を覚え、ロンドベルトは思わず口を開く。
「失礼ながら、アレンタにいらしていただく訳には……。北の外れの寂しい街ですが、しがらみとは無縁です。聖地への巡礼も兼ねて、是非……」
「ありがたいお言葉ですが、甘える訳にはいきません。何よりそうすれば、私だけでなく、貴方の立場も悪くなる。違いますか、閣下?」
その通りだった。
長官の娘は、ロンドベルトの副官ヘラである。
エドナがそれまで手元に置いていた大切な人質を、みすみす手放すはずがない。
万一長官がそれを振り切って首都を離れアレンタに走れば一体どうなるか、火を見るよりも明らかだ。
けれど、ロンドベルトはそれでもなお言わずにはいられなかった。
かつてその危機から父を救うことができなかったという同じ思いを、ヘラに抱かせたくはなかったからだ。
ロンドベルトは思わず唇を噛む。
その様子に気が付いたのだろう、長官は再びロンドベルトの肩を叩いた。
「ご安心ください。私に万一のことがあれば貴方がどう動くかくらい、いくらエドナとはいえども理解しているでしょう」
にっこりと笑う長官の顔は、どこかヘラに似ていた。
いたずらをしかけた少年のようなその顔に、ロンドベルトは返す言葉がなかった。
無言のまま頭を垂れるロンドベルトに、長官は穏やかに言った。
「私の願いは、貴方に早死にしてほしくない、これだけです。何より娘が悲しむ姿を見たくないし、私も辛い」
「失礼ですが、なぜそのような……。私は……」
一介の武人です。
そう言いかけて、ロンドベルトは口を閉ざした。
こちらを見つめる長官の視線に気付いたからだ。
静かな、だが強い意志を秘めたその瞳は、他ならぬ彼の亡き父のそれそのものだった。
「必ず生きて『不敗の軍神』の名を高めてください」
向けられてくるまっすぐな視線を、ロンドベルトは受け止めることができなかった。
そんなロンドベルトに、長官はまるで息子を諭すように続ける。
「そんな顔しないでください。そうそう、今度は食事でもいかがですか? もちろん無理強いはしませんが」
「いえ、お言葉ありがとうございます。お誘いとあれば、喜んで」
約束ですよ、と言いながら長官は右手を差し出す。
一瞬ためらった後、ロンドベルトはその手を取る。
暖かくて大きな、父のような手だった。
柔らかい微笑みを残して、長官はその場を後にする。
その後ろ姿を見送るロンドベルトに帯同していた参謀が近寄る。
視線は長官からそらすことなくロンドベルトは小声で言った。
「ようやく帰還の許可が下りた。その前に一つ、厄介なことを押し付けられたがな」
「と、申しますと?」
首をかしげる参謀。
ロンドベルトの顔に、すでに笑みはなかった。
「寄り道をすることになった。今回の職務怠慢の落とし前をつけろとのご命令だ。身から出た錆かな」
ばさり、と音を立てて漆黒のマントが翻る。
その後をあわてて追いながら、参謀は驚いたように尋ねた。
「寄り道とは、一体どういうことでしょうか?」
「国境沿いに北上し、支配の及ばぬ辺境地域の平定せよ、とのご命令だ」
では旧巡礼街道を行くのですか、と問う参謀に、ロンドベルトはうなずいて返した。
「出発……いや、出陣だ。願わくば一人残らずアレンタに帰したい。……いや、帰してやる」
まだ負ける訳にはいかない。
死神はまだ見ぬ戦場に向けて、黒い翼を広げた。
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