知りたくないその嗜好6

「まあ、というわけだから。まだしばらくは襲ってくる可能性あるかも」

「あー……それは、ユリウスを狙ってってことだよな?」

「そう。だから公平や綾姉を狙うってことはないと思うけど、注意はして。居合わせたってだけで目を付けられてるかもしれないし」


 そこまで言われて、ようやくこの騒動に片足突っ込んでしまった自分の立ち位置を実感しました。

 確かにあれで終わり。とは限らない。


「ユリウスにはもっと私かギルが近くにいるようにするし。ていうか……今回のはギルが二人を置いて勝手に体育館に突っ込んでこなければ綾姉が怪我することもなかったんじゃん!?」


 言葉を吐き出すほど怒気を高めていく沙代の声に、ギルベルトが「ひいっ」と縮こまる。


「それに関しては……いや、本当にすまなかった。申し訳ない!」


 スススとわずかに身体を後ろに下げるなり、ガバーッと勢いよく、土下座というよりももはや上半身を畳に擦りつけるように投げ出して、ギルベルトが私にひれ伏した。


「いや、勝手に体育館行っちゃったことはさすがにビックリしたけど、そのせいで怪我したとは思ってないから。そんなに気にしなくていいよ」


 なおかつ体育館に突撃したギルベルトに沙代の怒りを全てなすり着けて、速攻で逃げましたからね。

 さっきユリウスとも話したけれど、この怪我は完全な自己責任なのでギルベルトが責任を感じる必要はない。との気持ちも込めての言葉だったのですが、顔を上げた青年の瞳は感極まったように潤んでいた。


「ア、アヤノおぉーッ!」

「ひいいいいいっ!」


 身体を跳ね起こすなり、ちゃぶ台に半ば乗り上げて這ってきたかと思えば、伸ばされた腕に手を取られる。両手を包み込むようにギュッと握られる。とんでもなく整ったご尊顔が視界いっぱいに広がる。眼福だけどごめん正直ちょっと引く!


「こんな私になんて優しい言葉を……! だというのに、それなのに私は、ああなんという……! もう決して怪我などさせない。今回は私の考えが甘かったせいでアヤノにこんな──」

「もうわかったからいいよおおおっ」

「ていうか当たり前だっつーのっ!」


 私の叫びと重なるようにして、沙代の怒りの鉄拳がギルベルトの頭上に落ちた。ゴチン! とそれは痛そうな鈍い音が鳴り、見目麗しい金髪の青年が声も出せずに頭を抱えて悶え苦しむ。おう、なんと無様な。


「面白ぇなギルベルト! なにこの騎士ってかマジで騎士!?」


 公平は大爆笑です。どうやらギルベルトの存在自体がいちいちツボを押してくるらしい。


「てことで。ユリウスを囮にして相手をとっ捕まえるまでの間、綾姉たちもなるべく私かギルの近くにいてもらえると助かるかな。うん、その方が楽だわ」


 沙代ってばハッキリ『囮』って言った! せめてオブラート一枚分くらいでいいから包もうよ!

 とは言っても、囮呼ばわりされた当の本人は気にしてはいないみたいですが。っていうかこっちの話なんて聞いてないみたいですが。

 ユリウスはすっかり顔色を失ったまま、ちゃぶ台に乗せた拳をギュッと強く握りこんでいる。


 思いつめるような雰囲気になんともいえない焦燥感が燻るけれど、沙代の「だからとりあえず、しばらくユリウスに張り付くから」発言で、明らかに不機嫌そうに空気を変え、舌打ちを堪えただろう口元が引き攣るように歪んだ。

 おおう、なんだか眉根にぎゅうっと深い皺が刻まれたのが見えなくてもわかってしまいますね。沙代に張り付かれるのは余程不満らしい。

 けれど少年の不遜な態度に、なぜか今は安心してしまいました。


 チラリと時計を見やれば、時刻は六時になりそうです。気付けばすっかり話し込んでしまいましたね。ついでに全員の明日の予定を確認したら、ちょうどいい……と言っていいのかはわかりませんが、剣道部と野球部の部活はお休みらしい。

 するとギルベルトがうるストに行ってみたいと言い出したので、じゃあみんなで行くか。という流れになる。こんなに呑気でいいんかい! と思い言ったものの、沙代に「むしろ外にいた方が都合がいい」と言われて納得した。

