第6話 毒を作ろう

「あ、ユリスさん、おはようございます」


 屋敷の裏庭で見慣れない草を観察していると、二人並んで散歩するユリスとリザに出会った。


「やあ、シャルロット、おはよう。朝から熱心だな」


 ユリスは空を昇り始めた太陽を見上げる。まだ起きてない人も大勢いるであろう早朝で、私と彼らの他に外に出ている人の声は聞こえない。


「雲を見るに、お昼くらいから雨が降りそうなので、先に草と戯れる時間を取ろうと思って」

「まあ、草と戯れるね、面白いわ」


 リザが目元をきゅっと上げて上品に笑う。別に冗談を言ったつもりはなくて、本当に戯れているような感覚だ。「これ、お風呂に入れたら効果があるかな、絞り汁を患部に塗るのはどうだろう」なんて、視線も声もない対話をしている気分だった。


「お二人は毎朝散歩なさってるんですか?」

「ああ、日課みたいなものだ。ちょっと最近足を痛めてるから、ペースは遅くなったけどね。昨日飲み過ぎたから眠いし」


 耳たぶを搔きながらあくびをするユリスは、確かに目がとろんとしていた。


「シャルロット、昨日は大活躍だったらしいな。秘密の鎮痛剤を用意したとか」

「いや、そんな大したことはしてませんよ。たまたまお茶沸かしていたので」


 ユリスに合わせてニヤリと笑う。リザも事情を知っているのか、クスクスと微笑んでいた。


 昨日のマタタビ茶の件は、お咎め無しらしい。やはりユリスもこういうことを期待していたのだろう。アシルも必要以上に喧伝することはなかったようで助かった。


「それじゃあ、またな。ちょっと村を一周してくる」

「はい、お気を付けて」


 両手を天に突き出し、グッと伸びをしたユリスは、リザと歩き始める。よく見ると、確かに左足を痛めているのか、引きずって歩いていた。




「さて、じゃあ草を取るかな!」


 もう一度しゃがみ、採取を再開する。口に含むと危険な毒草もほんの僅かだけど生えているから、この村の子ども達が遊ぶときに注意するようユリス夫妻に伝えよう。でも、これをちょっと口に含んで痺れる感覚も意外とクセになるから、どこかでまた試したいな……。


「あ、マコモだ。水辺に生えることが多いのに珍しいな。乾燥させて粉末にすればお菓子の材料に使えるはず……」


 ブツブツ話しながら草を取り麻袋に詰めていると、「ロッティー!」と呼ぶ声が聞こえる。イネスと同じ呼び方をする彼女は、ユリス夫妻の一人娘でアシルの妹であるマイッサだ。


「おはよ! 今日も草取ってるんだ」

「そうそう、色んな草調べてみたいからね」

「薬草じゃないものも調べるの?」


 麻袋の中を覗き込む彼女に、私はちょうど抜いたばかりの草を揺らしながら答える。


「そうよ。薬草っていうのはあくまで偉い人が『これは体に良いです』って決めたものだからね。そういう人が知らないけど実は体に良いものがあるかもしれない。それに、それ自体に効果はなくても、他の薬草に混ぜて毒を消したり、毒草に混ぜて飲みやすくしたりできるものもあるからね」

「そっかあ。でも薬草は混ぜちゃダメってエイジャおじさんが言ってたよ」

「ふふっ、そうそう。みんな言ってるわよね」


 十歳の少女をして、こんな風に叩き込まれている。この国の薬草に対する固定観念は根深く、だからこそ私のような人間が少しでも変えていきたい。


「ねえ、今持ってるその草は何? すごく綺麗な緑!」

「これはヒュウガトウキっていう草よ。肝臓っていう体の中の器官を良くするの。葉っぱで食べるとちょっとからい感じがするんだけどね」

「へえ、面白い! ねえ、あれは? あっちの草は?」


 好奇心旺盛に色々聞いてくれるのが可愛い。葉っぱをジーッと観察して「こっちの葉はつるつるしてる!」と言ってるのを見ると、私もこのくらいから草に目覚めていたら今もっと詳しくなれていたかな、なんて考えてしまう。


「この村の近くにジーギ山っていう山があるでしょ? あそこにはもっとたくさんの草があるよ。私が八歳のときに家族で行ったの!」

「そうなんだ。マイッサはみんなで出かけるの好きなの?」


「うん、好き。山行ったときはお昼のパンも持っていったから、ピクニックみたいな感じですごく楽しかった。ああ、でもみんなで海行ったときはもっと楽しかったなあ。もっと北の方の海に行ったの。水が青く澄んでて、波も荒くなくて。泳いで遊んだんだあ」

