3話

「様子がおかしく見えたから結構無理矢理連れ出しちゃったけど…」



 家から少し離れた公園までなされるがまま手を引かれ、木陰のベンチに腰を落ち着けながら彼女が言う。その言葉を聞いて、自分がうまく立ち回れていなかった事を突きつけられた気持ちになる。



「……大丈夫?」


「…………わかんない」




 そんな言葉しか最早出てこなくなっている。もうどうしたらいいのか解らない。このまま家に戻ってもなんて言い訳すればいいんだ。





「じゃあ、」



 ふと汗ばんだ左手を北上さんが両手で包み込む。



「解るようになるまで、待っててもいい?」


「………え?」


「私が小さい頃、悲しいことがあるとお母さんがこうして慰めてくれたの。こうやって落ち着くまで手を握ってくれて」


「俺子ども扱いじゃん……。 恥ずかしい…………」


「一番恥ずかしい所はもう見られてるんでしょ?」


「………そういえばそうだったね」



話しながら、冷え切っていた心が少しづつ戻っていくのを感じる。懐かしいような、落ち着く感覚。自分はこんなに単純だっただろうか。しかし、不思議とそれを受け入れている自分がいた。





「北上さん」


「うん」


「良かったら、俺の話を聞いてほしい」



幼馴染たちにもした事がない話まで、それ程過ごした時間が長くない相手に話したくなるなんて。



その言葉に北上さんが頷いてくれるのを見て、面白くない話だけど、と前置きをし俺は幼い頃を思い出していた。


 


  ◇





4才くらいかな。それくらいの頃に母親が病気で亡くなったんだ。



その頃の事はあんまり覚えてなくて、当時は多分ちゃんと理解できてなかったんだと思う。



それでも親父が悲しんでるのとか、元気がないのは感じてて。



親父が悲しまないようにって思いながら、その時自分が出来る手伝いとかをしながら暮らしてた。



小学校に上がってから母親がいない事で心無い言葉をかけられた事もあった。それで周りを巻き込んでケンカした事もあったけど、それで親父が学校に呼ばれて迷惑をかけてさ。直接言われたわけじゃないけどやっぱり母親がいないと教育が、なんて言葉が聞こえてきて。



言葉の意味をその時は全部理解できてた訳じゃ無いけど、悪く言われてるのだけは解って。とにかく迷惑をかけちゃだめだって思った。



そのケンカの時に一緒に怒ってくれたのが聡志と朝陽で、仲良くなったのはそこから。



まあ、多分それがきっかけで他の人と積極的に交流を持つのが怖くなってたんだと思う。



何を言われるか解らない、壁を作って、安心できる身内だけを中に置いて向き合わないようにしてた。





中学2年生の時に、親父が再婚したいって言い出して。親父が幸せになるなら喜んでと思ったけど、相手の写真を見せてもらったときは目を疑ったよ。だって俺の方が年近そうに見えたから、というか実際そうだったんだけど。



それが早紀さん。さっきの人ね。申し訳ないけど、正直美人局とか結婚詐欺の類かと思った。



でも顔合わせをした時、2人の空気感とかやりとりとかで、全然そんなんじゃなくって、お互いを思い合ってる事が解った。だから安心したんだけど、その時言われたんだ。



これから新しい家族になるんだって。



その言葉に、ふと思ってしまったんだ。





俺にとってこの人はなんだ?

この人にとって俺はなんなんだ?





その時は生返事をしてしまったけど考えだしたら止まらなかった。母親の記憶が朧気な俺にとってどういう人であれば母親なのかが解らなかった。



大人なのは間違いない、けど。どう接していいか解らない。あれよあれよと式が終わり、同居生活がはじまり、妹の悠が生まれた。



悠を抱いた早紀さんと親父を見て、良くない思考が頭をよぎった。





あれ? おれいらなくない?





