喰らいやがれ、二十年。

真野魚尾

喰らいやがれ、二十年。

 あきれるほど静かなバーだ。客はカウンターに俺一人だけ。

 バーテンの女が艶然えんぜんと微笑みかける。


「ご注文は?」

「ソルティドッグを頼む」


 カクテル言葉は「寡黙」。いつもとは違う環境で静かに新曲のアイデアを練りたい気分だった。そのためにわざわざスーツまで引っ張り出して来たんだ。


「今夜はお一人で?」

「俺が二人に見えるか?」


 察しの悪い女だ。ここまでは俺も少しいらついていた。


「ダブって見える――なんて言ったら驚く?」

「おたくが酔ってどうする」

「フフッ……酔ってるのかもしれない。貴方の魅力に」


 誘っているのか。なるほど有りていに言って美女の部類だろう。

 俺が「こちら側」でなければなびいていたかもしれないな。


「面白いジョークだ――」


 天窓に映る満月を見上げながらグラスをあおる。下顎を伝い、とくとくと流れ込んで来る波の感触が心地いい。


「美味いな」

「でしょう? 塩が違うの。人間を原料にしてるから」


 次から次へと冗談ばかり。どうやらとことん黙らせないつもりらしい。


「滅びゆく故郷を振り返ったら塩の柱に変えられちまった、って話か」

「音楽家って博識なのね――ゆうひろさん」


 俺を知っている。メディアに顔を出していたのは十年以上も前のはずだが。


「昔のファン……にしちゃ若いな」

「知るのは後からだってできるでしょう? ファンならなおさら。バンド組んでたのも知ってる。貴方はギターボーカル。それが二十年前……」

「……おい」

「解散した。メンバーが次々脱退して、最後に残った……」

「待て」

「作詞担当でキーボードの美作みまさか……」

「黙れと言ってる」

れん。彼とは学生時代から付き合ってたのよね?」


 俺は思わず立ち上がっていた。不愉快だとか怒りとかよりも、疑問が先に来る。

 この女は何が目的だ。


「マスコミに売る気か? 落ち目のオッサンの話題なんか誰も食いつかねえぞ」

「そんなつもりは。それに落ち目だなんて。押しも押されもしない売れっ子プロデューサーさんじゃない」

「お世辞はいい。生憎あいにく今は持ち合わせが少なくてな。ゆする気なら家まで押しかけて来いよ。何でも知ってるんだろ?」


 できっこない。万が一無茶を仕掛けて来ても、こっちには弁護士だって付いている。

 女の反応は、そんな俺の陳腐な予想を超えてきた。


「……そう。知ってる。彼をうしなった貴方の悲しみも」


 何てツラをしやがる。それに――反則だ。あいつのことを持ち出すなんて。

 俺には何も言い返す資格がない。


「ごめんなさい」

「……解散を呑むべきじゃなかった。あいつが死んだのは……俺のせいだ」


 力が抜けて座り込む。これだけ感情を引っ掻き回されたら疲れもする。


「お詫びに一杯だけ奢らせて」


 どうかしている、この女も、俺も。

 ただ誰かと分かち合いたかっただけなのかもしれない。二十年間引きずった、このやるせない気持ちを。


「……XYZエクスワイズィーを」

「わかったわ」


 これを飲んだらまっすぐ帰ろう。そう思った矢先。


「もしやり直せるとしたら、あなたは自分の成功よりも彼を選ぶと思う?」


 決まっているだろう。


「……そう。あなたを見込んで正解だったわ。さあ」


 グラスを満たすカクテルは、俺の知らない色をしている。


「オリジナルのレシピよ。警戒するのは当然だけど」

「いや。頂くよ」


 意固地になったとか、自棄を起こしたわけじゃない。俺はごく自然にグラスの中身を飲み干していた。




  *




 テーブルに突っ伏した姿勢で俺は目が覚めた。

 よく知ったアパートのワンルーム。だが、今住んでいる部屋じゃない。


 懐かしい家具。懐かしい壁紙。


 懐かしい声。


ひろくん、風邪引くで」

「……れ…………ん……!?」


 ビール缶を片付ける細長い指。流し台に立つひょろひょろの体。ボサボサの茶髪を結んだ後ろ姿。


 俺の方を振り返った、垂れ目の優しい笑顔。


「どないしたん? 何やおかしな夢でも見たん?」

「…………そう……だな。何か俺、もうオッサンなってて、バーみたいな所で飲んでて……」

「ええなぁ。尋くんはきっと素敵な年の取り方する思う」


 そんなことはない――何故そう思ったのか。理由が思い出せないまま、俺は黙ってれんの言葉を待つことになった。


