─6─ささやかな決意
最初はごく近い所から始まった。
扉を閉めた隣の部屋に人が何人いるか、そしてどんな格好をしているか。
そして部屋の様子はどうなっているのか、ということを当てる。
まるで遊びみたいだ。
僕はそう思ったが、口に出すことはなかった。
何故なら、『課題』に取り組む僕の周囲を固める大人達の表情は、真剣そのものだったから。
僕の成績が上がらなければ、あの人達は大臣さんに怒鳴られる。
そして、父さんの立場も危ういものになる。
父さんの立場が危うくなれば、必然的に僕の居場所はなくなってしまう。
もしかしたら、あの村に返されてしまうかもしれない。
父さんはあんな人だけど、一人になりたくはない、それが正直なところだった。
父さんの顔を潰さないように、そして自分の居場所を失わないようにただ必死だった。
その甲斐あって、僕の『目』は信じられないほど遠くを見られるようになっていった。
そしてある日のこと。
すっかり顔見知りになっていた資料室長さんが、いつものように地図を広げながら、寂しげな笑みを浮かべて、こう言った。
「正直、おじさんは君がうらやましいよ」
突然のことに、言葉を失う僕。
そんな僕の前で、主任さんは自嘲気味に笑った。
やっぱり意味が解らない。
首をかしげる僕に、主任さんはすまなそうな表情を浮かべさらに続けた。
「いや、ごめんよ。うちの子も、君と同じように訓練を受けているんだけれど、モノになったら即戦場行きと決まっているんでね……。後方の安全な所でも役に立てる君が……」
「おじさんの子って? 僕と同じ力じゃないの?」
「うちの子は、全軍をすっぽりと覆い隠して、敵の攻撃をはね除ける力があるかもしれないんだ。……元々、神官になりたいと言っていたんだけれど、命令だからね」
仕方がない。
その一言を、主任さんは無理矢理飲み込んだようだった。
その表情が、ふと父さんに重なった。
これ以上僕らのような家族を増やしたくはない、父さんの言葉が不意に僕の脳裏に蘇った。
いつ戻ってくるかわからない家族を待つ辛さは、僕は痛いほど知っている。
「戦争が、悪いんだよね」
思わず僕の口から、こんな言葉がもれた。
唐突な僕の言葉に、主任さんは目を丸くする。
けれど、僕は真剣な表情で言い切った。
「僕が戦争を終わらせるよ。主任さんの子の訓練が終わる前に戦争が終れば、主任さんも主任さんの子も、悲しい思いをしなくても済むでしょう?」
僕の言葉に、主任さんはしばらく目を瞬かせていたが、やがて優しい顔で僕の黒い髪をなでてくれた。
「ありがとう。そう言ってもらえるだけで、おじさんは嬉しいよ」
でも、あんまり無理はしなくてもいいよ。
そう言って笑う主任さんは、それまでの表情を消すと淡々と作業を再開した。
今日僕の目の前に広げられたのは、大きな街の地図だった。
一体、これはどこだろう。
今まで見ていた国内の地図とは明らかに違っていた。
何故なら、国内の地図と違って大まかな道路の配置と中央にある大きなお城くらいしか、記されていなかったからだ。
「ここ数年の間に寄せられた間者からの情報を元に作って見たんだけど、ご覧の通りだ」
「加えて、ここ数ヵ月、情報は日々途絶えがちになっている」
前触れのない突然の来訪者に、僕はあわてて席を立ち、主任さんは姿勢を正し敬礼をする。
戸口に立っていたのは、大臣さんと父さんだった。
軽く手を上げて僕らに答えると、大臣さんは大股て自分の席へと向かって歩き出す。
その背後に続いていた父さんは、いつもの無表情で僕の隣の席につく。
それに習って僕が座るのを確認してから、大臣さんは机上に広げられた地図にすい、と目を通した。
「ついに皇都か」
その言葉に、僕は大臣さんの方を見る。
『皇都』。
他でもないそれは、敵の一番偉い人が住んでいる、という所だ。
思わず僕は息を飲む。
「最近、皇都の動きが見えなくなっているようだな」
大臣さんの言葉に、父さんは申し訳なさそうに目を伏せる。
「はい……。ここ数ヵ月、繋ぎが寸断されたのか、報告が途絶えておりまして……。最悪、情報網の崩壊の可能性も視野に入れた方が良いかと……」
苦虫を噛み潰したような顔で父さんの言葉を聞いていた大臣さんは、おもむろに僕の方を見た。
その迫力に、僕は思わず姿勢を正した。
「さて、君の最終訓練だ。今日『見て』もらいたいのは、ここ皇都だ」
神妙な顔で、僕はうなずく。
父さんも主任さんも、等しく固い表情で僕を見つめている。
大臣さんはそれを意に介することなく更に続けた。
「君が直接皇都を見ることができれば、今皇都で生命の危機にさらされている同胞が救える。撤退の命令を下すことができるんだ。……見てくれるね?」
光を写さぬ僕の瞳を真正面から見つめながら、大臣さんは言った。
いつになく厳しい言葉に、僕は凍りついたように動けなくなった。
形はどうあれ、大臣さんは無駄な血がこれ以上流れないことを望んでいるのが、痛いほど解った。
僕や、父さんや、主任さんと同じように。
僕にはもう迷いはなかった。
強くうなずくと、いつものように目を閉じ、地図の上に手をかざす。
そして意識を皇都の上へと飛ばした。
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