早紀さんと直接繋がりがない自分が酷く異物のように思えてしまって。俺がいなくなれば何も問題ない円満家族じゃない? なんて。



………解ってる。ありがとう。そんな親父の事を考えたら口が裂けても言えないような事を考え出しちゃって。



家の手伝いをしなきゃいけないのに、日々帰る足取りは重くなってて。 帰りたくないな、って思ったたらあの河川敷で何もせずに時間を潰すようになった。









「そうやって過ごしてたけど、自分の中で処理しきれない何かが積み重なってたんだろうなって思う。 家族という言葉を聞くたびに嫌な考えが頭を走るようになって、最悪のタイミングで表に出てきてしまった」



口からこぼれ出した気持ちは、留まることを知らずにどんどんと自分の中から吐き出されていく。北上さんは変わらず俺の手を握りながら、時たま俺の言葉を否定しつつも話を聞いてくれている。



「今までは何も問題ないよう態度を見せられてたと思うけど、もう誤魔化しきれないような行動をとってしまった。 早紀さんを悲しませるつもりは無かったのに」



吐き出すので精一杯だった。親父の負担になりたくなかった。早紀さんを悲しませたくなかった。全部全部自分の物だ。でも自分が弱いせいでどちらにも顔が

向けられない。




俺は。

「どうしたらよかったんだろう」




自分が作った壁の中でぐるぐると回ってどこにもいけなくなっている。 



その言葉を最後に、沈黙が訪れた。



公園には誰もおらず、遠くを走る車の音が時たま聞こえてくる程度の静寂。




それでも北上さんは俺の手を話すこと無く、ゆっくりと口を開いた。




「進藤くんはどこに……ううん、進藤くん自身はどうしたいの?」



 そう言う北上さんの顔は、どこか寂しそうな、泣きそうな顔をしていて。



「え………?」


 俺は、親父を、早紀さんを


「そうじゃなくって」



「他の誰かじゃない、進藤未来くんの望み…っていうと大げさだけど、どうありたいのかが今の話には無かったから」



心の中では解っていた、しかし隠し続けていた事が外に出されていく。


でも自分がどうしたいかなんて言ったら、迷惑を


「というか!!」


「っ!?」


「相談とか誰にもしてないでしょ!」


「は、はい…」


「一人で抱え込んでたらぐるぐる同じところにいっちゃいがちなんだから。 …と言っても性格的にそうなっちゃったのもあるだろうし、偉そうにも言えないんだけど」




 そう言われたとき、穏やかな日のしまい込んでいた舞伽とのやりとりが頭の隅から出てくるのがわかった。







『未来さー、ちゃんと自分の食べたいもの食べてる?』


 皆で入った喫茶店でそんな事を言われて、当たり前じゃん、って何のけなしに答えて。


『いやだって、今日もだけど皆で遊ぶとことかどこで食べよーって決めるとき全然率先して意見出してなくない?』


 その時は深く考えずそんなことないだろ、ってナポリタンを食べながら否定したけど舞伽は納得行ってなさそうで。


『んー…? 未来がそう言うならいいけど。アタシは未来が心配だよー」


 何を勝手に心配してやがる。


『周りをよく見てるのも他人の事を思いやれるのも未来の美徳だけどねー』


 急に真っ直ぐに褒め言葉を投げつけられて、うっせって言いながら顔を逸らして。


『まあなんかあったら、いつでもアタシ達に言いな! アタシ達には今更迷惑とか考えるなよ!』


 聡志はともかく朝陽たちを巻き込むなよ、って言いながら周りを見たらみんな食べる手を止めて俺の方を茶化す様子もなくまっすぐ見ていて。


 信頼のようなものを感じて、気恥ずかしくなり、おう、としか答えられなかった。


『それはそれとして…未来のナポリタン一口寄越せ!!」


 きっと照れ隠しもあったであろうその行動に、朝陽も同じの頼んでるんだからそっちからも取れとか、行儀が悪いだとか、そんなとりとめもない事で笑った日。





 

 どうして今まで忘れていたんだろう。


 


