こんな驚きいりません8
息を切らせながら、来た道を戻り駆け抜ける。
すると、背を向けた神社の方からドォンと花火のような音が鳴り響きました。その振動は地面を伝って、駆ける足の裏にまで届く。きっとマルゴさんとあのベーシスト(仮)さんがまたドカンとやったのでしょう。
それにしても、あれだけドンパチ大騒ぎして大丈夫なのかとは思っていましたけれど……うん、この音はまさに花火だ。「あれ? 今日ってどこかで花火大会あったっけ?」なんて勘違いしちゃいそう。
まさかこんな片田舎の神社で魔法合戦が起こっているなんて誰一人思わないでしょうね。
とはいえ、あんなファンタジー現場に誰が来るともわからない。決して早くない私の足ですが、精一杯腕を振って両足を前へ動かす。
たいした距離ではないのに、焦る気持ちで歩きなれた道がやけに長く感じる。
それでも、ようやく我が家が見えてきました。
横に広い昔ながらの日本家屋に灯りが灯っている。息を切らして
「綾乃、どこに行っていたの? ……あんただけ?」
ゼエゼエと肩を上下に揺らしながら四つん這いになって廊下に手を着くと、周囲を見渡しながら首を傾げる母の声。
「もうご飯出来てるのよ」
「とっくに七時過ぎとるぞ!」
母の声に被さる勢いで、茶の間から父の怒声まで飛んでくる。けれど申し訳ない。今はそれどころではないのです。
「ごめんちょっと急いでて、先に食べてていいから!」
「ええ? 隆之もせっかく帰ってきたのに……」
答えながらも急いで靴を脱ぎ捨てる。夕食は七時に全員で! がお決まりとなっている浦都家なので、現在神社に出向いている私たちを待っていたのでしょう。不満そうに母が頬を膨らませる。
「マルゴさんの分も張り切ったんだからね。みんな早く帰ってらっしゃい」
私だって早く帰ってご飯食べたいよ!
なんでしょう、ついさっきまでファンタジーな魔法合戦をしていたというのに一転してこの日常感。うっかり緊張が解けてしまいそうです。こんなところでモタモタしてなどいられないというのに。
わかったから! と、半ば投げやりに頷いて廊下の奥へ駆けようとしたら、「あ」と思い出したかのように母に引き留められる。
「千鳥も一緒なの?」
「……え?」
予想外の名前が出てきて、思わず足が止まってしまいました。だって、どうしてここで末妹の名前が出てくるのか。
「千鳥がどうかしたの?」
「あの子由真ちゃんから電話があって、すぐ戻って来るから。って出て行ったんだけど……一緒じゃないのね?」
「うん、違うよ」
「そう。なら、見かけたら千鳥にも早く戻るように言ってちょうだい。お父さんがひっくり返さないうちに帰るのよ?」
うわ、ちゃぶ台返しが発動されたら、最悪床にぶち撒かれたご飯を食べるはめになってしまう。それは嫌だなぁ。コクコクと何度も頷いてから、今度こそ足音やかましく廊下を駆ける。
しかし由真ちゃんの電話って、あれですよね。私たちが家を出る直前に千鳥にかかってきた電話ですよね。こんな時間に出かけたなんてどうしたのだろうか。……まあ、人のことなんて全く言えないけど。
さて。
例の聖剣は、結局沙代の部屋の押入れに突っ込んでありました。これは適当に放置していたにもほどがある。
最初はギルユリが寝泊まりしている客間の押入れかと思って、その中を引っ掻き回していたものだからちょっと時間をロスしてしまいました。どこの押入れか聞いておけば良かった。
無造作にグルグルと布切れに巻かれていた聖剣を抱えて、沙代の部屋を出る。
それにしても、本当にこれが聖剣なのかといまいち実感が湧きません。鞘に施された細かい金色の装飾は確かにきれいだけど、ギルベルトの扱いが本当にその辺にポイッて感じでしたからね。
繁々と手にしたものを眺めながら廊下を進むと、千鳥の部屋の扉が開け放たれたままになっていました。チラリと中の様子を覗えば、タンスの引き出しの中身がひっくり返したようにグシャッとなっています。よほど慌てて出かけたのでしょうね。
由真ちゃんの電話って、なんだったのかな。
不思議に思いつつも通りすぎようとしたところで──視界の端に、なにかが引っかかった。
わずかだけれど感じた違和感に首を傾げる。
引き寄せられるように開きっぱなしの扉に手をかけて、もう一度中を覗き込む。
灯りの無い部屋は薄暗かった。入ってすぐ左横のタンスからぐるりと反時計回りに視線を動かせば、タンスの奥には勉強机、その向かい側にはベッド、そして姿見の鏡。それらが出入り口正面の窓から差し込む月明かりに照らされて、輪郭がぼんやりと浮き上がる。
勉強机には夏休みのドリルやノートが散らかっています。その上に無造作に置かれたキャラクターものの筆箱や下敷きが、この部屋の主が小学生の女の子であることを可愛く演出している。
窓と垂直に配置された勉強机。すっかり日が暮れた窓から注がれる月明かりを受けて、一際目立つ机上に吸い寄せられた。そこにあるものを視界に入れたとたんに、目を剥く自分を自覚する。凝視する瞳を逸らせない。
ただでさえ熱い夏の夜です。ここまで走ってきて息は絶え絶え。汗がじっとりと纏わりついて素肌に服が貼りく。けれどそれとは別の汗が、全身の毛穴から噴き出しました。
「……うそでしょ」
ごくりと喉を鳴らして呟いたら、噴き出した汗が一筋、喉元を伝い落ちていくのを感じた。伸ばした指先は小刻みに震える。
つぅっと指の腹で撫でたのは、千鳥の下敷き。確認するように印刷されている文字をなぞりながら、口だけを動かし復唱する。そして私は、書かれているこれが、どういうことなのかをようやく理解した。
──私たちは、勘違いをしていたのだ。
机上に投げ置かれていた下敷きに描かれているのは、可愛らしい猫のキャラクター。
白い毛並みに、クリッと大きなブラウンの瞳をした猫がデフォルメされ、二本足で立っている。腰にはウェイター風のエプロンを巻いて、手にはコーヒーカップの乗ったトレイを持って。
まさに神社にいた白猫を彷彿をさせる色合いだった。
千鳥が興奮してしまうのもわかるくらいにそっくりだ。
当然その下には、『カフェモカ』というポップな書体のロゴが印刷されて──は、いませんでした。違う、確かに『カフェモカ』とは書かれている。けれど、『カフェモカ』では一文字足りない。
正しくは、『カフェ&モカ』なんだ。
デフォルメされた白い猫の横には、こげ茶色の毛並みにちょっとツリ目のオレンジ色の瞳をした猫が、同じようなウェイターの格好をして立っていたのだから。
……チリリリン。と、窓にぶら下がっていた風鈴が涼やかな音を奏でて揺れた。
下敷きからこちらをジッと見つめてくるオレンジの瞳に、思わず後退ってしまった。
『白とこげ茶色の組み合わせが、カフェモカにそっくりだったの!』
つまりそれは、白い猫とこげ茶色の猫の組み合わせが、カフェ&モカにそっくりだったという意味で。
千鳥のリュックに詰まっていた食料の量がやけに多かったのは、たくさん食べる猫が一匹ではなくて──
「転移して来たのは、あの人だけじゃない……」
もう一人いるんだ。
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