接吻

芳田紡

接吻

 ピンポーン


「こんにちは、凛です」

『おっ、凛ちゃんにしては早かったね!すぐ行くから待っててー』


 この先輩は私のことを馬鹿にしているのだろうか。


 春休み。私は高校一年生から二年生へと変わり、もうすぐ後輩ができるような時期。

 数少ない写真部の先輩の絵里先輩に家に呼ばれたので、教えてもらった住所をスマホで地図アプリ打ち込んで、たまに立ち止まりながらもようやく辿り着いた。


「お待たせ!さ、入って入って」

「お邪魔します…先輩の家、始めて来ました」

「一人暮らしだから気楽にしてね〜」


 ゴクリ。

 先輩の言葉を聞いて、思わず唾を飲み込む。


 何を隠そう、私は先輩のことが好きだ。

 どこに惹かれたのかと問われれば難しいが。私としては、〜で好きになったとかそういうものは、どこか後付けに思えて仕方がない。


 そう思っているように、気づいた時には先輩のことが好きだった。


 そんな好きな相手の部屋に、誰も来る心配がなく二人きりだというなら、緊張しても仕方がないだろう。


「麦茶、カルピス、コーラ。どれがいい?」

「じゃあ麦茶を」

「りょーかい!」

「ありがとうございます」

「いえいえ。先に奥の部屋の机あたりにでも座っててよ。今日はなんとケーキがあるので」

「…え、くれるんですか?」

「もちろん。二人で食べよ」

「やった。嬉しいです!」


 女子高生らしく甘いものは当然好きなので、ケーキをもらえると聞いて頬が緩む。


「おー…凛ちゃんもケーキの前には笑うんだね」

「別に普段から笑ってると思いますけど」

「ええー…本気で言ってる?」


 怪訝な顔を向けられる。

 

 …うーん、笑っていないんだとしたら、面白いことがなかったんだろう。笑うのを我慢しているわけではないのだし。


「本気です。…まあ、お言葉に甘えて先に行ってますね」


 うぃー。と、気の抜けた返事を聞きながら、先輩の匂いの強くなっていく方に歩いていく。


 本当にいい匂いするな…なんの匂いなんだろう。


 部屋はシンプルながらもおしゃれな部屋だった。

 白を基調とした部屋作りで、そこまで広いわけではないのにも関わらず視覚的には広く感じる。

 観葉植物や小物などのお陰で色味が寂しくなっているなんてこともない、いい部屋だと思う。


 バッグを部屋の壁に寄せて置いて、机のそばにあった座布団に腰を下ろした。


 ふと周囲を見渡すと、ベッドが目についた。

 特に触れることもないはずなのに、なぜだかそれから目が離せない。


 …先輩がいつも使ってるベッド。


 


「…すーっ」




 ああ、やっぱり落ち着くいい匂い。





 …え?

 あれ、私今何した?吸った?吸ったよね…


 いやいや、これでは…これでは変態ではないか。


 うん、無かったことにしよう。私は何もしていない。


 …ああだめだ先輩の香りが脳に侵入してくる。

 

「持って来たよー…って、なんか顔赤いけど大丈夫?もしかして体調悪い?」

「えっ、ああはい大丈夫ですお気になさらず」


 先輩は机にケーキと麦茶、カルピスが乗ったトレイを置き、私に顔を寄せる。


「本当に大丈夫?ちょっと失礼」


 私の前髪を先輩の手が上に上げた。


 どんどん顔が近づいてくる。


「ちょっと、先輩?」


 思わず目を閉じると、直後にこつんと額同士がぶつかる。


「んー?やっぱりなんか少し熱い気が…」


 誰のせいだと思ってるんだ。


 骨を伝って、ドクドクという音が脳に入り込んでくる。うるさい。

 ここまで大きいと、先輩の耳にも入ってしまわないだろうか。


 今目を開けたら先輩の顔がすぐ側にあるのか。


 どうしよう。こんなに近くで見れる機会はなかなかない。かと言って、目を開けてしまえば自分がどうなるか想像すらできない。


 …いや、もういいか。もう先輩のせいだ。知らない。


「っ!」


 近い。わかってはいたけど。



 目が合う。


 先輩の瞳の奥の自分は眉尻を下げて何かを乞うような顔をしている。


 どうしよう、恥ずかしい。体温も上がっているんじゃないか。


「凛ちゃん、なんか…かわいいね」


 あ、これ無理だ。我慢できない。


 一度顔を放し、先輩の後頭部に腕を回す。私は顔を斜めにすると、先輩の顔を引き寄せつつ近づく。


「んむっ…!」


 真昼の太陽が、薄いカーテン越しに私たちを照らしている。

 そして生まれる二つの影は、机の上で交わっていた。

 