 家族の話だからと、自分でなんとかしないと思ったのは確かだ。



 こっちを見ていたはずの人達も見ないふりをして、自分だけの問題と一人で勝手に追い詰められていた。



「相談しても解決はしないかもしれないけれど、こうやって話してくれたみたいに言ったら楽になることもあるだろうし」


「うん」


「それに、私はともかくだけど、進藤くんの友達たちは頼りになるんでしょ?」


「うん…………」



 言葉が素直に心の中に入ってくる。



 もう取り繕うことは出来ない。俺の中の思いが涙と

して溢れて止まらなくなっていた。



「ゔん……うううううぅぅぅぅぅぅぅぅ」



 子どものように泣きじゃくる俺を、北上さんは穏やかな表情でハンカチで涙を拭きながら、落ち着くまで側にいてくれていた。





「北上さんありがとう…もう大丈夫だから」


「うん、お疲れ様?」



 そうやって労ってもらえるようなことはしていない…むしろ、



「ありがとう、こんな話をちゃんと聞いてくれて」


「ううん、私が聞きたかったの。 あなたの事を」


「え…」



 それはどういった意味で。いや、今は考えるな。まだ何も終わってない。




「戻らなきゃ。 戻って、早紀さんと話をしないと」


「……私、一旦帰ったほうがいいよね? 流石に部外者だし……」


「………良かったら、一緒にいてくれると、とても心強いんですが」


「いいの?」


「一人だとまた暴走しそうなのでお願いできますでしょうか」


「どんな言い方…? でもわかった」



 北上さんはパッと笑顔を咲かせて、




「進藤くんが頼れるように、一緒にいる」




瞬間、時が止まったような感覚が俺を包んだ。




「………いやマジで、緊張してるから、頼りにしてます」



 これから起こることへの不安と、相手を悲しませてしまうかもしれない憂いと、いま横を歩いている人物へのふわふわした感情。

 


それらがないまぜになったまま、俺は家への道を歩き出した。





 ◇





「それで未来くん、話って何…?」



 早紀さんは不安な様子で机の向かいに座っている。親父は纏まったら後で話すと伝え悠の面倒を見てもらい、北上さんはソファーに座りながらこちらを気にかけつつも子犬を抱きかかえている。



「まず、さっきはすみませんでした。 急に外に出てしまって混乱したと思います。ちょっと俺の中で混乱してしまって。」



 吐きそうだ。でもここで踏み出さないと、自分で勝手に作った壁を越えなければ。



「今更で本当に申し訳ないんですが、俺の素直な気持ちを、伝えさせていただけたらなと」



 斬首台に載せられているかのような感覚。でもそれは自分が勝手にそう思っているだけだ。



 北上さんの方に目線を向けると、彼女と目が会う。 心が落ち着いていくのを感じる。




「俺は…………………母親というものがどういうものなのかよくわかりません」



 体をこわばらせるのが見える。自分の胸が締め付けられるのを感じる。



「なので、早紀さんにどういうスタンスで接すればいいのかが解らないんです」



 早紀さんが徐々に顔を俯かせている。でも、言葉を紡がなければならない。





「ただ、ちゃんと家族にはなりたいと思っています」




「え…?」



「ごめんなさい、わけわからないですよね。 これが俺の素直な気持ちです。

 早紀さんは親父を支えてくれて、一緒になってくれて。二人が幸せそうなのが俺も嬉しい。

 妹はとにかく可愛くて、色々大変だけど生まれてきてくれてありがとうって思える。

 ただ、俺の自分にとっての母親がわからなくて、早紀さんとの年の差が親父よりも近いというのもあって

 どういう風に接したらいいかわからず今まで過ごしていました。」




 自分の中の思いを次々と言葉にしていく。まっすぐと、伝えるべき相手に向かって。



 不安は消えきらない。だが、



「なのでこれからどう思えるかは正直わかりません。母さんと呼べるようになるかもわからない」



 家族に対して、自分をちゃんと知ってほしい。



「ですが、早紀さんとちゃんと家族になりたいので、まずは」



 ひとつ、すこしづつでも変えていきたい。



「敬語を、やめたいと、思う。」



 自分で作った壁を取り払うんだ。



「………………嫌、かな」




 ひとしきり喋った後早紀さんの様子を伺う。



 すると、早紀さんから大粒の涙がこぼれだした。



「っごめんなさい! やっぱりいやでしたか」


「そうじゃなくって! 嫌なわけ無いじゃん!!」


「え…?」


「だって、未来くんずっと他人行儀だし、私受け入れられてないなって、嫌われてるって思ってたから…!!」



 そう言って泣く早紀さんの元に近づき、ハンカチを渡して背中をさする。



「良かった…良かったぁ………私ここにいていいんだ…………」


 


