知りたくないその嗜好8
そんなやりとりの末、現在私たちが見守る居間の外では、草履を履いて向き合う兄とギルベルト。
連れ立って縁側から庭に出たかと思うと、ギルベルトは兄に言われるがまま指定された位置に立ちました。その前を「この辺かなー」なんて呟きながらフラフラする兄。
「お兄ちゃん大丈夫かな……」
「ギルベルトの奴、存在はコントだけどゴーレムボッコボコにしたもんな」
私と公平が本日目の当たりにした『戦場の
「兄ちゃんも、やばい」
「ん? なにが?」
「前もやばかったけど、それ以上に──」
なんだか恐ろしいことを口走った沙代の言葉を待たず、兄とギルベルトとの対決は唐突に始まり──終わりを迎えました。それは父のときのようにあっという間で、一瞬の出来事。けれど内容は段違いに濃厚だった。
「うん。ここだな」
フラついていた兄が立ち止まったかと思うと、突然ザッと草履を滑らせて身体の向きを反転させた。前振りなく向き合う形となったギルベルトはびっくりしたように目を見開いたけれど、兄は構わず重心を下げて下半身に力を込める。
捻られた右半身を辿れば、その先には拳が握られた右手。それがしなるようにギルベルトを襲った。
つまり、兄は振り向きざまに殴りかかったのです。
「あ──っ!」
思わず声が飛び出す。そしてそれは、私だけではありませんでした。公平と千鳥、並んで座っていた私たち三人は同じようにあんぐりと口を開ける。
けれど、その間にも目まぐるしく事は進みます。
驚きながらも、ギルベルトは見事な反応速度で兄の拳を左手で正面から受け止めました。でも、今度は即座に左の拳が反対側から容赦なく襲う。同じように右手で受け止めたギルベルトの両手が塞がった瞬間、すでに兄の右足は浮いていた。
地面からほぼ垂直に蹴り上げられた足がえげつない速度で相手の頭を狙う。──ところまではかろうじて追えた。
さらに何手か攻防があったけれど、もはやそれらは残像にしか見えなくて、私の動体視力ではここまでが限界でした。
次の瞬間には、後ろに飛び退いた兄が地面に手を着いてバランスを取って、なんかこう、クルッと回って着地してました。すごい、映画みたい。草履はいつの間にか遠くに飛んでた。お兄ちゃん裸足じゃん。なんてね、ついそんなどうでもいい感想を抱いちゃう。
「……すげ」
零れ落ちた公平の呟きに、ぶんぶんと大きく頷くことで同意した。というか、頷くだけで精一杯で、上手く声が出てこない。千鳥なんてまだ口を開けたまんまです。
マルゴさんは主張激しい胸元で両手を組んで「きゃーっ!」と大興奮。座りながらもピョンピョン肩を跳ねさせるもんだからたわわな胸も一緒にバインバイン揺れる。おお、こっちもすごい。
両親と祖母は「やっぱりギルちゃんさすがねぇ」とか「隆之も負けとらんなぁ」とか、なんですかこれは。K-1観戦でもしてるかのような呑気さですよ。
そんな私の前で、膝に置いた手をギュッと強く握りしめる沙代の姿が目に入りました。
「やっぱり。兄ちゃんまた鍛えてる」
唇をきつく引き結んだ顔は、とても悔しそうです。そのまま立ち上がるなり縁側に向かったので、私も慌ててその後を追う。
庭では、なんだか瞳をキラッキラ輝かせたギルベルトが全身をぶるりと震わせていました。
「あに……っ、兄上殿おぉっすばっ、素晴らしいですううぅぅっ!」
これぞ感極まれりってな具合でしょうか。兄に駆け寄るなりその両手を握ってぶおんぶおん揺らして、もうあれです。泣きそうです。鼻のティッシュがより一層赤く染まっているので、鼻血は再噴出したらしい。興奮しすぎにもほどがある。ですが、彼はそれにすら気付いていないのでしょう。
「さすがはサヨの兄上殿!」
「そっちこそ。うん、まあいんじゃない?」
その言葉を聞くなり、ギルベルトががくりと膝を折る。この人ついに感動で泣き崩れました。
そんな中落ちたのは、話題に上った沙代のムスッとした声。
「今度はなに始めたの?」
縁側に仁王立ちした沙代がじろりとした視線で兄を突き刺す。けれど、対する兄は「まあ色々と」なんて適当にあしらうもんだから、沙代の口元は余計不機嫌そうにへの字に歪んだ。
「にしても沙代、お前いい男見つけたなぁ」
追い打ちをかけるような言葉に、ギルベルトの感情メーターは振り切れたらしいですよ。ついに嗚咽が聞こえてきました。お兄ちゃん、これ以上ギルベルトの心を撃ち抜くのはやめてあげて。
「また強くなってずるい。ギルもギルじゃない? なんで手を離しちゃったかなぁ、あのまま両手塞いで足を狙い撃ちすればいけたでしょ?」
私の妹がえげつない。兄に対してなんて提案。
まあ、沙代にとって兄は目標だけどライバルでもありますからね。多分、異世界で経験を積んだと自負していたんだろうけれど、同じだけ己を鍛えてた兄を見て悔しいんだろうな。
けれど、ギルベルトは大きく首を横に振って反論した。
「そんなことをしたら両腕を絡めとられて、ジュードーとやらの寝技に雪崩れこまれるだけだ。それでは分が悪すぎる。腕が折れてしまう」
「なんだ、やっぱり読まれてたか」
顔を青ざめさせたギルベルトを見て、兄はいまだ熱烈に握りしめられていた両手をするりと引き抜いた。嬉しそうに、地面に膝を着く相手の肩をポンと叩く。
うん、結局勝敗はよくわからなかったけれど、この金髪騎士様は兄にも認められたみたいですよ。これで彼は晴れて沙代の婚約者ってことでしょう。
──と、思ったところで一抹の不安。
もしかして、私と千鳥も将来結婚のあいさつなんていうイベントが起きたら、その彼も父&兄に挑まねばならぬのでしょうか。
ギルベルト並に強くて頑丈な人……いるのかな。
ちょっとだけ、自分の嫁入り先を憂いでふっと遠くを見つめてしまいました。
もしかしたら私、この歳ですでに負け組確定かもしれません。
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