 柔らかい。

 あと、甘い。味なんてしないはずなのに。

 …それと、湿っていて思ったよりも生々しい。触れるだけのキスなんて、した心地すらないのかと思っていた。


 数瞬の後に唇が離れていく。


「凛ちゃん、突然どうしたの!?」


 先輩の顔は真っ赤だった。

 可愛いと思うが、喜べない。

 それは、先輩の目に涙の膜が張られていたからだ。


「…ごめんなさい。嫌でしたよね。あの、ケーキ用意してもらって悪いんですが今日はもう…」

「ちょ、ちょっと待って。なんでキスしたのかを教えて」


 そんなわかりきったことを聞くのか。

 先輩とももう一年間関わっているのだし、鈍感なのはわかっているが。

 いや、これは確認的なものか。


「そんなの、好きだからに決まってます」

「好き…なの?私、女だよ?」

「ええ。そりゃあ男には見えませんよ」


 涙の浮かんだ瞳、不安げな眉、震える唇、赤い顔。

 どのパーツを取っても煽情的で、また迫ってしまいそうになる。

 だから、すぐに先輩から顔を背けた。


「ね、ねえ。私の方を見て?」

「嫌です」

「お願い。見て」

「嫌ったら嫌です」


 瞬間、頬を挟まれる。


 首を無理やり先輩の方に回され、今回は望まずに至近距離で目が合う。


 ダメだ。目が合うと、気持ちが溢れ出して止まらない。今までこんなことはなかったのに。


 二人だけしか存在しないこの雰囲気にやられているのだろうか。


 頭の中ではそんなことを考えながらも、体は勝手に動き出してしまう。


「せんぱい…んちゅ」

「あ…」


 先輩が悪いんです。先輩のせいですよ。

 なんでか知らないけれど、自分から近づいてくるから…




 …ああ、それは本当にダメだ。頼むから止まってほしい。


 体が言うことを聞かない。


「んむ…っ!?」


 先輩の体が跳ねるので、ぎゅっと力を込めて抱きしめた。


 口内が一つになっている。

 先輩から漏れる吐息の暖かさが唇から漏れて顔に伝わってくる。


 体全体が熱い。口の中なんて溶けてしまいそうだ。


「ん…ふぁ…」


 最早それがどちらから漏れた声なのかもわからない。

 

 舌先同士が触れた。


「んぁ…っ!?」


 突然の刺激に私の体が大きく震える。


 すると、いつのまにか腰に回されていた先輩の腕に抑えられる。


 その時、唐突に理解した。

 …先輩、私のこと好きだったんだ。


 そして、ついに先輩の舌が私の口の中に入った。


 お互いに舌をねぶる。


 唾が混ざり、溶け合い、喉の奥に落ちていく。


 少しづつ刺激に慣れ、上顎を舐めたり、舌を吸ってみたり、好き勝手に先輩の口内を動き回る。


 そんなことを、息も時間も忘れて繰り返していた。長いような短いような、そんな感覚すら失っていた。


「ぷはっ…はぁ、はぁ…せんぱいも、意外と乗り気ですね」


 理解していても、私のこと好きなんですかとは口に出せなかった。


 先輩は身を捩らせて、地面を見つめながら言う。


「だって、凛ちゃん鈍感なんだもん」

「はい?なんの話ですか」

「ほらそういうところ」


 その口ぶりはどういうことなのだろうか。

 ひょっとして…


「あの、もしかして…前から?」

「もう!そうだよ!半年以上前からずっと!凛ちゃん全然気づいてくれないし!」

「いや、先輩だって全然気づかなかったじゃないですか!」


「「…ふふっ」」


 先輩は、私を力一杯抱きしめた。


 


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接吻 芳田紡 @tsumugu0209

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