 もしかしたら早紀さんも俺と同じような事を考えていたのかもしれない。



 そう思ったら、自分が幼い行動を取っていたことに後悔の念に駆られてしまう。



「これからは、気になったこととか、思ったことは素直にいいます。 もちろん、家族でも内緒にしたいことはあると思うので全部とはいわないけど」


「うん、私もこれから改めてちゃんと家族に…ううん、未来くんに母さんって呼んでもらいたい、だから、ちゃんと話そう?」


「すぐには難しいと思うけど、いつかは。 改めてよろしくお願いします、なんてのも硬いかな…?」


「ううん、改めてよろしく、未来くん」



 いや、それもこれから取り戻していける。



 今日、今この時から始めることができるんだ。









 話が終わり、北上さんが子犬を引き取り帰ったあと、親父に一通り今までのことを話した。

 


 親父には謝られてしまったが、全部自分の問題だったから、と言い聞かせる。



 それを聞いて、いやそう思うようになってしまった事自体が、とうなだれてしまったが。



 その日の夜、夕食の準備を早紀さんとしながら、今まで話せなかった事をお互いに話し合っていた。



「えー!? そんなに仲の良い子達いたなんて全然わかんなかった……っていうのも私のせいだよね〜紹介しづらかったよねぇもーホントごめんねぇ…」


「いやいやいや、俺がちゃんと話せてなかったのが悪いって言ってるでしょう、謝らないで」



 早紀さんが離乳食を、俺が家族の分の食事を用意しながら謝り謝られながらも心の中にあった重いものはもほとんど感じられない。



 調理自体は終わり後は肉じゃがに火が通れば終わり、ということでひとまずの洗い物に入る。 

 


親父に迷惑をかけない、と今まで可能な限り自分で頑張ろうとしていたが、それはとても寂しいことだったんじゃないか。


 これからはもっと甘えていってもい



「いやーしかし未来くんの彼女さんには感謝しなきゃねぇ」



 思考を切り裂く言葉が聞こえ、洗っていた包丁が手から滑り刃先が指を走った。



「ったぁ!」


「えっどうしたの!?」



 俺の傷を確認した早紀さんが絆創膏を取って戻ってくる。貼ってもらいながら、事実を話す。



「あの、今日いた子は、ただのクラスメートで、別に付き合ってるわけでは無いです」


「え?」





「え?」




 当然の疑問だと思うが、疑いようもない事実なのだ。



「えーだって未来くんを連れ帰ってきてくれてあの場に立ち会ってたからそれだけ信頼してるんだと…それにあの子だって私が見るに…」



 その言葉に今までの事が思い返される。北上さんの行動。しかしそれ以上に自分の行動を省みると、胸の奥から羞恥に近い、しかし別物の確かな熱を感じる。心臓の音がうるさいくらいになっている。これは



「はぁ〜なるほどなるほどなるほど。 少なくとも未来くんがどう思ってるかは良くわかった」



 顔にまで出てたのか。全く自分の制御が出来ていないらしい。



「まあご飯食べよっか! いやしかし青春だ〜眩しい〜」



 早紀さんは楽しげに皿の準備のために俺の前から離れていった。




いったいどのタイミングから? 何がきっかけで?



俺が彼女を真っ直ぐ見たのだってこの前が初めてだったはずだ。 だが、その時には既に彼女に対して自分の中に壁が無かったように思う。 一目惚れ? というのもしっくりこない。



頭の中で思考がぐるぐる回るが答えは出ない。囁くように言葉が溢れる。



間違いないことは、俺の中には



「好きだ…」



北上真尋に対する確かな恋心が存在しているということだけだ。

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