 ですよね、そういえばそうだわ。万が一家の庭であんなでかいゴーレムさんが再び現れようもんなら潰れる。我が家が文字通り潰れる。それは勘弁してほしい。


 じゃ、そういうことで。と話がまとまったところで公平が腰を浮かせると──


「ただいまー」


 玄関からガラガラと戸を引く我が家ではお馴染みの音と、沙代とよく似た間延びした声が響いた。唯一違うのは、性別。聞こえてきたのは男性の声。


 ちゃぶ台を挟んで、思わず沙代と目を見合わせた。今お互いの頭には共通の人物が浮かんでいるはずです。

 だって、この声に思い当たる人物は一人しかいないもの。


「──お兄ちゃん!?」

「──兄ちゃん!?」


 予想通り、飛び出した声は見事にハモりました。


「え!? レジェンド帰ってきた!?」

「サ、サヨの兄だと!?」

「やったじゃん。ギル会いたがってたでしょ」

「いやしかしまだ心の準備が……」

「ほら、ユリウスもお兄ちゃんに顔見せて」


 どたどたと急に慌ただしくなった茶の間。全員が立ち上がり玄関に向かう中、私もユリウスを促して……というか、少年の両脇に腕を突っ込んで持ち上げる。「何をする!」という抗議が聞こえましたが、いや、だってこれが一番手っ取り早いと思いまして。


 そうして全員が玄関に顔を覗かせると──黒髪に、なにやらオシャレな黒縁メガネをかけた少し細身な青年が立っていた。


 しかしその服の下が、無駄な脂肪を全て排除した筋肉の集合体だということを私は知っています。

 それも、ただの筋肉じゃない。必要な部分を必要なだけ、徹底的にこだわり鍛え抜いていたことも私は知っている。当然ながら腹筋はシックスパック。

 この人は自分の肉体に関しては周りが見えなくなるという、少しばかり別のベクトルで浦都家の猪突猛進気質を体現してみせた立派な我が家の一員です。


「…………」


 そんな兄との久しぶりの再会だというのに、玄関で出迎えた全員の間に痛いほどの沈黙が落ちる。

 いや、確かに兄は兄です。兄なんです。あ、眼鏡かけたんだー程度の違いはありますが目の前にいるのは確かに兄です。


 ただ、その両脇があまりに衝撃的で──ってか意味がわからなくて誰も声を上げることが出来ない。


「あれ? なんか増えたか?」

「えへへ、お邪魔しまぁーす」


 こんな不自然な空気漂う場に、なんとも呑気な兄の台詞。

 その兄に続いて兄の左横にいた人物がキュルンとでも効果音が付きそうなほど可愛らしい声を発した。色を付けるとすれば、まさにピンク・どピンク・蛍光色! な、まごうことなき萌え声。けどその姿は、声と全くもってマッチしてない気がしてなりません。とんでもない違和感がぬぐえない。


 目の前のその人は、きわどいスリットの入ったマーメイドラインのドレスからなまめかしい生足を覗かせて、胸元を流れる長くしっとりとした髪は毛先にいくにつれて濃い藍色から淡い紫色に色を変えている。

 そしてその胸元は大きくはだけ、そこにはもう、大きな谷間を作りたもう溢れんばかりの──


 つまりはあれです。

 兄の左腕には超セクシーで妖艶な巨乳美女が縋り着いてた。タユンタユンどころかバインバインな。

 やっばい、どうしても胸に目がいっちゃう。なんかもう零れ落ちそう。胸にスイカが乗ってる。これが伝説のスイカップってやつですか。この外見でキュルンな萌え声は完全にキャラ間違ってる。どう考えてもこのキャラクターボイスはハスキーなお姉様一択でしょうが!


 さあ、そしてその反対。兄の右腕ね。

 そこには逆さ吊りのキジが握られていました。


 いえ、違うんです。見間違いじゃないです。キジです。鳥のキジです。本物のキジです。それがなんかすんごいぐったりしてるんだけど!? 大丈夫? 生きてる!?


 情報過多で私の頭がバグってる内に、「うわぁ」という呻き声が横から聞こえた。

 声の主は沙代とギルユリ異世界組です。彼らの視線は巨乳美女に注がれている。これはもしかしなくても、でしょうか。


 えーと、とりあえず……


「お兄ちゃん、キジは勝手に仕留めちゃダメなんだからね」

「大丈夫だ。気絶してるだけだから」


 まともな判断力をすっかり失ってしまった私の頭は、こんなどうでもいいことを口走るので精一杯でした。

 なのに返された返事はいつも通りの兄で、あろうことか握ったキジを掲げてみせたその瞬間、閉じていたキジの瞳がクワッと開眼する。


 静まり返った玄関で、覚醒したキジが「ケーン!」と鳴いて大暴れした。


 なんということでしょう。

 兄は右にキジ、左に巨乳美女を携えて帰省してきたのです。

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