「そんな綺麗だったんだ。へえ、私も行ってみたいなあ」


 その人が大事にしているもの、好きなものを聞くと大体みんな笑顔になるから、こうして話してもらえるのは案外楽しかった。




 ***




「毒を作ってくれるか?」


 ユリスから依頼を受けたのは、それから数日経った日の昼下がり。身分不相応なほど広い広間で、消化を助ける薬草のお茶を飲んでいると声をかけられた。


「毒、ですか?」

「ああ、今開拓しようとしている森に、餌に飢えてる魔物が結構な数いるらしくてな。空腹で狂暴化してるから下手に戦うとこっちの被害も避けられない。

「できたら餌を置いておくだけである程度の数を減らしたい、ということですね」


 正解、という代わりに彼はニヤリと笑って見せた。


「できるか?」

「……とびっきり強いのを」


 こうして私は、「体が弱い人は害を受ける可能性もあるので不用意に近づかないように」と屋敷内に伝達したうえで、キッチンを借りることになった。



「毒なんか作れるのか?」

「もちろん、作れるわよ」


 調理台の横、空いている椅子に座って訊いてきたのはアシルだった。「俺は体強いから平気だよ」と言っていたものの、私と同じように布を口に当ててもらう。


 マタタビで鎮痛剤を作って以降、それまでの棘のある態度を一変させ、何かと私のやってることを気にかけてくる。草に興味が出てきたのだろうか。ファンが増えるのは良いことだ。


「毒と薬は紙一重ってね。薬を作れる人は毒作りも結構できるものよ。今日はちょうど今朝庭に生えてたこれを使うわ」

「え、毒草が生えてたのか!」


 私が木箱から取り出した紫の花と緑の葉、黒っぽい球根を見て素っ頓狂な声を挙げる。


「これはイヌサフラン。触ってかぶれるようなものじゃないから大丈夫。危険なものだと花を潰した汁に触るだけで皮膚がただれたりするからね。ただ、口に入れちゃうと嘔吐、下痢、呼吸困難、最悪の場合は死に至るわ。

「死ぬ……でもまあ、草を食べるなんて滅多にないしな」


 そうね、と相槌を打ちつつ、私は前世のことを思い出していた。確かにこの世界なら食べることも少ないかもしれない。でも前世の日本では、食べられるギョウジャニンニクの草と間違えて食べ、中毒症状になるケースが多かった。この世界でもひょっとしたら、似た草があるかもしれない。


「さて、それじゃ作っていくわね。といってもそんなに難しくないけど」


 彼に再度見せてから、花弁と葉を細かくちぎっていて、器に入れる。球根は包丁でみじん切りして、器に追加。そしてすりこぎでごりごりと潰して汁が出てきたところで、鍋で煮立たせる。


「あとはこれを入れて、と」

「その粉は何だ?」

「ちょっ、わっ」


 いつの間にか隣にいたアシルとの距離が近く、驚いて小声で叫んでしまう。私がもう少し背丈が高ければ、顔同士が触れ合ってしまいそう。改めて近くで見ると、本当に端正な顔立ちで、凛々しく大きな瞳は見蕩れ続けると吸い込まれてしまいそうだった。


 変に緊張してしまったので、前世で覚えたおまじないをする。手の平に草と三回書いて飲み込む。よし、これで大丈夫。


「これは別の草の地下茎から作った粉よ。これを入れると、成分の関係でとろみがついて凝固していくの。今煮詰めてるこの毒をペーストっぽくするのよ。あと。色も少し薄くなるから、自然界にある花や実の紫に近くなると思う。あんまり珍しい色だと、警戒して食べてもらえないかもしれないしね」


 とろみ加減を見つつ、入れる量を加減しながら混ぜていき、無事に完成。濃い紫色の毒が出来上がったので、陶器の蓋つきの器に流し込む。


「これをパンや果物に塗って森に置いておけばいいわ。どれ、ちょっと一口」

「おい、シャルロット、まさか舐める気じゃないだろうな」

「効果も確かめたいしね。大丈夫よ、私、毒には慣れてるから」


 人差し指に少し付けたものを舌先にちょんと乗せ、飲み込んでみる。次の瞬間。


「うぐ……あ……やっぱり呼吸はしんどくなるわね……これは良い毒だわ……えへへ……」

「お前、賢いフリしてバカなんじゃないのか……」


 アシルに冷静に悪口を言われながら椅子に座り、まるで今際いまわの際の剣士が恋人への贈り物を戦友に託すように「これを……ユリスに……」と器を渡す。



 効果覿面てきめんで、森の魔物がバタバタと倒れていた、と討伐チームのリーダーから聞いたのは、二日後のことだった。

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