「……尋くんは僕がおらんでも……おらんほうがずっと輝けるから」

「濂、何を言って……」


 濂は俺のそばにへたり込み、訥々とつとつと話し始めた。


「シンくんもユートも就職して、残ったん僕らだけや。尋くん、僕に気ぃ使うてくれとるんよね? 僕が音楽以外、何もできひんダメな男やから」

「……違う……」

「違わんよ。僕の歌詞、ダサいし、ウケ悪いし……でも尋くんは作曲のセンスあるし、ほかの歌手とか曲提供したり、一人で充分やっていける思うねん」

「…………」


 否定できなかった。バンド唯一のヒット曲も俺が書いたものだし、大衆受けを狙った曲ならば作り続けられる自信はあった。

 自信というよりは、予感だろうか。


「僕、尋くんのこと好きやから……これ以上好きな人の足引っ張り続けるん、耐えられへん……」


 色褪せたズボンの膝にぽつぽつと染みが滲む。こんなとき、俺はいつも押し負けて、濂の言い分を受け入れてきた。

 きっと今度もそうしてしまうのだろう。


「……そうか。俺は……」


 ふと見た窓の外で、満月が輝いていた。


「俺は…………」


 振り返ったら――


「…………」


 もしやり直せるとしたら――


「……この先もずっと、お前と一緒だ」


 抱き寄せた、骨ばった体。安物のリンスインシャンプーの匂い。何もかもが愛しい。どんな名声よりも、使い切れないほどの金なんかよりも、俺はずっとこれを求めていたんだ。


「僕の歌詞、めっちゃダサいけど……」

「お前の書いた詞じゃないと歌えないんだ。お前のピアノが聴こえないと、心の底から歌えないから。濂は俺の歌、嫌いか?」

「……好きに決まってるやん」




 それから俺と濂は、公私共にパートナーとして、今までどおりの生活を続けた。

 相変わらず音楽のほうはちっとも売れなくて、接客や清掃のバイトで食いつなぐ日々だった。


 俺たちは世間から見向きもされず、ただ年齢だけを重ねていった。


 二十年。ふたりで、ひたすらどん底を這いずり回った。

 何の名声も、満足な金も手に入れられぬまま。




  *




 目を覚ますと、俺はバーのカウンター席にうずくまっていた。

 宅飲みならともかく、外で酔いつぶれるなんて、いい加減年なのかもしれない。


「あら、おはよう」


 あの女の声だ。呑気なものだ。未だ客は俺一人だけらしい。


「……ひどい夢を見た」

「そう? 気持ちよさそうに寝てたけど。ヨダレまで垂らしちゃって」

「んなっ……!?」


 何てこった。持ってる中で一番上等なスーツが台無しだ。


「クソッ……とりあえず支払いがまだだったな」

「お代ならもう頂いたわよ。……たっぷりと」

「そうだったか? ならいい。邪魔したな」

「さようなら。真っ直ぐ家に帰ることね。決して振り返らずに」


 深酔いを気にかけてくれているのか。とにかく、俺は夢を引きずった奇妙な気分のまま、バーを後にした。




 満月に照らされながら、俺は歩いてマンションまで戻った。

 部屋のドアを開けると、スリッパの音がパタパタと駆け寄って来る。


ひろくん、おかえり」


 ボサボサの茶髪から白髪が一本飛び出ている。俺と同い年のくせに贅肉もなく、昔と変わらぬ体型なのが羨ましい。


「ただいま、れん

「何か声枯れてへん? ボーカルなんやから喉大事にせえへんと。それより新曲のアイデアどうやった? 何か浮かんだ?」


 リビングに戻る間も、大型犬のようにまとわりついてくる。そんな濂をあやしながら、俺はソファーの定位置に腰を下ろす。

 いつもどおりのやり取りなのに、何故だかひどく懐かしく感じた。


「バーでおかしな女に絡まれてな」

「何それ。詳しゅう聞かしてや」

「んー……何話したっけかな……」




 二十年間、全く売れなかったのは事実だ。

 転機が訪れたのは去年、誰かが俺たち唯一のヒット曲を動画に乗せてSNSでバスらせた。

 それがきっかけで、ゆうひろ美作みまさかれんがまだ活動中だと世間に認知された。


 トントン拍子に仕事が増えていった。色恋沙汰と無縁の俺たちはVtuberや女性声優とのコラボにバックバンドにと忙しくさせてもらっている。


 この先またどうなるのかはわからない。だが、腐らずに音楽を続けてきた俺たちには、世の中に言ってやる資格があるはずだ。

 二十年分の重み、喰らいやがれ、と。

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